みんなの党 広瀬雅志公式ブログ
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ここで一番不可思議なのは、どうしてみんなと維新が合流できなかったのかという点だ。

みんなは、言わば元祖第三極。自民党で閣僚も務め公務員改革などで実績もあ
る渡辺氏が、自民党が与党であるにもかかわらず、麻生政権の行革政策が官僚
によって骨抜きにされることに愛想を尽かして離党した時には、たった一人の
反乱と言われた。その反骨ぶりは今日まで全くぶれていないことは確かで、そ
の点は、橋下氏も一目置いていると思われる。

橋下氏の府知事時代からブレーンを務める原英史氏は、渡辺行革担当大臣時代
の補佐官で、まさに官僚との大戦争での盟友である。真偽はわからないが、そ
の原氏を「貴様が原か!出て行け!」と当時自民党行革担当の幹部だった片山
虎之助議員(元たちあがれ日本、前太陽の党メンバーで、現在は維新)が恫喝
したという逸話が伝わっている。何かの因縁を感じざるを得ない。


やっぱり官僚たちが蠢いていた

みんな、維新の連携に陰がさしたのが、8月の橋下、渡辺氏のバトルだ。橋下
氏が、みんなの党に解党を迫ったのが渡辺氏の逆鱗に触れたというのが一般の
理解だが、それには維新側のやや傲慢な姿勢が大きな影響を与えたと考えられ
る。

当時絶頂期だった維新のメンバーの多くは、みんなの力など必要ないという考
えの人が多く、橋下氏も当初は、みんなの力が必要だと考えていたのに、途中
から、自分たちだけの方がむしろ得だという判断に傾いたのではないか。

そして、実は、その時維新に最も大きな影響を与えたのが、官僚と一体となっ
た自民党守旧派のささやき作戦である。


自民党には既得権益に切り込みを掛けているみんなの党にアレルギーがある

自民党には、みんなの党への強いアレルギーがある。何故かというと、みんな
は、常に既得権との戦いを掲げ、自民党の支持団体の既得権に切り込む規制改
革などを強く主張していたからだ。もちろん官僚も、みんなの公務員改革案に
強烈な反感を持っているので、彼らが、自民党の守旧派と組んで、「維新が将
来政権をとるなら自民と組むのだろうが、それならみんなとの連携は止めたほ
うがよい」と維新のメンバーに様々なルートで働きかけたようだ。

維新のメンバーから見れば、みんなの党の力は不要と思い始めていたところに、
みんなはかえって足手まといになるという見方が広がった。そこで、一方的に
みんなが飲めないような高いハードルを示して、みんなの側から断らせようと
したという見方が有力なのだ
いずれにしても、そこから両党の関係を修復するまでにはかなりの時間がかか
るのだが、江田憲司みんな幹事長と松井一郎維新幹事長らの努力もあってよう
やく政策合意にこぎつけ、選挙協力もバッティングする選挙区があと2、3とい
うところまでこぎつけた所で太陽との合流劇が起きたのである。

一方、維新と太陽の合流は、みんなと維新の合流にはるかに大きな障害となっ
て立ちはだかることになるのだ。


維新の会とみんなの党が2日前に合意していた合意書から太陽と一緒になったとたん「改革」の文字が全て見事に消滅

太陽の党のもともとの母体は旧たちあがれ日本である。そのメンバーと言えば、
平沼赳夫氏のように郵政民営化反対に命を賭けた議員や、先に紹介した渡辺氏
の天敵である片山虎之助氏や園田博之氏ら、官僚に近く、古い自民党の代表み
たいな人達ばかりである。消費税、TPPや原発など主要政策で見てもみんなの
党とはもちろん、本来の維新の政策とも全く真逆であった。維新・太陽の合流
が野合と言われたのにも一理ある。

