最近、信長が熱いんです!!
私の中で笑w

父親が信長大好きだったけれど、その理由は小さい頃は分からなかった。
でも、今、信長を見ていくと
「やっばい、イイ男!」と思うのです。


で、お仕事の話に戻りましょう。
イイ男は仕事もデキる笑w


以下、信長の言葉。

。。。。。。。
「仕事は探してやるものだ。自分が創り出すものだ。与えられた仕事だけをやるのは雑兵だ」
「人は心と気を働かすことをもって良しとするものだ。用を言いつけられなかったからといって、そのまま退出するようでは役に立たない。その点、お前は塵に気付いて拾った。なかなか感心である」
。。。。。。。

当たり前のこと、だけれど仕事はいわれた事だけをやっていても意味がないのです。

うーん、そういうと語弊なのかな。
たぶん、いわれた事をしっかりやらないとイケナイ仕事もある。
でも、応用とか気持ちを推し量ってやっていかなければいけないお仕事も多いのです。

というか、上に上がりたければ、期待される以上のことに気づいてやらなければいけないってダケの事。





私の中では、仕事とは、相手が欲しいものを予測して動くことだと思う。
必死になって、相手は今なにを欲してるんだろうと考えるの。


お客様相手には当たり前のこと。
だって、需要を満たす供給をだすから儲けというものが出るのがビジネスだから。

でも、上に上がりたいならば、上司の思う事を予測する。
一度、ある程度までこの人にはついていって仕事したいと思ったら
この人はどんな考え方をしてて、どう言う時にどんなことをしてほしいのだろう?と、考える事。



で、なにごともそうだけど決めたらとことんやるっ!
相手の頭の中とシンクロできるくらいにしてみるの。



自分と違う考え方の人が何を考えてるのだろうと慮る事。
それは、様々な視点の考え方身につけるという事だと思う。



お客様はどういう風に考えるんだろう、感じるんだろう、と考えること。
それによって売れるものを見つける視点が得られるの。


そして、ついて行って仕事がしたいと思える人。仕事が出来る人について
その人と同じような考え方を身につけるということは
仕事が出来る人の考え方を身につける事が出来るようになるということ。

それは、その後独立するにしても、とっても強い自分の武器になるはず。



別に、迎合しろというのではないの。
同じように自分も考えるようになれ、というのでもない。
ただ、その考え方にシンクロすることで
そういう考え方で、こう実行すると、こういう風な結果がでるというのを身を以て体験できる。
そうすると、こう言う結果を出したいときはこう言う考え方をすればいい、
と思えるようになるから。

それを後々自分の武器にしていけばいいんじゃないということ。


そんな人の真似してたら、オリジナリティーがでない!
と思うかもしれない…。

でも、そんなことはないんだよ、元々人というのは生まれた環境に影響されて
人格を形成していくものだから、人というのは、何かの真似の積み重ね。
ただ、全く同じ環境はない。
人生は様々な経験の積み重ね。
一生に出会う人は山ほど居る。
そして、その環境と経験と人との出会いは人それぞれ違う。
mixの仕方も人それぞれ違う。
環境や経験や出会いをどう生かしていくかも違う。

その違いが個性というものを作るのだと思うの。

だから、そんな一人と一面において考え方をシンクロさせたとしても
それは一時的な事で、そういう体感を増やしていけば
それがまた、その人の個性になっていくのだと思う。


まぁ、元々、天才とバカが紙一重な奇才の方もいるのかな~と思う事はあるけど。
あくまでも私の考え方はそんなところ。


(このお話で一つだけ注意しなければいけないのは
 勘違いして「ここはこうおもうでしょ!」と
 相手はそう思ってないのに一人で突っ走る人。
 だから、普通はこう!とか普通はこう!の究極にある自分はこうっていうのは
 別のところに置いてきて考えなければいけないし 
 もしかしたら相手は違うのかなというのは常に頭に置いて
 確認と報告は怠ってはイケナイよね。)

久しぶりに、真面目な話でも書いてみようかと…。


今日の日経新聞の社説に「学歴とは別の物差しで人を見よう」というのがあった。


たぶん、新聞取ってる人か、ネット有料会員しか見れない記事かな…。




そこには、教育の単線化と格差化、そしてAOについて書かれている。


つまり、ほとんどの教育が偏差値による高校選び⇒いい大学と選ばれていること


そして、その教育のコースは親の学歴、学歴から決まる収入で決まるから


親から子へと教育は引き継がれ格差化している。


そんな中で求められるのは、多様な教育、そしてペーパー以外の試験制度ではないか?


