俺が働いている会社は、規模としては大きくない。総勢で15名ほどかな。
けれど、実に多人種のスタッフで構成されている。

オーナーは、カナダ人と香港生まれカナダ人のカップル。
信仰心が高いクリスチャンでもある。

スタッフの面々は、カナダ人を始め、イタリア人、ブラジル人、インド人、メキシコ人、中国人、俺のチームのマネージャーはフィリピン人で、そして日本人は俺一人。

ブラジル人は2人いて、一人はドイツ系の、しかも絶滅寸前の民族の血を引き継ぐ男性(ちなみに彼の奥さんはレバノン系のブラジル人)。
そして、今回の主役となる、会社では一番の新人でもある男性。

なんと、彼のおじいさんは日本生まれの日本人だった。クォータージャパニーズというやつだ。


ちょっと横道に逸れるよ。
カナダにいる中南米の人々は、個人的な見解としては、アメリカにいる中南米の人々と結構な違いがあると思っている。

アメリカでは昔から、中南米からの不法な滞在や入国者が問題視されていて、今でもそれは後を絶たない。

一方、そういう人たちがカナダへ来るには、海上経由でなければアメリカ本土をまたがないといけない、という大きな大きなハードルがある。
なので、そのリスクを冒してまで不法入国してくる人たちの数は非常に少ないと言える。

中南米からの同僚たち(ブラジル人、メキシコ人)は英語を流暢に話すし、元々はカレッジの学生としてカナダにやって来ている。
多くの日本人留学生とは違い、元々自国で英語を習得してきているので、カレッジでもすぐに専門科目を学びながら、パートタイムの就労ビザで働くことができるのだ。
言ってみれば、それぞれの国の富裕層であり、エリート階級だろう。

そのもう一人のブラジル人同僚。彼のミドルネームは”コービ”なので、ここでは交尾・・・じゃなくて、コービと記そうか。

コービは、おじいさんが日本人というだけの割には、随分と日本語の単語は知っている。
クオータージャパニーズともなれば、ほぼ日本語を話せないというのが普通だ。
母国では、日本の有名企業のブラジル支社で働いていた経歴もあるので、そのせいだろう。

「カイゼン(改善)」だの「アンゼン(安全)ファースト」などをちょいちょい俺にぶつけてくる(笑)

ランチタイムになれば

「スッゴイ ハラヘッタネ〜」

と声を掛けてくる。

俺のチームは、大きな倉庫での商品管理になるので、結構な肉体労働だ。
おまけに夏は至極暑くて、冬はめっぽう寒い。

まだコービが入社間もない春の日、動いていて暑くなってきた彼は、着ていた長袖のシャツを脱いだ。
鍛えられた両腕には、キメの細かなタトゥーがギッシリと刻まれていた。

日本の街中で歩いていたら、まず誰も声を掛けたがらないような外見である。

ちなみに当地では、タトゥーはすっかり市民権を得ているし、なんなら警察官や消防士、教員まで入れているほどだ。

「きれいなタトゥー入っているね〜」

と言った俺に対し、

「My ジーチャン」

と、肩口に刻まれた大きな顔のタトゥーを見せてくれた。

「This one is my バーチャン and these are my dogs.」

と言って、ブラジルに残してきた2頭の愛犬のタトゥーも見せてくれた。
コービのバーチャンは、ブラジルの先住民インディオの血を引いているのだという。

「ファミリーメンバーのタトゥーを入れるなんて粋な奴だなあ」

というのが、それを見たときの俺の感想だった。

俺自身はタトゥーを入れてはいないけれど、抵抗感はない。

日本は歴史的に見て、入れ墨を入れる人はいつの時代も少数派で、諸外国と比べると、タトゥーを含めて抵抗感が非常に根強い文化があることは間違いない。

公共の浴場では
『タトゥーや入れ墨の入った方の入館は、固くお断りします』
といった張り紙がされているのをよく目にしたし、今でも当たり前のようにそれはあるんじゃないかと思う。

これって、実はすごく差別的な表現だと俺は思うんだけど、果たして他の人はどう感じるのだろうか。

そういう張り紙がなされるには、それ相当の理由が過去にあったにせよ、そろそろ時代に合わせた変化が求められてもいいんじゃないかなあ。


いつだったか、自分の目で見たのか、誰かが撮った画像を見たのかさえ忘れたんだけど、そこに書かれていた張り紙の文句だけは鮮明に覚えている。
それには

『 「タトゥーや入れ墨の入った方の入館は、固くお断りします」という差別的な考えを持つ方の入館は、固くお断りします」 』

と書かれていた。

いやあ、あれだけ明確に、しかも日本で、意図を表明することって、サービス業では相当な勇気がいることなので感激したなあ。

で、コービの日本人のジーチャンの名前を聞くと『ヨシオ』さんなんだって。
自分でビジネスもやっていたそうな。

言葉も文化も、人種も違う国で移民として暮らすことは、格好良いことなんかなくて、大変なことの方がよほど多いってことは、俺自身が身を持って経験してきている。

たまーに日本企業からの駐在という人と出会うことがあるんだけど、自分たちの経歴で移民というチョイスを自分でした俺とは、立ち位置の違いを感じさせられることはよくある。
「帰るために今はここに居る」
という人たちは、自分の子供たちの教育、住む家の援助、年に何度か帰国するためのフライトチケット支給、など、同じ日本人なんだけど、生活の基盤がやっぱり違う。
単なる俺の中にある嫉妬なのかもね。

駐在や留学を経験したことのない俺は、やはり自分が経験している“移住•移民”を同じように経験した先人たちに感情移入しやすい。

特に戦前戦後期に移民したような人たちは、日本人に対する扱いが今とは全く違うのだから、それは尊敬に値する。


そんなわけで、コービの承諾を得た上で、彼のタトゥーを披露しますね。


ヨシオ

バーチャン


犬その壱

犬その弐