おおげさに言うと、人生の岐路なのかもしれない。

いずれにしてもどちらかを選択せざるを得ない。

やるかやらないか。

色々ぐちゃぐちゃ考えるけど、どちらを選択してもいいような気がする。


変化を望む心



変化を怖がる心。


どちらも持ってる。



悩む、考える。

ブレる。

でも、

どこか

第三者のような目で私を見る私がいる。


確信はないけど、本能で、一番深い根っこのところはブレないしゆるがないって知っている。


だから






iPhoneからの投稿
「般若心経くらいは覚えて暗唱できるようにならんとのー。」

生前、父はそう言っていた。

いつ言われたのかも分からない。

なぜ般若心経を覚えろと言ったのかも分からない。


私は小さい頃から地区の集会所に近所の人たちが集まって般若心経を唱えているのを何度も見てきた。

なんかよくわからんけど、こんな漢字ばっかりで難しいのをみんなよきな読むなーって思っていた。


大人になった今の私はまだ般若心経を覚えていない。

あんまり覚えようともしていない。

どういう意味なのかは色んな人の本読んだりしてなんとなーく知ってる(気がする。)



今日、般若心経の一節


おん そら そば てい えい そわか


という言葉の意味を知った時、正確に言えばこの言葉を見た時、自分でも驚いたのだけど胸が熱くなって涙が出そうになった。


なんでかわからんけど、感動していた。

心が動くということはその言葉(正確にはそれそのもの)を欲している、または本当は腹の底から「知っている」のだろうと思う。


私は(私に限らず)たまーに、垣間見ている、もしくはその状態にある事を知っている。

だからその鱗片を拾い集める。



常にあなたと共にあると思えると、一切の不安は消えてなくなる。

その事を思うとハートがあったかくなる。
















iPhoneからの投稿
うーん、どうしようか?

迷うって事は、noなのかな?


最初のインスピレーションはどうだったっけ?

考えすぎて忘れてる


かみさま、もうちょっとヒントをくだされ!!
いつもはあんまり考えたことも感じたこともないけど、10月になってナニカが大きく変化していると感じる。
ナニカって、なんだかわからないけどあえて言葉にするのなら全てのエナジー。

今まで以上に、自分の陰の部分を見せられているし、これはハッキリno!!って言いたくなる事が多い。
自分に嘘をついたままではこれからはますます生き辛くなるのだろう。

それに個人的にも10月は過去に辛すぎる事が多すぎた。
10月になった途端、涙もろくて困る。
もう、過去の事だから乗り越えるもなにも過ぎてしまっているのだが、私はまだそこに囚われて時間さえも止まってしまっているんじゃないかと思ったりする。
だけど、それでもいい。
私が思い出して泣いてしまうのは忘れたくないからだ。
一生忘れるわけないって思っているけど、もっと思っていたいのだ。
そして思っている時は、きっと故人は近くにいる。

昨晩は夢の中で会った。
親が子供を思う気持ちを言葉ではなく態度で知らされ、夢だからかその思いは自然に私の中に流れてきた。
親の思いがこれほどのものとは!!
体がなくなってから気がつくなんてね。
だけど不思議と見えない何かでいつも繋がっているのが分かりだして、理由のない安心感がある。
それがわかりだしたのはつい最近だ。

私もふたりの子供の親だが、どれほどの愛情があるのか自分ではわからない。
だけどきっと、肉体が死んでもずっと愛しているのだろう。







そして今日、気がついたのは「嫌いじゃない」ではもう選べないし続けられないという自分の気持ち。
今まで気がつかなかったけど、私は「好き」ではなく「嫌いじゃないから」って何かをやったり選んだりすることが多かったんだ。

「嫌いじゃない」から続けられる。
だけどいつまで経っても満たされず、いつも虚しい。

思い返せば人生の重要な選択でさえそうやってきていた。

それに気がついたらもうその選択はできないと思った。
嫌いじゃない、ではなく「好き」かどうかで選択したい。

そう思った瞬間、そうある自分に近づいている自覚がある。
今日は、長男の高校の運動会を見に行きました。
朝から終わるまでずっと見ていたのですが、高校生になると小学生や中学生の運動会とはまた違って見てる私もとっても楽しめました。
迫力と盛り上がりがすごくて、熱気が伝わってきます。
鳥肌が立つ場面が何度もありました。


そんななか…


各科ごとの応援合戦が終わったあと、特別支援学校(障がいを持つ子どもたちが通う学校)から長男たち高校生へ応援がありました。
その子たちが先生と一緒にグラウンドにでてきたのを見た瞬間、なぜか私の目から涙が出てきました。
応援が始まってからもずっと涙がでていて。
なんで泣いたのか自分でも全くわかりませんでした。
ただ、我慢しないと泣きじゃくりそうだったので必死で堪えていました。

私が思うに普通泣く時って、感動したとかすっごく嬉しいとか、ぎゃくに悲しかったり苦しい時だと思うのです。

だけど、その時の私は、どんな感情だったのか全然わかりませんでした。
わからないけど、私の中の深い部分が「何か」に反応したのだと思います。


なんで泣いているのか分からずに戸惑っていたら「最も純粋で素直な魂」というメッセージが降りてきました。
言葉で表現すると安っぽくなるのですが、「本当にうつくしいもの」は圧倒的です。


何に反応したのかは分かったけど、なぜ反応したのかは分かりません。
ただ、自分で分かることのできる感情以外のところで涙がでたのは初めてでした。


表面の私はわからないけど、そこ、の私は色々分かってるんだろうなぁ。