2月11日の柳本さんと橋下市長の討論会を私なりに総括してみました。

1) 東京都は一人当たりの負債が少ないという橋下市長の主張。それは首都機能があり、一極集中であり、東京都一人勝ちだからで、何も「都になっているから」ではない。

2) 盛んに大阪市が大阪府の仕事をしている、それがあかんのやみたいな話をされていましたが、そもそも政令市は、「都道府県が持っている権限の一部を「市」に移す」為に作られた」ものです。
その目的通りのことをやって、だからあかんと言われても、そりゃあないでしょうっていう話ですよね。
橋下さんが言っているのは、全ての政令市があかんと言っているのと全く同じです。そんな無茶苦茶な~って話ですよね。

3)「大阪会議」で市長や知事と議員が一緒になって調整するということが、「予算編成権」を奪うことになるって、ありえないことを言う。誠に短絡的でかつ権力に固執する人らしい考え方である。
予算編成は当然府と市で各々やっていく。大阪会議が予算編成するわけではない。広域に関わるプロジェクトを大阪全体の経済の発展を考えて、府と市の役割を調整していく極めて健全な会議。予算編成権とは、何ら関係ない

3) 保育所の通学区域の問題について、近くの他の区に通えないという不自由が生じるという事実に対して、そんなものは、区長同士で調整すればすぐに済む話と歯牙にもかけない言い方をしていたが、実はこのあたりもとても重要。
そんな簡単に調整ができるのであれば、維新が言うリーダーを一人にしないと決められないという論拠が成り立たない。何事にも調整が必要で、5区になれば、調整しなければならないことは、府と市の5倍以上出てくるということにもなりかねない。
このあたりが中学給食でも見られたように実務に対して疎い橋下市長がおこなっていく政策がことごとく市民に迷惑や犠牲を強いるものに繋がる危険性があるということを証明している。

4) 財政調整すれば、問題ないようなことを橋下市長が言われていましたが、このあたりが問題だと思います。三橋さんが言われていた東京都の場合は、23区に東京都の70%が居住しているのに対して、大阪市域は、大阪府の30%の人口しか住んでいないというところが実際の配分を行う時に問題になってくると思います。30%しか人口がないから、もっと大阪府の他の所に配分せよと言われたら、果たして、橋下市長が口約束している大阪市域への配分は減らさないということが守れるのでしょうか?議員の数が人口比で特別区が圧倒的に周辺都市の議員数よりも少ないことを考えると、民主主義の原則から周辺市の意向が優先されてしまうだろう。

6)やはり、橋下市長には、決めつけが多い。
柳本さんが、東京は、税収が豊かだから、銀行のような失敗があっても、大きな問題にはならないし、23区間の間でも曲がりなりにも不満が少なくてすんでいるとおっしゃったことは、誠に当然のことだと思う。
これに対して、橋下氏は、根拠も示さず、これは、配分の問題なんですと決めつけている。このあたりも、大いに疑問が残る。
大阪市域が大阪全体の成長のエンジンであったからこそ、大阪市域への投資が多くなってきていたはず。その結果を配分の問題だと片付けてしまうのは、やはり納得できない。

7)都市関連携の方が都道府県を超えて協同できるという柳本さんの主張はまさに関西連合を推進していくエンジンになっていく考え方でもあり、やはり、こちらの方が優れていると思う。
メディアが、あまりにもきっちりと報道しないので、久し振りにブログに書いてみようと思います。

私が、書いている内容は、少し調べれば誰にでもアクセス可能な情報をもとに書いています。

それを報道しないのは、メディアの怠慢だと思います。

まず、第一が今回、どうして、選挙になるのかということですが、大都市協議会で、橋下氏側から、提出された工程表に則って、議論が進められているという現状があります。
そして、その工程表では、9月頃までに4つの案を1つの案に絞るということが定めてあって、その審議をしている途中といういのが、1月末の時点でした。

その中にあって、橋下市長が、急遽5分割の案一つで審議すると言い出したわけです。
5区の案に絞る理由も十分に開示されていません。
だから、維新の会以外が反対したということです。
それに対して、橋下氏は、民意を問うと急に選挙を言い出したわけです。
これが納得できる市民はいないのではないでしょうか?
なぜなら、なぜ5分割で進めるのがいいのかという説明もなければ、他の3案との比較もありません。
このような状況でどのように大阪市民に選択せよというのでしょうか?
選択できるわけが、ありません。だから、大義がないというのです。

橋下氏は、巧みに言葉を操って、論点を微妙にずらして、大阪都構想の設計図を作ることに関して民意に問うと言っていますが、本来は、5分割の案に絞って設計図を作ることに民意を問うというのが、今回の本筋です。
そして、そこには、4つの案の比較もなければ、なぜ、5分割でなければならないのかという説明すらありません。
市民に、根拠なく選べと言っているに等しいのです。
何を選ぶのかが分かって選挙できる市民はほとんどいないのではないでしょうか?

