去年の秋、気を失ってバスルームで倒れているところを配偶者に見つけてもらった。

なんで今頃になって去年の話を?と思われるかもしれない。

生まれて初めて気を失って倒れて、もし配偶者が見つけてくれなかったら、どうなっていたのか分からない。

それを考えると、あの出来事を遡って文字にすることが中々できなかったのだ。


事のいきさつはこうだった。


愛娘が、通う学校から風邪を持ち帰ってきた。
毎年のことなので、これは避けようがない。

クラスメイトの両親たちは、まず例外なくカナダ国外にルーツや繋がりを持っている。
俺たちのように、本人がカナダ以外の出身であったり、家族や親類がカナダ国外に住んでいる、といった具合に。
なので、バケーションで様々な国へ行くと、決まって誰かしらがウィルスや、それぞれの国で流行っていた疾病を持ち帰ってくることになる。

狭い家に暮らす3人家族の我が家では、誰かが感染するような病になると、もれなくその他の誰かも感染する。

去年の秋のそれは、例外的にヘビーなものだった。
はっきりとは分からなかったけれど、インフルエンザだったのだろう。


その前の日、いつも通りに仕事へ向かい、朝はなんともなかったのが、段々と咳が出てきた。
そして頭が重くなってきた。
大体はこの時点で、早めに休むと快方へ向かうんだけれど、家に帰って家族と夕食を摂っていると、どんどんしんどくなってきた。

愛娘はすでに何日か学校を休んでいたし、いつもの風邪とはちょっと違うような体感はあった。


ところで、俺は体温計をほとんど使うことはない。
「なんだか熱っぽいなあ」
と感じているときに、実際に数字として38℃とか目にしてしまうと、その数字に捕らわれて、数字通りに体調が悪くなってしまう性格だからだ。

だからそのときも、配偶者には

「久々に本気でしんどい……」

ということを伝えるほどの状態でありながらも、検温することはしなかった。

その次の日の早朝だったはずだ。

配偶者が、熱にうなされる愛娘を介抱していて、ボトルに入った水を持たせようとしてもそれを握ろうとしなくなった。
ぐったりとして、こちらの言うことに反応も鈍くなった。

自身も調子が悪い上に、配偶者の大きな声で目が覚めて、でも何もできずに、ただ黙って二人のそばでしゃがんでいた俺。

それまで見たこともなかったような配偶者の動揺ぶりは、心がきしむほど感じ取りながら、その時の俺には何もできなかったのだ。

「マミーの言うことがわかったら、ちゃんと返事しなさいっ!」

愛娘の身体をゆすりながら何度かそう叫ぶと、

「オッーケー・・・! わかったぁぁぁぁ!!」

と、熱でヘロヘロな小さな身体から絞り出すように、精一杯の声で目を瞑ったまま応えた愛娘。

その二人のやり取りを見て、心身ともに困憊してしまった俺。なんとか立ち上がって用を足すためにバスルームへ向かった。

そこにあるミラーに映った自分をチラッと確認したら、強烈な耳鳴りがした。次の瞬間、目の前が真っ暗になってしまった。

ヒザから崩れ落ちたので、洗面台にあった色んなものを巻き添えにしたようで、結構な音を立てたみたいだった。

意識が戻ったのは、大声で俺の名前を泣き叫ぶ配偶者の声がきっかけだった。

その時、穿いていたスウッエットパンツの股の付近や足が濡れていたから

「やべえ、失禁したのか・・」

と思ったけれど、それは俺が倒れたときについでに落とした、植物が入ったグラスの中の水だった。

「Hi! My husband collapsed!! Please send an ambulance! Please Hurry!! (ハイ! 私の夫が気を失って倒れたんです!! 救急車を! お願い、早くして!)」

俺に救急車を呼ぶかどうかを聞く隙すらも与えず、彼女は泣きながら911に電話していた。(当地は警察も消防も救急車も全て同一ナンバー)

