春節(旧正月)を中国大陸で過ごすことは、非常に愉しい。
わたしはこれまで、上海、雲南、北京、大連、丹東で春節のひとときを過ごしてきたが、今年は、久しぶりに農村(遼寧省内)に足を伸ばし、忘れ難い経験をすることができた。
ホスト側家族とその親類縁者、近所の皆さんを饗(もてな)すため、豚を一頭買ったのである。
わたしは、十数年前にも、とある寒村を訪ねた際、お土産として羊を一匹買い、皆さんとともに舌鼓を打ったことがある。その時に頂いた羊湯(羊肉スープ)が大変美味しく、今でも思い出せるほど強い印象を受けた。そのときから、いつか機会があれば、ぜひ豚を頂いてみたいと、心密かな願いを抱いていたのだ。
春節は中国最大のお祝いであり、この日を祝うことは、家族の団結、親族の親睦の象徴である。わたしはかなり長い間この祝祭に出ていなかったので、50人近く集まる宴席に何か顔の立つものを持って行く必要があった。
そういう実際的なニーズと、わたしの密かな願望が、今回見事に合致したのである。わたしは3,000元也をすぐに支払い、300斤の豚を手に入れたのである。(とはいえ、都市化と交通インフラの整備が急速に進む当代中国でのことである。実際には、よりによって大晦日の午後に豚を一頭購うということは、わたしが思うほど容易な事ではなかったようだ。マイナス20度を下回るほどの極寒の中、わたしの身勝手な思いを満たすため、屈強な農家の若者が、往復6時間もかけて、奥地の農家から豚を運んできてくれた。小雪舞う、すでにとっぷりと日が暮れた後のことであった)
****** ****** ******
ところで、豚を殺(あや)め、これを食するという行為の全体を、わたしはこれまでかなり誤解していた。
わたしはそれらを、大変豪快で、タフで、野性的な行為であると、勝手に想像していたのである。
しかし、全てのプロセスを、朝8時から午後3時までつぶさに観察したところ、実際には、それらは非常に精妙で、考え抜かれ、システム的で、かつ繊細な行いであった。
屠殺者が差し込むナイフの動き、盥(たらい)にドクドクと流し込まれる鮮血の赤。生命(いのち)をうしない、だらりと横たわる豚の死骸を見つめる人びと、体毛を抜き、「食肉」化する作業をおこなうため、死骸に幾度も掛けられる熱湯と、極寒の中で立ち上る夥しい蒸気。頭を落とされ、割腹され、取り出される臓器。腸内排泄物を除けば、およそ捨てるところとてない見事な捌きぶりであった。
わたしは、気の利いた娘が茹で上がる度に一切れずつ運んできてくれる肉片、脂身を片端から胃袋に納め、思わず唸(うな)った。口にするや、その美味が強烈な陶酔感となり、足底まで電撃したからである。「食」に、これほどのエクスタシーがあるということを、わたしは生まれて初めて知った。
大の男8人が、肉を切り、骨を裂き、血を混ぜ、あるいはスープを、あるいはソーセージをつくり、饗宴の下ごしらえをする間、農家の女たちはコマネズミのように忙しく立ち回り、あるいは鯉を捌き、あるいは蟹を漬け、野菜を刻み、巨大な飯鍋で50人分の白米を用意していた。
なにもしないのは、都市に住む男女どもである。ひたすらトランプやら、世間話やらに興じるばかりで、怠慢この上ない。それではおまえはどうなのだ、と言われれば、わたしはスポンサーであり、豚の提供者であり、カメラマンであり、何よりも外国人である。(この辺は、まったくのところ、楽なのである)
あらかた料理が完成し、酒席の用意も整ったところで、シニア、ミドル、それに若僧どもという各階層に分かれて、大宴会が始まった。料理はおよそ20種類。観るだけで腹が一杯になりそうなボリュームである。
わたしは、"外国人特権"を大いに生かし、今回も最長老の隣。幾度も白酒を酌み交わし、ちょうどホロ酔いになったところで、本日の真の主役たる"荒野の八人"、豚を見事に捌いてくれた兄弟たちの食卓に移動した。そしてここでも、とにかく呑んだ。
日本人民はいい奴だけれど、日本の軍国主義はケシカラン、とか言ってきた元海軍の爺様にも、おれは難しいことはわからんが、おれの爺様も海軍(連合艦隊)で、ハワイに爆弾落として、最後はミッドウェイで沈められちゃったけど、まァ呑もう!などと適当に調子を合わせ、人民同士、大変愉快な一時を過ごしたのであった。
