スローダウンしなさいよ。
「スローダウンしなさいよ、お父さん、お母さん」と、ひなに言われているような気がする。 ひなは何をするにもゆっくり。 いくら ひなのことが好きでも、お父さんも人間。 ときにはイライラする。 でも、ちょっと ひなの気持ちになって考えてみた。
例えば今日の夕食。 お父さんは、15分ぐらいで食べ終わるんだけど、ひなは1時間ぐらい掛かる。 どんなにお父さんが早く食べ、ひなが遅く食べても、ひなが食べ終わるまでテーブルから離れないと決めていた父さんは、ずっと ひなを観察してみた。 今日のおかずはロールキャベツ。 ひなは、キャベツを広げ、キャベツの葉についた具を一つ一つ摘んで取っていた。 「具を綺麗に取って、葉だけ食べるのかな。」と考えていたら、食べる気配なし。 取り除いた具をまたキャベツの葉にくるみだした。 そして、満面の笑み。 「ロールキャベツで遊んでいるんだ!」。 食べ物を粗末にしてはいけないと躾けられてきた父さんは、叱った方がよいのか迷ったけど、ひなを見ていたら、楽しかった自分の子供時代を思い出したよ。 もう少し大きくなったら自分で分かるしね。 食べ物で遊びながら、何か学ぶ歳でもあるだろう。
お父さん達は、「夕食の後はこれをして、歯はさっさと磨いて、メールチェックして‥」と、色々なことに振り回されているけど、ひなは一つ一つを楽しんでいるんだね。 「お父さん、楽しいこと、身の回りにいっぱいあるんだよ。 もう少しスローダウンしなさいよ。 楽しいよ。」と言われている気がした。 そう思うと、何でもゆっくりのひなにイライラするより、「徹底的にゆっくりにつきあってやる。」と思える
木
アメリカに来て、初めに感じたことの一つに、木の育て方の違いがある。 アメリカの木の形、バランスは悪い。 桜の木を見てみればよく分かる。 勝手気ままに延びきって、バランス美なんてあったものではない。 しかし、自然に任せて延びているので、時々、ハッとする様な自然美を備えた桜の木がある。
日本はどうか。 日本にある桜は、どれを見ても大抵、綺麗である。 街の角に知らずと佇んでいる桜でも、誰かが剪定したりしてるのではないか。
これらの観察を人間に当てはめてみる。 あっちに延びようこっちに延びようとしている枝を切って美しい桜の木を育てる日本。 全ての桜の木は、剪定する人の想像が実現し、美しい形を整える、と共に剪定人の想像の範疇に納まってしまう。 平均して、どの桜も美しい。 そのようにして育った人間は、「平均」という美を与えられながら、それに囚われる。
好き勝手放題に桜を育てるアメリカ。 全体的には、桜は不恰好である。 しかし、時として、人知を超える自然美を生む。 「平均」であることを強要されず自由に生きられる中、きらめく才能を持った者が誕生するのではないか。
私はそんなアメリカが好きで、できるだけ長く居ようと頑張っている。
$20の意味
先日、University of Marylandで開催されたシンポジウムに出席した。 テーマは、「Urbanization」。 都市化に伴う環境破壊とその対策について討議するシンポジウムだ。 そのシンポジウムで、Alliance for the Chesapeake Bayで取締役員会の議長をしているCharlesという人にあった。 大変重要な役職に就いているにも関わらず気さくな人で、私のような変な英語を話す他社の一従業員にも、普通に話をしてくれる。 御蔭で、有意義な時間を持てた。
さて、シンポジウムが終わり、車に乗って帰途につく。 駐車場の出口で駐車料金を払おうとしたとき、グレジットカードもデビットカードも使えないことが分った。 現金は2-3ドルしか持っていない。 仕方がないので、後続車を押しのけてバックし、列から外れて脇に車を駐車し、ATMを探すことにした。 ところが、ATMを探そうと車から出たとき、先のCharlesが彼の車から降りてきて、私にどうしたのか聞く。 事情を話すと、なんと$20を貸してくれた。 $20を貸してくれたという事実も嬉しいが、変な英語を話す初めて会った東洋人に、返ってこないかも知れないお金を貸してくれた事実に胸を打たれた。 アメリカ人は普通、お金にうるさいのに。
帰宅後、その日のうちに御礼の手紙と、$20の小切手を切って封をし、ポストに投函した。 親切には、直ぐに答えなければいけない。
日本にいるときは、昔はこういう親切があったが、最近はなくなったように思う。 しかし念のため、一言。 私はCharlesが私にしたような親切を、必ずしも全ての人がすべきだとは思わない。 こういう親切は、誰に対しても出来るものではないと思う。 また、そのとき、どれだけ自分が裕福であるかにもよると思う。
$10で亡くしたもの
同じコンドミニアムに住む○人女性に、$10をせがまれて、遂に貸した。 そのお金は、もう帰ってこないだろう。 夜、突然来訪した彼女は赤ん坊を抱えていた。 「この子にミルクとオムツを買ってあげたい。」 彼女にお金を貸したとき、彼女の目の前に12、3歳の彼女の息子がいた。
約束の金曜日の午後、やはりお金は返ってこなかった。 返すように催促しても白を切るだろう。 $10は手切れ金と思って請求しないことにした。
たかが$10の為に、彼女は大きな物を亡くしてしまった。 今後、彼女が我が家の戸を叩いても、もう二度と開けないだろう。
彼女の息子の目には、どう映るだろうか。 自分の目の前で、$10を無心する母。 そして、借りたお金を返さない母を見て育ち、表面上は何もなく過ぎてしまう。 彼も同じような生き方をしていくのではないだろうか。
blog開始
「徒然なるままに」という表現しか、ボキャブらの少ない私には、適切な表現が思い浮かばない。 しかし、気ままに思いついたときに色々なことを書いていきたい。
結婚して、今日(アメリカの日付:11/19/2005)で11年になる。 blogを始めるには良いタイミングだと思った。 結婚あるいは大学卒業以来、いつも「このような生活でいいのか。 今、幸せなのだろうか。 幸せって何なんだろう。」と考えていた。 そして、約3年半前、一年発起して、安定した公務員を辞め、退職と同時に渡米。 米国の環境系のNPOでインターンを1年経験し、その後、採用に漕ぎ着けた。 色々なことがあったが、3年半を振り返って今は後悔していないし、現状に満足している。
約1年前に娘が生まれた。 彼女も、これから色々なことにチャレンジしていくことになると思う。 私が経験したこと、感じたこと、悩んだことが、将来、彼女の役に立てばと思う。 また、僭越ではあるが、娘に限らず、このblogを訪れた方の参考になればと思う。
