ついさっき、退職についてわからないことがあったので労働基準監督署で色々質問してきた

労働基準監督署は本日で今年の営業が終わりということもあって

こちらは殆ど喋らせてくれず、一方的な早口「巻き」の形で説明されて追い返された

とはいえ、かなり物腰も柔らかく親身な説明だったので不満というものは感じなかった

 

ただこのご時世、職を失うと先立つ物が無くなるので熟考された方が良いですよと言われたのが引っかかった

別段変わったセリフでも無いのだが、上司に辞意を伝えた時も言われた。肉親にも言われた

形式的な返し言葉なのかもしれない。けれど僕は別に無職になるのではない

まるで金を稼ぐ手段が会社で働くこと以外無いと言われているように思える

 

僕が仮に軽貨物の仕事をアマフレで請け負ったり、せどりで稼いだり、仮想通貨等を売って

儲けて生活できるようになると何と言われるだろう。おそらくまともな目で見られなくなる気がする

アルバイトの掛け持ちして生活しても同じだろう。

半分遊びみたいなことしてないでまともな仕事しろと言われるに違いない

いや、その感覚は自分にだってわかる。。結局周りの目というのは自分の心の鏡みたいなものだから

 

安定した企業に属していれば安定した給料が得られるのはわかる。

でもその位置から浮上するのは才能と努力と忍耐が必要になる。

その忍耐に見合った見返りがあればいいが、その殆どは経営陣や

仕事ができない部下に吸い取られてしまう。仕事ができれば多少、役職は上がっていくが

「その役職だからできて当たり前」と言われて、心は捻くれて腐っていく

 

勤め人であると、やり甲斐や周りに頼りにされることが励みになるのだが

それも限界がある。後は自分より下の人間を見つけて地位を確かめるしかない

何が言いたいかわからなくなってきたけど、やっぱりサラリーマンてクソだわ

 

 

 

前から気になっていたが、アマゾンフレックスという

軽貨物車両で配達をする仕事が広がってきているらしい

自分が住んでいる半田市にも集荷ステーションがあるし

県内にも8箇所もステーションがある。これは愛知県に住んでいてラッキーなのかも

 

必要なのは黒ナンバーの軽ワゴンなのだが、購入しなくてもリースでいけるらしい(レンタカーはNG)

オファー(仕事)が取れなくて辞める人もいるらしいが、自分が住んでいる場所からは

岡崎・名古屋南区のステーションも近い。

 

問題は続けられるかだけど、自分は材木を配達していた経験が一応ある。

ただ、腕力よりもスピード勝負と聞いてるのでいかにテンパらずに効率よくやれるかだろう

あとはアマゾンのスマホの地図アプリ(ゼンリンの住宅地図まで見れるらしい)

を使いこなして何とか乗り切れればと思う。

 

ということを考えて関連するユーチューブの動画を見ていたらかなり本気にやる気になってきた

素人が軽貨物で開業とか、プロの方に笑われるかもしれないが、面白そうという気持ちが先行してきている

 

割りとハードな仕事だろうが週3日なら何とか続けられそうだ

当面は男一人分食い繋げればそれで良いので月15万何とか稼ぎたい

車のリース料やガソリン代等もかかるので月5万くらい引かれるだろうが。。

 

で、残りの週4日は他の仕事を考えて埋めていけば何とか形になりそうだ

2日は休みたいので残り2日を何とか仕事を。。

 

半田のアマゾンステーションを見に行ったら運送会社の隣にある

ボロボロの廃工場のような所だった。。本当にここで合っているのか

 

とりあえず今の会社を辞める準備でもしていくか

 

一ヶ月くらい前に山を買いたくなって、蒲郡の形原温泉あじさいの里に行ってきた

場所はその一番奥、山麓苑あたりにある100坪程度の別荘用地のようなとこだった

 

小屋のような建物くらいは建てられそうだし、隣にある区画でも小屋が数棟建っていた

しかしこの草ボーボーな状態を一から綺麗にするのは大変そうだし

何よりお隣さんがいると住むにはちょっと落ち着かなそう。

周りから誰にも見られない場所を求めてきたので、そのまま帰ろうとしたのだが

平日の昼間からこのひなびた廃墟のような場所にお洒落なカフェがやっていたので

コーヒーを一杯飲んでいくことにした。

若い店主が一人でやっているようで気さくに話しかけてくれた。

その店は知り合いの居抜き物件らしく、キッチンや席はそのまま使わせてもらったらしい

それでも店を開くときは勇気が必要だったらしく、勤めていた会社を辞めて始めたがドキドキだったらしい

 

店主がいろいろな話をしてくれているうちに、スーツを着た営業らしき人や、大学の後輩だという絵描きの若者が

入って奥のアトリエで絵を描き始めた。部屋が開いているので使わせてもらっているらしい

起業家同士の繋がりが羨ましいと思ってしまった。漫画家が集まるトキワ荘のようで

気分転換にもなるし、お互いを高めあることができるんだろう。

自分も起業するからには人との繋がりを大事にしていきたい

 

コワーキングスペースは名古屋には結構ある。刈谷や常滑にもあるらしい

車を少し出せば行けると思うが、有料となると構えてしまう

町や県がフリーランスのために無料で提供してくれるスペースがあれば

起業家が気軽に集まる場所ができて発展していくと思う。もしくは自分で作るかだ

公民館等、公共施設で開いている部屋を常時開放してくれたり。。

 

あとは。。店番をたまにやるので店舗の片隅を使わせてくれないだろうか笑

久々に思い出したように書きたくなりました

起業ってどうやったらできるんだろう?