こうして、わたしの記念すべき"殺猪(豚の屠殺とその宴席)"は大盛況のうちに終わった。わたしはマイナス20度のなかで、6時間もカメラ片手にはしゃぎ回り、思い出深い一日を堪能した。
ところが、である。農村で丸々四日間を過ごし、大連に戻り、骨休みのためにと、市内で一番高級とされるホテルに入ってから、一挙に疲れが出てしまったのだ。原因不明の腹痛と腰痛とで、結局丸々2日寝込んでしまったのだ。
****** ****** ******
はじめて中国大陸の土を踏んでから、この夏で30年になる。それから、かれこれ10年以上大陸に住んだし、言葉の面でも、最早、ほぼネイティヴに近いレヴェルにまで来ている。
30年の間に訪れた場所は、おそらく大方の中国人より多いであろうし、中央政府官僚から学者、法曹家、銀行家、マスコミ関係者、起業家、国有企業幹部、成金、詐欺師、軍人、公安関係者、腐敗分子、宗教家、失業者、ルンペン、農民等々、わたしには実にさまざまな知り合いがいる。
わたしはたしかに、全身全霊をかけ、この「中国」と、30年間付き合ってきた。
だが、どんなに大陸での経験があろうが、言葉ができようが、畢竟、わたしは鎌倉生まれ鎌倉育ちの坊ちゃん、なのである。
除夜の鐘が三方から響き、新緑の風に咳き込むほどの若芽の匂いを嗅ぎ、しっとりと濡れた小径に桜吹雪が舞う美しい古都。ショパンの音色とフランス語で"ラ・マルセイエーズ"を口ずさみながら裏山の落ち葉を掃くご隠居が其処にいるのがごく普通の、おだやかで、やわらかく、懐かしい里。それこそがわたしの原点であり、風と、乾いた大地と、粗野ではあるが温かみのある大陸の農村は、わたしの生まれ故郷とは似ても似つかぬ、「異郷」そのものだ。
実のところ、わたしは、日本ですら「農村」に行ったことがない。「農村」に知り合いもいなければ、「農家」に泊まったことすらない。それなのに、われながら、中国大陸では随分と無茶をしてきたものである。
硬いオンドルに寝るのも、妙な造りのトイレで用を足す-今回はまだ「洋式」で「水洗」であったから、まだ良かった。以前訪れた農村では、それこそ3~4メートル下の養殖池を"爆撃"するタイプのところもあった-のも、脂ぎった煮込み料理や、山のように盛られた饅頭の類を朝から食べるのも、アルコール摂取以上の価値を全く見出し難く、文化の香りがまるでしない「白酒」も、わたしは、正直に言えば、まったく好きではない。(酒は、明らかに文化の結晶である。わたしは、ブランデーも、ウイスキイも、ビールも、日本酒も、ワインも、良い物は大好きである)
要するにわたしは、自分のキャリアや、見聞を広めるため、あるいは人付き合いのためか好奇心の故に、かなり農村で無理をしてきたのであろう。そして、おそらくはその反動で、都会に戻った途端にダウンしてしまったのだ。
それを、どうみるか。
30年も大陸と付き合ってきて、だらしない、とみるか。
まだまだローカライズ(本地化)が足りないよ、とみるか。
わたしは、実のところ、永遠に、死ぬまで、「ローカライズ」などされようもないと思っているし、そんな"根無し草"にされるほど我が故郷(ふるさと)の文化習俗が浅薄なものではないと100%確信している。
わたしは、永遠に、わたしであるし、鎌倉人であるし、日本人であって、そのままで大陸の人びとと肝胆テラス心の交流、共生、協働ができると信じており、そうして、これまでを生きてきた。
わたしは、中国大陸では、永遠に「客(きゃく)」であり、「客」としてのアイデンティティを辨(わきま)えて生きていく。
最近、日本はダメだから、あるいはダメになりそうだから、海外に、恰も華僑のごとくに雄飛すべし、などと世迷言を語る輩がいるようだが、海外に"雄飛"-あるいは離散-した民族で、なおかつ強烈な凝集力をもつもの-たとえば、ユダヤ人、華人-は、元来ニ千年このかた流浪、離散に耐えてきた強靭な文化凝集力を持っている。
日本人に対して、安易にそのような世迷言を言ったり、唱導したりしてはいけない。そういう事を敢えて言いたいのであれば、せめて、わたしの大陸での経験値を遥かに上回る程の実績や、わたしを軽く凹ますほどに開明的な新思想を示してからにしてもらいたい。
わたしは、「客」として、これからも大陸で生きる。それこそが、本分なのであり、真の相互理解に至るために最低限求められる「謙虚さ」の由来なのである。
