朝3時発の徳島港発、和歌山港行のフェリーに乗った。
チケットはフェリーと高野山までほ南海電車に乗る切符のセットで¥2000。かなり安い
フェリーを待つ間ベンチの上で横になってたが眠れるわけもなく、少しでも睡眠をとるためにフェリーでも横になる。
二時間後の朝5時する過ぎ、寝たかねないかのうちに和歌山港へ到着。
ここから南海電車に乗ろうと思うも本日は土曜のため始発は8時まで待たなければならない、ここで時間をロスしてしまうと高野山の山の途中で大変なことになってしまう。3時間も電車を待つことは出来ないのでタクシーを使い和歌山市駅へ移動し、そこから南海電車に乗った。
朝5時半発のなんば行に乗り、なんばから高野線に乗り継ぎ九度山駅に8時過ぎに着いた。

九度山駅
今日は乗り継ぎでの移動が多く仮眠もままらなかった、そんな状況のなかこれから高野山まで24kmの山道を行かなければならない。
九度山町の朝はとても寒い。気温はどのくらいだろうか。
寒さと体の痛み、疲れに耐ええながらの一日になりそうだ。
高野山までの道のりは、高野山町石道という通りを通る。
弘法大師の母親が住んでいた慈尊院から高野山根本大塔まで180基、さらに奥の院まで36基が一町(109m)ごとに建ち並ぶ道だ。町石の8割が鎌倉時代に建立されたもので今もそのまま残っている。
昔、高野山参拝のためこの町石道を通った庶民から天皇までもが一丁毎に合掌をし歩いたという。
先人達の作法をふまえ、自分も町石ごとに合掌していきたいと思う。

真田庵
180番の町石の道が始まる手前に真田庵という場所がある。
ここは関ヶ原の戦いで西軍方についた真田幸村、昌幸親子が敗戦しここに落ち延びて、大阪冬、夏の陣まで住んでいたところだ。
父の昌幸はここで亡くなっている。
真田庵から一キロほどに慈尊院はある。ここ九度山町の名前は、親孝行であった弘法大師が月に九度も高野山から慈尊院に住む母に会いにきたことからの由来した地名だそうだ。
高野山は明治五年まで女人禁制の聖地だったので弘法大師の母親も例外ではなかった。

ここから町石道はスタートだ。
高野山までひたすら山道をゆく。


途中県道に交わる道にある丹生都比売(にうつひめ)神社に寄った。
弘法大師はかつてこの神社で飼われていた白黒二匹の犬に導かれて高野に登ったという。

今日は何も口ににはしていなかったので、神社の駐車場前にあったお土産屋でうどんを食べてから町石道に戻った。
ここまで自販機しかなく食べるモノはが無かった、夕飯までの唯一の食事になる。
神社を過ぎたあたりから、やたらと熊出没注意の看板を目にする。

県道で出会った人に話を聞くと、この時期は冬眠前で熊が栄養を蓄えるために活発になり山道に出てくることもあるという。
一昨日も登山者が熊に遭遇したみたいだ。

山の中を一人で歩いているとだんだん不安になってくる。今日数人会った登山者はいずれも確かに熊よけの鈴をつけていた。
自分の杖にも一昨日までは鈴がついていたのだが、88番大窪寺手前の山道で無くしてしまった。四国に熊はいない、紀伊山地ほど必要である。
勇気の鈴をリンリンリン♪(アンパンマンより)といくしかないようだ。
熊よけのため、杖を地面にバシバシと叩き、熊さん私はここにいますよと存在をアピールをしながら進歩く。
肩と腕がしんどくなり疲れる…
やめだ。
別の方法として、気分も上げるために歌を口ずさむ
ある日~ 森の中~ くまさんに~ 出会った~…♪
くまさんの~ いうことにゃ~…♪
衰弱状態の体力で寝てないこともあり、これも疲れ長くは続かない。
そして、黙って歩く。
いざとなれば、空手初段、英検3級、ワープロ検定2級と腕に覚えのある私。熊と戦う事も辞さない構えだ。タイピングゲームではホセ・メンドーサや聖帝サウザーを倒したことがある。

山も大分進むと雪が積もってきている、標高が上がり気温も下がってきている。
サンダルでの歩行は冷気の通気性抜群過ぎて良く冷えるし、何より底がペラペラなので石や木の根を踏むと激痛が走る。
なかなか修行っぽいではないか。
16時を回るといよいよ山の中も薄暗くなっている。
まさか熊さんたちも、暗くなってから襲うのを待っているのではないか。
徹夜での登山というハンディを既に与えているのでこれは危険だ。
山の中ではどちらが先に相手を捉えるかで運命は左右する。
特に、自分が町石に向かい合掌している時は完全に隙を見せている状態なので熊さんにとっては絶好のタイミングで自分を襲うことが出来るだろう。
もし、熊に遭遇した時の行動を頭の中で何パターンシミュレートする。
これでもし出会ってしまった時は幾分は落ち着いて対処出来るかもしれない。

そんなことを考えながらやっていたら高野山の大門に着いてしまった。
なんだかんだで歩いて9時間もかかった、体力の限界は超えている。
高野山町に入ると、いよいよ白銀世界のように建物は雪を被っていた。これは寒い、標高はおよそ900mである。サンダルの人間が歩けるところではない、道は雪が積もっている。
凍えながら、徳島鳴門1番霊山寺の住職に紹介していただいた無量光院へと向かう。金剛峰寺からほど近い場所にあるこのお寺は若い住職さんたちが多く、応対してくれた数人のお坊さんは自分と同じくらいか、若い人もいた。
ついに高野山まで辿り着き、もう重い荷物を背負い歩くことはない。ここまでやっと来れたんだ。
歩いている時は熊のことばかり気になっていたがもう辛い歩き遍路は終わりを迎えようとしている。
この無量光院に入り、風呂に入って落ち着くとなんだか感慨深かった…明日、奥の院にある弘法大師御廟に行ったら全てが終わりだ。
そういえば、ここの宿坊は紹介されるがままに来てしまったんだけど、おいくらするんでしょうかねぇ汗 お部屋も料理も結構なモノだった…
遍路87日目終了。
つづく
明日は最終回です。
