震災の影響がまだ残るこの島も、春が訪れる。

多くの機関、学校では入学式中止や遅延、延期が相次ぐ中、中央大は昨日から新入生が

キャンパス内を賑やかにしている。サークルの勧誘などで広いキャンパスもごった返しだが、

例年通りの春の訪れといったとこだろう。


ところで、4月になったということで2年生になった。

後輩もでき、大学生としての風格も徐々に出だした今、

少し考えてみたいことがある。

タイトル通り、"見えているのか。"ということだ。

具体的な内容は後々触れるとして、記事投稿までの経緯を書こう。

この記事を書き、投稿するのはすごく迷った。

なぜなら、同世代の人間の事なのに俯瞰的に高見の見物をして、

偉そうな内容となっているからだ。

極力、読者の気に障らないように書く努力をしようと思うが。。


では、1つ言いたい。

「大学生活、やりたいことたくさんあるー」

「なんか、国際的な仕事が好きでー」

このようなセリフをキャンパス内で聞くと、発展途上さを感じる。

最も大きな理由は、抽象的過ぎ。漠然とし過ぎ。

もちろん、これらのセリフを発した人全てを否定するわけでもなければ、

その人なりの考えがまとまりきらず、苦し紛れのセリフだったのかもしれない。

大学は、社会への直結を意識して多くのプログラムが用意された場所である。

それは留学であり、インターンであり、ゼミであり、サークルでもある。

しかし、これらはあくまで経験でしかない。

その経験から、"で、何なの?"、"で、どうしたの?"

と聞かれたとき、自分の経験を具現化できる人は少ない。

例えば、インターンで海外へ行くプログラムが設置されていたとしよう。

発展途上国で衣食住に満足できず、幼い子供の命が失われるという現実を体験したとする。

この状況の時、先ほどのような抽象論を思わすセリフを言う人は、

"発展途上国に行くこと"を目的にするだろう。

まさか、エントリーシートや企業の面接で、

"○○○に行きました!"と、言えるか。

目的はその"経験"をして、今自分がどうすべきかを具現化すること。

"だから自分は○○について個人的にムーブメントを起こしました。"

"経験と通じて、このような資格を取りました。"

など、同じ4年間で実績を作れる人間と作れない人間の差は歴然となる。




"国際的な仕事がしたい?"

じゃあ今そのために何してますか? そもそも国際的な仕事って何?


"やりたいことがたくさんある?"

じゃあそのうちどれだけのことを経験できたの?


抽象論を語っていると空っぽの4年間で終わる。

1年間の大学生活を振り返った自分への反省文のように感じたが、

この1年は実績を作りたい。大きく前進したい。