週末の7月3日は、私の姉、幸子さんのお誕生日ケーキを作りました😊


私より3年早くに産まれ、早産で生後10日で亡くなっているので、私は直接は会ったことのないお姉ちゃん。


そんな姉のことを、ここに書き記そうと思います😊


私はずっと、姉の命日も誕生日も知らず、この歳まで過ごしてきました。でも時折、思い出すことがあって。


私は、小さい頃…0歳の頃からでも記憶がけっこうはっきりと残ってて、胎児期の記憶もまばらにあるのですが、その中で印象に残っていることがあって。


胎児の頃、何ヶ月かは分からないけれど、私はある時点で、「お母さんのお腹の中には、もうこれ以上居られない!ここを出るしかない!!」と、強く思ったことがあって。今外に出れば、未熟児で多分、生きられずに死ぬ…そうは分かっていても、もう仕方がない、と。強く心に決めた事がありました。


その時、お姉ちゃんが、思い止まらせてくれて。そして、お腹の中に留まる力をくれた。


そして、私は何とか、出産予定日の一ヶ月前まで母のお腹の中で持ち堪えることができ、未熟児ではありましたが、無事に産まれてくることができました。


お姉ちゃんが、私の命を繋いでくれた…それは、昔から私の中におぼろげにある感覚でしたが、自身も子供を産むことで、それは段々と確信に変わっていき、三人目を産んだ時、はっきりと自覚しました。


お姉ちゃんが居なかったら、お姉ちゃんが先に産まれてきてくれてなかったら…、私も、そして私の妹も、この世に産まれてきていないか、姉のようにすぐにお空へ還っていたんだろうな、と。姉が、私たちに命を繋いでくれたんだな、と。


それからは、時折お姉さんのことを思い出しては、感謝を伝えるようになりました。


そうしていた去年の6月末、ふと、「今、お姉ちゃんの誕生日と命日を調べなきゃ!」と、強く思ったんです。なぜだか分からないけれど。


そして、母に命日を尋ねると、しばらくして調べてくれて、返事がありました。7月3日が誕生日で、7月13日が命日だよ、と。誕生日まであと9日というところ。ちょうど直前に、日にちを知ることができました。


母は、幸子さんに会っていません。多分、当時の病院の方針なのだと思います。


そして私は、誕生日までに慌てて簡易のお参りセットのオリンとお数珠を揃えて、お誕生日当日には、ケーキを焼きました。姉が何が好きかは分からないので、あいさんに習った、家族皆が好きなガトーショコラのケーキ。


子供達と一緒に、バースデーソングを歌って、ロウソクを吹き消して。ケーキをお供えして、皆で食べました。命日にも、お花を飾って、皆でお参りして。


後で調べてみたら、その年はちょうど姉の43回忌でした。その直前に、命日が調べたくなったこと…、どう考えても、虫の知らせだな…と思うのです。


祈りは、一方通行じゃなくって、本当に通じているんだね、お姉ちゃん。


母に、姉の誕生日にケーキでお祝いしたことと、命日にお祈りしたことを話すと、とても喜んでくれました。何かつかえがおりたようだ、ようやく向き合えた気がする、代わりにやってくれて、ありがとう。と😊


その後、初めて、姉のためだけに、お墓参りにも行きました。台風の日に、鹿島まで(笑)何だか、今日行きたい、家族全員で行けるし!と。


会社もお休みになるほどひどい台風だったのに、行くと決めたら晴れてきて、着いた頃にはピカピカのお天気。


三人の子供達が走り回る中、思い切り感謝の気持ちを伝えてきました。


「お姉ちゃんが、産まれてきてくれたお陰で、私は今、ここに居るよ。妹もそうだよ。そして、ここに居る三人の子供達と、妹の子供も…たくさんの命を、繋いでくれて、ありがとう。小さな体で、産まれてきて、10日間も生きてくれて、ありがとう。ありがとう、ありがとう…」

真剣に祈りを捧げてきました。

姉には、本当に感謝しかない。


そして今年も、また、姉の誕生日に、ケーキを作りました。今年は暑かったから、ブルーベリー入りのレアチーズケーキ😊🍰また、バースデーソング歌って、皆でお祝いして。

子供達は、「幸子お姉ちゃんのお陰で、ケーキ食べれる回数が増えたー🎶」と喜んでました😊一緒にお参りもしてくれて。


こうして、命が繋がっていくんだなぁ。誰か一人欠けてたら、今ここにない命たち。すごいね。皆、皆、すごいね。