少し、ばたばたとしていてブログをさぼってしまいました。
反省です・・・
よく「すべての出来事には意味がある」なんて言いますが、
今日は、身の回りで起こる「出来事」と「意味」について
つらつらと書いてみます。
私が20代の頃は、仕事で精神的に追い詰められていたとき
その救いを、哲学や自己啓発の本に求めていたときがありました。
これらの本を開いてみると、幾つかの本の中に
「すべての出来事には意味がある」
という言葉が書かれていました。
それを読んで、当時は
「このネガティブな出来事には、一体どんな意味があるのだろう?」
なんて、考えてしまった時期もあります。
結局、当時は
その出来事の意味が分からないままでした。
「すべての出来事には意味がある」
という言葉の、ありがちな解釈としては
神様や仏様(が本当にいるのかは知りませんが…)が、
「おまえはこんなことだからダメなんだ。早く気づきなさい」
という合図をくれているのだ、ということ。
何かを気づかせようと
神様や仏様が出来事に意味を付けてくださっているのであれば
それはとてもありがたいことです。
ですが、
最近、私はこうも感じます。
『 意味は「ある」ものではなく、「見い出す」もの 』
誰かや何かがつけた意味を受動的に受け取るよりも
最近は、「もっと主体的でありたい」と思うようになってきました。
「すべての出来事には意味がある」のではなく
「すべての出来事に意味を見い出す」というイメージです。
自分の頭で意味を見出し
出来事に前向きな意味をつけていきたい。
今、この瞬間を、もっとリアルに感じたい。
そのように感じます。
世の中、思うようにはいかないことがたくさんありますよね。
「なんでこんなに上手くいかないことが続くのだろう……」
そう思いたくなるときも、正直あります。
そこで、いろんな出来事があったとき
今は、こう考えるようにしています。
「この出来事の中に、どんな意味が見出すことができるだろう?」