いや、開業届を出せばそれで個人事業主にならなれるんだろうけど

食っていくための仕事を獲ってきたり、それを続けていくのは大変なんだろうなって

 

僕は社会人になる前から自分はいつか起業するんだろうと漠然と思っていました

父親は45歳くらいで脱サラして自営業やっていたのでそれを見ていた自分もきっとそうするんだろうと

 

そういうわけで僕は会社で仕事していても、一生この仕事やるわけじゃないし

責任や人間関係もほどほどにしてきた。あまりに重要なポジションにつかさせられそうになると

テンションが下がってくる。でも自分も40半ばのまあまあな年齢なので

会社側としてはどうしてもそれを押し付けざるを得ないのだ。それはわかっているので

気持ちが重くなろうとも無理やりそのポジションはこなしてきた。

 

しかし腰掛けのつもりでいる会社生活でそれをする意味は何なんだろうと

夜勤もある会社なのでトラブルがあると深夜や明け方にも容赦なく電話がかかってくる

本当、スマホの着信音で心臓が止まりそうになる。原料や機械トラブル、人間トラブル

それを時間外に対応して収束させなければいけない。

本音は、それくらい現場に居る人間で何とかしてくれって思う。俺は寝てるんだから!

 

自分勝手かもしれないが、今サラリーマンとして命を削っている行為自体にどうしても意味があるとは思えない

会社の奴隷?良いように使われているだけ?それなのに得られる報酬は平均収入未満かよって

 

この苦労を自営業に費やしたい。俺はまだ情熱も体力もたっぷりある。若い頃に比べれば減っているかもしれないが

この先60歳、70歳になった時振り返ると40代というのは、身体も自由自在に動くし

バッテリーはほぼ満タンといっても良いだろう

 

個人事業主ならやった分だけ見返りがあるし(きっとそうに違いない)

ノウハウの蓄積も自分だけのものだ。サラリーマンの場合は転職するとゼロとまではいかないが

また仕事を覚えて一からやり直しとなる。

 

コロナ禍の時代になってから2021年頃、フリーランスが日本でも飛躍的に増加したらしい

副業の人もいるけど、日本の労働人口の24%まできているとか

確かに今はスマホ一台あれば仕事できるし、クライアントも見つけることができる

ITの進化によって開業の敷居は極端に低くなっているのだ

 

体力も、貯金も十分にある今しかやる時が無い。

定年もあてにできないこの時代、75歳迄サラリーマンは無理があるだろう

2023年3月を目標に会社を辞めて起業することを宣言します

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は数年前、日本一周するために北海道まで自転車で旅していたことがある

毎日とめどなく続くサラリーマン生活から離れたく、家と会社をひたすら往復するのに疲れて

仕事を辞めて自転車で北海道を目指して旅立ったことがある。

結果的にそれは日本一周でなく半周で終わったのだが(いい加減に帰って来いと言われた

外で寝る生活というのは常に気が休まらないということがかなり理解できた

 

勿論そんな生活を3ヶ月もしているとそれが当たり前になるのでぐっすり眠ることができるのだが

(眠ったつもりになるのだが)あと、毎日自転車を漕いでいるので、コンビニの安ワインを半分も飲むだけで

死んだように眠ってしまう。でもそれは真に安心のある眠りではない。

 

3ヶ月の半ホームレス生活を終えて(実際は外だけでなく、一泊500円程度の

ライダーハウスや旅で知り合った人の家にも泊めてもらっていた)

実家に帰ると何か凄い違和感がある。「家」という密閉された「箱」なのだ

今までずっと外に居たせいで普通に住んでいた家の中がやけに狭苦しく感じてしまう

というか、むしろ息苦しい

外に居たと言っても田舎の自然の中だけでなく、東京付近の都会に行くと

街中の河川敷や建物の隙間にテントを張って泊まったこともある。開放的とは程遠い場所もある

 

それでも実家、長年住んでいた空間ですら、建物の中と外とではかけ離れた密室感があるのだ

 

友人と家族の歓迎酒の後

日本半周の旅をとりあえず終えて自室のベッドで久々に眠ることにした。

周りを天井と壁に囲まれた息苦しい部屋だったが、それはとてつもない安心感だった

その日はこの三ヶ月間に無い程にぐっすり深く眠ることができた

家って雨風凌げるだけでとてつもない安心感を得られるものだ

後は、インターネットがやり放題なのが凄く嬉しかったw

(外に居ると携帯電話のバッテリー切れを常に心配していたのでそこまで触れなかった)

 

今現在は元通りのサラリーマン生活になってしまったが、当時を忘れて開放的なテント生活に憧れる毎日だ

当時のカスな経験を肝に刻んで打ち消していこう