わたしはこれまで、上海、雲南、北京、大連、丹東で春節のひとときを過ごしてきたが、今年は、久しぶりに農村(遼寧省内)に足を伸ばし、忘れ難い経験をすることができた。
ホスト側家族とその親類縁者、近所の皆さんを饗(もてな)すため、豚を一頭買ったのである。
わたしは、十数年前にも、とある寒村を訪ねた際、お土産として羊を一匹買い、皆さんとともに舌鼓を打ったことがある。その時に頂いた羊湯(羊肉スープ)が大変美味しく、今でも思い出せるほど強い印象を受けた。そのときから、いつか機会があれば、ぜひ豚を頂いてみたいと、心密かな願いを抱いていたのだ。
春節は中国最大のお祝いであり、この日を祝うことは、家族の団結、親族の親睦の象徴である。わたしはかなり長い間この祝祭に出ていなかったので、50人近く集まる宴席に何か顔の立つものを持って行く必要があった。
そういう実際的なニーズと、わたしの密かな願望が、今回見事に合致したのである。わたしは3,000元也をすぐに支払い、300斤の豚を手に入れたのである。(とはいえ、都市化と交通インフラの整備が急速に進む当代中国でのことである。実際には、よりによって大晦日の午後に豚を一頭購うということは、わたしが思うほど容易な事ではなかったようだ。マイナス20度を下回るほどの極寒の中、わたしの身勝手な思いを満たすため、屈強な農家の若者が、往復6時間もかけて、奥地の農家から豚を運んできてくれた。小雪舞う、すでにとっぷりと日が暮れた後のことであった)
****** ****** ******
ところで、豚を殺(あや)め、これを食するという行為の全体を、わたしはこれまでかなり誤解していた。
わたしはそれらを、大変豪快で、タフで、野性的な行為であると、勝手に想像していたのである。
しかし、全てのプロセスを、朝8時から午後3時までつぶさに観察したところ、実際には、それらは非常に精妙で、考え抜かれ、システム的で、かつ繊細な行いであった。
屠殺者が差し込むナイフの動き、盥(たらい)にドクドクと流し込まれる鮮血の赤。生命(いのち)をうしない、だらりと横たわる豚の死骸を見つめる人びと、体毛を抜き、「食肉」化する作業をおこなうため、死骸に幾度も掛けられる熱湯と、極寒の中で立ち上る夥しい蒸気。頭を落とされ、割腹され、取り出される臓器。腸内排泄物を除けば、およそ捨てるところとてない見事な捌きぶりであった。
わたしは、気の利いた娘が茹で上がる度に一切れずつ運んできてくれる肉片、脂身を片端から胃袋に納め、思わず唸(うな)った。口にするや、その美味が強烈な陶酔感となり、足底まで電撃したからである。「食」に、これほどのエクスタシーがあるということを、わたしは生まれて初めて知った。
大の男8人が、肉を切り、骨を裂き、血を混ぜ、あるいはスープを、あるいはソーセージをつくり、饗宴の下ごしらえをする間、農家の女たちはコマネズミのように忙しく立ち回り、あるいは鯉を捌き、あるいは蟹を漬け、野菜を刻み、巨大な飯鍋で50人分の白米を用意していた。
なにもしないのは、都市に住む男女どもである。ひたすらトランプやら、世間話やらに興じるばかりで、怠慢この上ない。それではおまえはどうなのだ、と言われれば、わたしはスポンサーであり、豚の提供者であり、カメラマンであり、何よりも外国人である。(この辺は、まったくのところ、楽なのである)
あらかた料理が完成し、酒席の用意も整ったところで、シニア、ミドル、それに若僧どもという各階層に分かれて、大宴会が始まった。料理はおよそ20種類。観るだけで腹が一杯になりそうなボリュームである。
わたしは、"外国人特権"を大いに生かし、今回も最長老の隣。幾度も白酒を酌み交わし、ちょうどホロ酔いになったところで、本日の真の主役たる"荒野の八人"、豚を見事に捌いてくれた兄弟たちの食卓に移動した。そしてここでも、とにかく呑んだ。
日本人民はいい奴だけれど、日本の軍国主義はケシカラン、とか言ってきた元海軍の爺様にも、おれは難しいことはわからんが、おれの爺様も海軍(連合艦隊)で、ハワイに爆弾落として、最後はミッドウェイで沈められちゃったけど、まァ呑もう!などと適当に調子を合わせ、人民同士、大変愉快な一時を過ごしたのであった。