後日聞いたところでは、バスルームで倒れている俺を見たとき、彼女は本気で俺が死んでしまったと思ったらしい。そう思ってもしょうがないよね。

「救急車が来るまで立って歩かないで」

と配偶者に言われたので、四つん這いになってベッドルームまで戻り、取り敢えず濡れたスウェットパンツを救急車に乗せられる前に着替えておこうと思う余裕はあった。

大体10分くらいで到着すると思ったんだけど、20分経っても救急車は来ない。

俺の意識も既にはっきりしていたので、二人で話し合って「もう遅すぎるからキャンセルして、自分たちでUber呼んで病院の救急に行こうか。愛娘の状態も診てもらいたいし」ということになった。

そして再び配偶者が911にコールして、さっき頼んだ救急車の配車をキャンセルしようとしたら、逆に先方から

「あなた、『もう救急車はいいから』って、少し前にキャンセルしましたよね?」


「Oh my god・・・・・・・」
(いやいや、絶対こちらからはしていませんから。今の今まで待っていましたから)

一体、どこの誰が、どういうふうに取り違えると、してもいない”キャンセルコール”が成立するんだろうか??

「こんなことが日本であったら、相当大きな問題になると思うよ」

と、俺は配偶者に言った。

そんなトラブルもありながら、病院の救急窓口にあるトリアージで、愛娘とセットでフラフラしながらも受付を。

そこで自分の状況を説明した後、口の中に検温計をブスッと差し込まれた。

俺の体温表示を目にしたトリアージの女性は一瞬顔つきが変わり、自分の後ろの棚に入っているTylenol(タイレノール。当地では何かあればすぐにこれが処方される。ちなみに簡単に薬局で購入可能)を3錠、水と一緒に渡された。

「これ飲んで」

通常なら大人は1回の服用で2錠というのが常識なんだけれど、多分俺の体温は異常に高かったんだと思う。

それを飲んでトリアージ横の待合室で待機していたら、わりかし早く名前がコールされた。
卒倒したということで、愛娘よりも緊急を要すると判断されたんだろうね。

まるでやる気のない、ロン毛を適当に縛った技師のいる部屋に呼ばれ心電図の検査。
吸盤のようなものを全身に貼られて検査したんだけど、それを外すときも、やる気なさそうに片手で一気にバババーーンとされて

「Take care...」

と一言。

また待合室に戻ったら、今度も割と早く(当地では救急でも数時間待たされるのが普通)、今度はドクターに呼ばれた。

ドアを開けて立って待っていたのは、マスクをしていてもそうだと分かる、30代くらいのキレイな、スラッとした女性ドクター。

「Hi, how are you? (ごきげんいかが?)」

って、調子よかったら救急になんか来ませんよ。

また同じように自分の状況を一から説明。
その途中で、俺が

「・・・・・・・、and maybe I passed out. (こうこうこうして、それで多分気を失って倒れた)」

会話の中の ”maybe” は頻繁に使われる表現なんだけど、そこはやはりドクター。

「Maybe !?」

と、急に口調が強くなり詰問された。
ビビった俺は

「Oh... not maybe. I actually passed out then my wife found me. (ああ、多分じゃなくて、たしかに気を失って倒れました。で、それを配偶者が見つけました。)」

と言い直した。


俺は日本の病院の救急病棟へ運ばれた経験がない。けれど、当地の病院の救急病棟とは、雰囲気が全く違うような気がする。

そのドクターは、俺の目の瞳孔をチェックするときにポケットから自分の携帯を取り出して、そのライト機能を使った。
こういうときに、普段は見ないような、ドクターが使うスペシャルな器具を使われると、患者としても緊張感が増すというもの。けれど、その携帯のライト機能というところで、俺はなんだか安心した。

