「勝利の年」は、大晴天で明けた。

池田会長は言った。

「本日の本陣は快晴だ。私の会長就任式の時も快晴だった。あす2日もきっと晴れるよ」と。

翌2日、会長は恩師の墓参に列車で富士宮に向かった。当時の同行者が語っている。

「車中、先生はずっと唱題し続けておられました。『題目が大事だ。すべては祈りで決まるんだよ』と、

先生は教えてくださいました」

その夜、会長のもとに学会執行部が集まった。会長は言った。

「きょう2日は、戸田先生の命日だ。戸田先生のことが思い出されてならない」

この2日は、池田会長の34歳の誕生日でもあった。直弟子は昭和3年1月の「2日」に生まれ、

師は昭和33年4月の「2日」に亡くなった。

池田会長は、「霧の川中島」を歌うことを提案した。そして、言った。

「この歌は、恩師がお好きであられた。戦いにはこの歌の2番が大事です。2番を歌おう。『まなじりさきてただ一騎』

魔を馬蹄にくだくのです。この精神です。幹部はこの精神でいきなさい。これで『勝利の年』は勝てるよ!」

 

◆証言〔黒柳明さん〕

「勝利の年」への先生の意気込みは凄まじいものがありました。「大白蓮華」新年号にも、池田先生から「『勝利の年』を展望する特集」を

組むようにご指示をいただき、「つぎへの段階」という新春特集を組みました。

「勝利の年は5倍、10倍も激しく戦おう。それだけ前進しよう」と先生は言われておりました。

さらに先生は、こうおっしゃいました。「身の回りの細かな注意が大事です。決して事故を起こしてはいけません」と。

先生は、勝利のためにね魔に付け入る隙を絶対に与えてはならない。競い起こる障魔をすべて打ち破っていかねばならないと、

教えて下さったのです。