選択肢がない選挙ってあり得ません。

上記の理由から、今回、選挙になったとして、本来、何を信託されたのかが、市民が全くわからない選挙になってしまうのです。
そのような選挙に6億のお金を使うのは、無駄以外の何物でもありません。
候補者立てなければ、選挙は、行われませんから、ゼロというわけには、行きませんが、6億も使うという馬鹿な使い方は防げるわけです。
だから、維新以外の政党が候補者をたてないのは、真っ当な考え方であると私は、思います。
石原慎太郎氏が統治機構を変える為に国政に出ると言う。
そして、俺はもう80だよ!どうして俺がやらなければならないんだ。
もっと若いやつらしっかりしろよ!とおっしゃられた。

この言葉を聞いて2つの思いが交錯した。
一つは、ああ、この人は、この年になっても国の為に頑張ろうってされているんだなあ。偉い人だなあという思いと

もうひとつは、80歳の人がどれだけこれからの日本を担っていけるのだろうかという思いである。
80歳には80歳の為すべきスタンスがあるのではないかと思う。
どんなにじれったくても、じっと我慢して、後輩達を見守り、蔭から応援することである。
自らが前面にたって動き回ることではない筈だ。
なぜなら、残念ながら、もし万が一自らが舵取りをあやまったら、それを修正したり、過ちを正す時間が残されてはいないからだ。
自らの尻をふけないことが、はっきりしている限り、前に出てはいけないのではないだろうか?


この人の見ている日本とはどういう日本なのだろうか?
私が穿ち過ぎなのかもしれないが、私には、この人が見ている日本が高度成長時の
華やかなりし日本でしかないように思えてしまう。
世界と経済で伍して戦ってきて、敗戦国から、めざましい経済発展を遂げた日本を
未だに夢見ておられるのではないだろうか?

はっきり言って時代はもう変わったのである。
あの時の日本に戻ることはできないということを直視できない政治家は本当に大きなかじ取りを誤る。

経済の繁栄が国民の幸せに結びつくと考えひたすら走ってきた時代。
額に汗して働くよりも、投機や金融で儲けることを覚えてきた時代。
そして、バブルが弾けた後に来た大不況、そして、後進国からの追い上げ。
さらに輪をかける人口減少と少子化及び高齢化社会。

今、日本は、本当に大きな岐路にたたされている。

いや、日本だけでなく、アメリカも、EUも、そして中国もうまくいっている国はないと言っても過言ではない。
世界が新しい方向を見いだせないでいるのである。

そんな中にあって、石原氏は、今のままだと日本はどんどんダメになっていってしまうと言う。
さらに、原発とか消費税とか大事な問題かもしれないがささいな問題だとまで言う。

この人の大切な問題とは何なのだろうか?
平和憲法の破棄であり、戦争放棄を破棄して軍隊及び核兵器を保有することなのだろうか。
若い者達を鍛える為には、徴兵制の導入にも賛同を示す。

この人は、日本を戦争へと導きたいのではないのかとさえ、思わされる。
いや、石原氏が言っていることを着実に実行していけば、戦うことを辞さない国家に
なっていくのであろう。

本当に日本がすべき選択はそういう方向なのだろうか?
再び経済成長にのみ血道をあげて、さらに軍備まで拡張して、戦争のできる国を目指すのだろうか?
力にものを言わせて、国益を優先し、自国の繁栄のみを追求する国家を確立するのだろうか?
統治機構を変えることで、官僚支配は脱却できるのだろうか?

そうではない筈だ。
高齢化社会をいち早く迎え、かつ、経済成長のピークを経過した日本が、目指すべき道は、GDPではなく、GNH(Gross National Happiness)の追求ではないだろうか?
GNHを日本でいち早く、提唱された天外司朗さんに、どうして政治ではGNHを政策
として打ち出さないのかを質問したところ、やはり経済成長を言わないと票に結び付かないんだよと教えられた。
今の混迷の時期にこそ、GNHを前面に打ち出す政治家に出て欲しいところである。
お金が目的ではなく、お金が幸せではなく、幸せが目的であり、世界中が幸せを共有できる道を先頭を切って求めていく。

そういった国家の進むべき道を指し示すことによって、統治機構が本来の機能を果たしていくようになるのではないだろうか?
恐怖政治によって、官僚を管理するのではなく、官僚自らの意思によってよりよい国家となっていく道を政治が指し示すのである。
国民の幸せを自らの幸せと感じる官僚機構になることによって、官民が一体となっていく。
そうあってこそ、日本が世界に行く道を示す国家になっていけるのではないだろうか?

経営の世界では、すでにそのような企業が世の中に生まれてきている。
国家でも同じことができない筈はない。


日本は、ある意味で世界からとても尊敬されているということをこの人や橋下氏はわかっているのだろうか?
日本人には、本当に素晴らしい資質があるのである。

BBCの調査で日本の好感度は、世界一にランキングされているのである。
争いでしか色々なものを勝ち取ってこれなかった狩猟民族であるアングロサクソンを中心とした白人社会からは、手練手管や奇策のない朴とつで下手な外交と平和憲法のもとで、黙々と経済発展を遂げてきた農耕民族である日本がとても奇異にうつっているし、また、好感を持って見られているのである。

日本の文化や経済が世界で高く評価され、かつ、日本人の奥ゆかしい、謙虚で、親切なキャラクターが世界から好まれているのである。
さらに、世界中の若者達が日本に憧れ、日本を好きに国家と評価してくれている。

石原氏や橋下氏が歯がゆく思っているような日本人の優しさや争いを好まない平和な気性が世界で高く評価されているとも言えるのではないだろうか。

その国を、駄目な国だと罵り、根本的にやり直さなければならないという石原氏や橋下氏は何を見ているのであろうか?

あらためて、アインシュタインの言葉を思い出す。

『世界の未来は進むだけ進み、その間幾多の争いは繰り返されて最後に戦いに疲れるときが来る。
その時人類は誠の平和を求めて、世界的な盟主をあげなければならない。
この世界の盟主なるものは武力や財力ではなく、
あらゆる国の歴史を抜き超えた最も古く尊い家柄でなければならぬ。
世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。
それにはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。
我々は神に感謝する。日本という尊い国を創ったことを。』

石原氏が晩節を汚さぬことを願ってやまない。