俺の周りには、他の救急患者や、ドクターにナースが沢山いて、広く見渡すことができた。
おじさんドクターが、俺のドクターに話しかけるときに背中にそっと手を当てて笑いながら談笑する様子、長く待たされ過ぎているじいさんが、病衣のまま俺の前を行ったり来たり(大丈夫なのかよ!?)するのを見ていたら、大の病院嫌いの俺の緊張感も少しづつほぐれてきていた。

そのうち、俺もしばし放置されてしまった。目の前を白衣を着たおばさんナースが通った。フィリピンかベトナム人だろう。(もう大体人種は分かるんですよ)

「あんた、自分の娘と一緒に救急来たんだって? 大変だったね。じゃあ、検温しましょう。」

と、再び検温計を口にブスッ。

「うん、熱はないみたいだね。」

「はい、さっきTylenolを3錠飲まされたからね。多分それで(やべえっ、また”多分”使っちゃったよ)」

「Advil (アドビル。これも薬局でいつでも購入できる風邪薬の一種)飲んどこうか。」

「えっ〜、さっきTylenol飲んだばっかりなんだけど、重複して服用してもいいの?」

と、熱が出ても薬を飲むことが滅多にない俺は少し抵抗した。

「大丈夫大丈夫。チョット待ってて。」

と近くの棚までAdvilを取りに行って、水と一緒に俺に手渡した。

(おいおいっ!またまた3錠かよっ!!)

もうこうなったら「まな板の上の鯉」である。
ナースに従い、3錠一気に流し込んだよ。
朝から水と薬しか口に入れていないのに。

血圧や血液検査など、ドクターが必要としたことを終えて、あとは待合室で、その結果を待つように言われた。

15分くらい待ったかなあ。
さっきのスラッとしてキレイなドクターが、血液検査の結果が記されているファイルを手にしながら歩いてきた。

「Looks like everything is ok. It often happens when people are really sick. (診たところ異常はないみたい。すごく体調が悪いときにはままあることだね)」

「You are free to go. (はい、もう帰っていいよ)」

と、あっさり診療はそこで終わった。
薬なども処方されず、俺の方から尋ねたら、お得意の「 Tylenol か Advil 飲んでおいて」で、お役御免。


そうそう、愛娘は俺より少し遅れて、

「ダディのそばが良いよね」

ということで、隣の椅子に座らされ、同じドクターに診てもらった。

「言うことに全く反応がなくて、40℃以上の熱が1週間とかも続くようならここに連れてきて欲しいけど、高熱があることや、こちらの言うことに反応できる状態なら、私はそんなに重要視しません。よく見られることなので」

と、こちらもその場であっさりと、何も処方されることなく解放された。

愛娘と俺がセットで病になってしまい、神経がビンビンに張り詰めていた配偶者も、そこでやっとホッとすることができたみたいだ。

皆、少しだけお腹が減っていたし、俺などは薬と水しか口に入れてなかったので、病院内のカフェでサンドウィッチを食べて、再びUberを呼んで帰路へと就いた。


えっ? タイトルにある 『カナダで救急車呼んでも来てくれない、たったひとつの理由』は、つまり何なのかって?

それを書く前に、一度こういうタイトル付けてみたかったんだよね。

ニュースを一切見ない俺は、日本の状況を知るのは、人様のSNSやブログ、メールマガジンが主になる。
そういうのを見ていると、オンライン上では、どんなマーケティング手法が国内で流行っているのかがすぐに分かる。なにせ情報源が限られているので。

それを皮肉っぽく真似てみました(笑)

で、その”たったひとつの理由”というのは、

「カナダ人だから」

この国の人々には、「責任感」というものの存在が、個人的な肌感覚でいうと
日本人の10%から20%くらいしかないんじゃないかなぁ。
それを誰かに教えられることもないみたいだし。

そう考えると、逆に日本人がその”責任感”とやらを背負いすぎているのと、他者に押し付けすぎている、という風にも取ることができますよね。

にしても、若い頃には体調悪くてもこんなことは起こらなかったから、基礎体力は徐々に衰えてきていることを実感しましたよ。