こうして、わたしの記念すべき"殺猪(豚の屠殺とその宴席)"は大盛況のうちに終わった。わたしはマイナス20度のなかで、6時間もカメラ片手にはしゃぎ回り、思い出深い一日を堪能した。
ところが、である。農村で丸々四日間を過ごし、大連に戻り、骨休みのためにと、市内で一番高級とされるホテルに入ってから、一挙に疲れが出てしまったのだ。原因不明の腹痛と腰痛とで、結局丸々2日寝込んでしまったのだ。
****** ****** ******
はじめて中国大陸の土を踏んでから、この夏で30年になる。それから、かれこれ10年以上大陸に住んだし、言葉の面でも、最早、ほぼネイティヴに近いレヴェルにまで来ている。
30年の間に訪れた場所は、おそらく大方の中国人より多いであろうし、中央政府官僚から学者、法曹家、銀行家、マスコミ関係者、起業家、国有企業幹部、成金、詐欺師、軍人、公安関係者、腐敗分子、宗教家、失業者、ルンペン、農民等々、わたしには実にさまざまな知り合いがいる。
わたしはたしかに、全身全霊をかけ、この「中国」と、30年間付き合ってきた。
だが、どんなに大陸での経験があろうが、言葉ができようが、畢竟、わたしは鎌倉生まれ鎌倉育ちの坊ちゃん、なのである。
除夜の鐘が三方から響き、新緑の風に咳き込むほどの若芽の匂いを嗅ぎ、しっとりと濡れた小径に桜吹雪が舞う美しい古都。ショパンの音色とフランス語で"ラ・マルセイエーズ"を口ずさみながら裏山の落ち葉を掃くご隠居が其処にいるのがごく普通の、おだやかで、やわらかく、懐かしい里。それこそがわたしの原点であり、風と、乾いた大地と、粗野ではあるが温かみのある大陸の農村は、わたしの生まれ故郷とは似ても似つかぬ、「異郷」そのものだ。
実のところ、わたしは、日本ですら「農村」に行ったことがない。「農村」に知り合いもいなければ、「農家」に泊まったことすらない。それなのに、われながら、中国大陸では随分と無茶をしてきたものである。
硬いオンドルに寝るのも、妙な造りのトイレで用を足す-今回はまだ「洋式」で「水洗」であったから、まだ良かった。以前訪れた農村では、それこそ3~4メートル下の養殖池を"爆撃"するタイプのところもあった-のも、脂ぎった煮込み料理や、山のように盛られた饅頭の類を朝から食べるのも、アルコール摂取以上の価値を全く見出し難く、文化の香りがまるでしない「白酒」も、わたしは、正直に言えば、まったく好きではない。(酒は、明らかに文化の結晶である。わたしは、ブランデーも、ウイスキイも、ビールも、日本酒も、ワインも、良い物は大好きである)
要するにわたしは、自分のキャリアや、見聞を広めるため、あるいは人付き合いのためか好奇心の故に、かなり農村で無理をしてきたのであろう。そして、おそらくはその反動で、都会に戻った途端にダウンしてしまったのだ。
それを、どうみるか。
30年も大陸と付き合ってきて、だらしない、とみるか。
まだまだローカライズ(本地化)が足りないよ、とみるか。
わたしは、実のところ、永遠に、死ぬまで、「ローカライズ」などされようもないと思っているし、そんな"根無し草"にされるほど我が故郷(ふるさと)の文化習俗が浅薄なものではないと100%確信している。
わたしは、永遠に、わたしであるし、鎌倉人であるし、日本人であって、そのままで大陸の人びとと肝胆テラス心の交流、共生、協働ができると信じており、そうして、これまでを生きてきた。
わたしは、中国大陸では、永遠に「客(きゃく)」であり、「客」としてのアイデンティティを辨(わきま)えて生きていく。
最近、日本はダメだから、あるいはダメになりそうだから、海外に、恰も華僑のごとくに雄飛すべし、などと世迷言を語る輩がいるようだが、海外に"雄飛"-あるいは離散-した民族で、なおかつ強烈な凝集力をもつもの-たとえば、ユダヤ人、華人-は、元来ニ千年このかた流浪、離散に耐えてきた強靭な文化凝集力を持っている。
日本人に対して、安易にそのような世迷言を言ったり、唱導したりしてはいけない。そういう事を敢えて言いたいのであれば、せめて、わたしの大陸での経験値を遥かに上回る程の実績や、わたしを軽く凹ますほどに開明的な新思想を示してからにしてもらいたい。
わたしは、「客」として、これからも大陸で生きる。それこそが、本分なのであり、真の相互理解に至るために最低限求められる「謙虚さ」の由来なのである。