知られていることではあるけれど、北米には先住民への迫害や、アフリカから強制連行した奴隷の歴史など、暗く重い歴史がある。

俺が暮らすカナダ西部では、アフリカの奴隷と言うよりも、先住民への迫害が主なものがそれになる。
日本では北米先住民はスピリチュアルな存在にとられがちであると思うんだけれど、現実としてはドラッグやアルコール、家族間の問題など、他人種に比べると遥かに問題視されるレベルにある。

先住民やアフリカからの奴隷だけではなく、北米にはありとあらゆる人種の人々が混在しているので、日本には存在しないような人種問題(差別)もある。

今回はその点について、ちょっと自分の経験を混ぜて書いてみよう。


俺が日本にいたときには一度も目にしたことがない光景。

それは、異なる人種がファミリーを形成している姿。


自分のビジネスを始める前、小さなコーヒー会社に勤めていた。
その会社は総勢20人ほどの小さな規模ではあったけれど、そのうちの3人のスタッフが、自分とは異なる人種の子供を養子にしていた。

正確には4人か・・
というのも、会社は夫婦で経営されていて、そのカップルが中米から2人の子供を自分の子としてファミリーに迎え入れていたから。

また、経理部門のトップにいた人物は、夫婦間に実の子がいならがら、同じように中米から養子を迎え入れていた。
要は、同じ家の中に、親と血の繋がりのある子と、繋がりのない子が兄弟(姉妹)として生活していたのだ。

これは社内だけのことじゃなくて、お客さんにも言えた。

その会社にはカフェも併設されていて、警察関係の常連もよく訪れていた。

いつもほぼ無表情のヨーロッパ系カナダ人のその女性は、冷静で、凛としていて、まあ言ってみたら ”ベテランの警察官らしい” 雰囲気を醸し出していた。
俺ともいつしか互いに名前で呼び合うようになっていたその人は、ミシェル(仮名)といった。彼女はある日、

「I'm with my son today. (今日は息子を連れてきたの)」

と言いながら、アフリカ系の、肌が黒くて、クルクルのカールヘアーの男の子と一緒に入店してきた。

オーダーしたサンドウィッチを頬ばるその男の子を見つめるミシェルの眼差しは「母親」そのものだった。
俺には見せたことのない表情だったのが印象的だった。

つまり、セレブリティとして名が知られているマドンナやアンジェリーナ ジョリーのような人たちだけが、自分とは異なる人種を養子としているんじゃなくて、北米では(革新的な住民層が多いエリアでは)一般にも見られるということだ。

こういう傾向を見て、文化や国民性が優れているとか他が劣っているとか決めつけることはできないし、それで民度が高いとも言わない。
けれど、まだまだ移民や難民の受け入れにすら消極的な日本で、他人種を養子にするという感覚が浸透するとしたら、相当な社会的変化・改革がない限り、あと100年くらい要するんじゃないかと個人的には思う。

はじめに書いたことだけれど、北米の歴史はアフリカ人の奴隷制をなしにして語ることはできない。
様々な人種が混在しているので、そりゃあ色んな問題が今でもある。

日本人としては、まだ100年も経たない前にあった戦争で、日系の人々が戦前から受けたという差別や迫害の話もよく見聞きした。他人事ではないことにショックを受けた。

そういう目を背けたくなるような歴史が、国としてはまだ若い北米ではあるけれど、しっかり存在する。


でも、別のアングルから、実体験を通して見てみようか。

我が愛娘は9歳になったばかりだ。
一人の人間としては、まだまだ人生経験と呼べるようなことは少ない。

けれど、街で同性同士が手を繋いで歩いているのを見ても振り返るようなことはないし、肌の色が違うカップルがいるのを見ても同じように振り返ることもない。
子供なので、そういうときの反応は至極正直に出るもの。
それだけ見慣れてしまっている、不思議ではない光景だと言えると思う。

一方、北陸で生まれ育った俺の父は、ガキの頃に街で外国人とすれ違おうものなら

「すぐに振り返って、ズッ〜〜と見続けたもんだぞぉ」

と言っていた。

コロナの影響で、訪日•在日外国人がめっきり減ってしまった今、特に地方では昭和30年代に俺の父がしたのと同じような反応をする人は多いんじゃないだろうか。


水道の蛇口をひねれば水やお湯が当たり前に出るところでしか住んだことのない俺は、水道の蛇口すら家にないような人たちが暮らす国々のことはイメージすることくらいしかできないもの。

そういう国々に、貧困や干ばつ、内戦、他国からの侵略、などで親を失った子どもたちが沢山いるということは俺も知っている。
そういう子どもたちを、先進国の人々が養子として迎え入れるという行為は、もしかしたら「余計なおせっかい」に当たるのかもしれない。
もしくは偽善的な行為なのかもしれない。
アチラにはアチラの習慣や文化がちゃんと存在するのだから。

そうなのかもしれないけれど、俺は率直に、身近なカナダ人たちが異人種の子どもを養子としてして迎え入れているのを見たとき・知ったときにはひどく感動したのだ。
俺には想像すらしたことのない行為だった。
この国で20年以上生活してきていても、まだそれを自分でやれる自信もないし、懐の大きさもない。

俺が知る大概のカナダ人は、仕事も適当だし、サービスも適当だし、そのくせ自分の権利に対してのアピールは一丁前。他人の目もさほど気にしないし、協調性も年功序列もあったもんじゃない。
が、「寛容性」という点では、日本人が逆立ちしてもかなわない、というところがあるんだよねえ。

異人種を嫌い、距離を置きたがる人たちもいれば、その反対に、異人種を愛し、受け入れることができる人たちもいる。(それは外見が似ている他国のアジア人に対する日本人の態度にも同じことが言えるよね)

それは、かつての悲しく暗い歴史があってこそ、それがなかったなら、今ある状況は生まれていなかったんじゃないだろうか。

結果や成果をすぐに欲しがる傾向にある現代人には難しいことではある。
けれど、今醜くて辛くて、苦しみに押しつぶされそうなことがあったとしても、長〜い目で見ると、愛や優しさを感じ、嬉しくて踊ってみたくなるようなことだってあるのでは。

あり得ないようなことがあり得るには、あり得ないような苦しみや悲しみが、その過程には付いて回るのかもしれない。

かつての奴隷が、家族として愛されている今の現実がちゃんとここにはあるんだから。
俺が自分の目で見たんだから。

「今ここ」を懸命に生きながらにして、長い目で物事を見るって難しいことなんだけどね〜・・・






中国系の建物の奥に見えるのは教会。人だけでなく建物も混在する街