という話だ。




。。。。。。。。。




私は、単線化に乗った教育を受けてない。




中学は美大の付属だし、高校は専門だし、大学は仮面浪人してる。


ついでに言えば、浪人時代AO受けてほとんどの人が落とされるペーパーで通って


8人に1人しか落とされない面接で落とされてる。




。。。。。。。。。。


教育の多様化を叫ぶことは良いことだろう。


単一の教育方法しかなかったら、みんな同じ風に考える人ばっかりできて


みんな同じような職業に進んで、世の中も単一化して


新しいものが中々生まれない世の中になるだけだろうと思うから。




でも、それは理想論だって言うことも私は叫びたい。


結局ね、単線化した教育がメジャーな中で


そうじゃない教育を受けたものが経験する社会は厳しいんだよ。




教育というのはその人の経験と思想を形造る。


つまり、人と違う教育を受けたということは


人と違う経験と人と違う思想を持たざるを得ないということだ。




そして、多くの人は自分と違うものを怖がる。


そして、それを排除しようとする動きが実際多いのだ。


怖がる、変な顔で見る、排除されるということと戦いながら生きていくことを


余儀なく求められるのが多様な教育を受けた人間だ。




あるいは、それがいやなら


同じようなものたちで固まる。


同じような、多様な教育を受けた人は多様な教育を受けた人どうしでかたまり


その多様な教育を受けた人の考えや色んなものはなかなかメジャーなところに出てこなくなる。




メジャーなとこに出て来れないということは、


ある一定以上のハイクオリティーでアップ・トゥ・デートの教育や知識を


得るのが難しいということにもつながり


多様な教育を受けた人が社会に進出するのはやっぱり難しくなる。




本当は単線的じゃない教育を受けた人は強いめんだってあるはずなのだ。


多くの人と同じように考えないという点において


いろんな新しいことを思いつけるし、


様々な選択肢を持つことだって出来るのだ。




でも、単一的な教育を受けた人より多様な教育を受けた人に与えられる


チャンスの方がが少ないのが現実だと思えたりする。




。。。。。。。




現実はそんなものだ。




そして、私が自分の学歴を話すとき


最後の有名大学の名前だけ話せば人は「おー。」という感心した顔をする。


でも、「部活なんてやってなかったよ、専門学校だったし」


とか普通の人の範疇に入ってない話をすると


多くの人の見る目は変わる。




そんなものだ。




そういう世界で生きていかないといけないのが


単一じゃない教育を受けた人間。

「愛」って何?


「好き」って何?




そんなの本当は一生かかっても分かんないことだと思うんだ。


あるいは、普遍的なそんな定義なんてないんじゃなーい?




別に恋愛以外にしたって


人の価値観や物事の認識なんて多くが生物的本能と社会の影響でできてるんだよ?




また、こういうこと言うと冷血人間って言われるんですねw




冷血とかじゃなくて、現実的に考えてったらそうなるんじゃないの?と思うけど。


そういう考え方が冷血だといわれるんですね、きっと。




でもさ、人はそれぞれ違う社会で育っていく、その社会によって個性ってのができるんじゃない?


それぞれ違う社会で身に付けた価値観がその人の独特な価値観になるんじゃない?


と思ったりもする。




だから、君は君のままで、そのままの価値観がきっと、今まで育ってきた道の上にある君の個性なんだよ。


だから、君が「これが「愛」だ」って思ったらそれが「愛」なんだよ、きっとって思ったり。




でも、そんな多様性を認めたら、人はほかの人と同じような価値を持てないから通じ合えなくなる。


だから、ある根柢になにか似たようなモノがなければいけないのか?と思ったり。




まぁでも、とりあえず多様性を認められる世の中になってほしいです。


どの世界であっても。




外国は多様性が認められるという人は多いけど、


私はそう思わないよ。


なんて西洋支配の価値観の中に生きてる人が多いんだろ、と思うことがある。




あるいは私の価値観が世界に出てもあまりにも違うからそう思うだけかもしれないけど。




ま、世の中そんなユートピアみたいなこと所詮ありえないんだわw


誰もが幸せになれる世界なんてありえないんじゃない?




だから、自分の一番いやすいと思える場所は自分で作るしかないんだよ。


と思うから、自分の居やすいと思える場所を作るために、


自分の大切と思えるものを守るために


私は色々がんばっていきたいと思うんだ。