維新・太陽の合流劇では、かなりの程度、太陽側が維新側に歩み寄ったという
解説が行われているが、真実ではない。

そこには、双方がどうにでも読めるような玉虫色の表現、つまり、典型的な霞
が関文学でできた文章が並んでいた。この合意のわずか2日前の15日に発表さ
れたみんなの党と維新の会の合意事項と比較すれば一目瞭然だ。

みんなとの合意にあった公務員改革、医療、農業などの規制改革など、改革と
いう文字が全て消え、財務省が嫌がる歳入庁設置などもなくなっていた。つま
り、既得権との戦いを全て放棄したかのような印象を与えたのである。

こうした維新の変節ぶりは、みんなの党には衝撃だっただろう。一気に維新に
対する不信感が高まったのは想像に難くない。政策第一のみんなから見れば、
こんないい加減な政策を掲げる新しい維新と合流など出来るはずがないという
ことになるのは当然だ。

渡辺氏が、維新に対して、たちあがれメンバーを切れと迫ったのもある意味当
たり前のことだろう。政策面でみんな・維新の合流は難しくなった。


メディアが書かない橋下氏の酷さ

しかし、維新・太陽の合流は政策面よりもむしろ選挙区調整の面でみんなとの
合流を事実上不可能にする効果を持っていた。2、3の選挙区を残して選挙区調
整が進んでいたのに、太陽の党が合流してから、突然、元たちあがれ系の候補
者を大量に維新が公認し始めたのである。

みんなの候補者は、2年も3年も地元で活動してきた、しかもかなり質の高い候
補者が自慢だった。にわか仕込みではなく、また、どこかの政党で落ちこぼれ
たロートルでもない、しっかりした候補だという自負がある。それが、告示ま
でほとんど時間がないところで、維新側から対立候補をぶつけられ、50:50で
調整しようとか、果てはじゃんけんで、という橋下氏の発言が出て、みんなの
側は心底あきれ果てたという心境になったと思われる。

そして、それは太陽が思い描いたシナリオ通りにことが進んだという面がある。
太陽としては、前述したとおり、みんなとの連携は、選挙後の自民守旧派との
連携がやりにくくなるので絶対に阻止したい。そのためには選挙区調整で嫌が
らせをするのが一番手っ取り早いと考えた可能性がある。

その頃石原氏はたちあがれメンバーのごり押しを止める動きはしなかった。何
故なら、石原氏としては、とにかく伸晃、宏高の二人の息子の選挙区に維新が
候補者を立てないでくれという希望がある。親心としては当然だが、そういう
利害関係を持っている以上、他の選挙区で誰かに譲れなどという偉そうなこと
は言えなかったのだろう。

かくして、政策でも選挙区調整でもみんなとしてはとても合流など出来ない状
況に追い込まれていったのである。

こうなると、あとは決裂の責任をどうやって相手に押し付けるかということに
なる。ここでも、橋下氏のやり方は、結果的にみんな側の神経を逆なでする。
テレビで合流を呼びかけ、また、留守電でこう伝えたなどとマスコミを利用し
て、いかにも自分たちがみんなに手を差し伸べているのに、みんなが頑なに断
っているという演出をしようとした、とみんなの側は受け止めた。

少なくとも客観的には常軌を逸したやり方で、そう見られても仕方ないだろう。
現に、マスコミの間では、維新に対して、あまりにも酷いやり方だという見方
が広がっている。ただ、選挙直前ということで、各紙ともあまりあからさまな
批判は抑えなければならず、こうした舞台裏は、わかっていても書きにくいと
いうことで、表には出ていないのである。


維新の選挙公約に見る霞が関文学

「ただの例ですから」という言い逃れ
29日、世間が注目する維新の政権公約「骨太2013-2016」が発表された。その
内容をざっと見て感じたのは、様々な面で「霞が関文学」と言ってよいテクニ
ックが使われているということだ。いくつか例示を挙げてみたい。


 1. 骨太本文と政策実例の違い
今回の「骨太」には、本文とそれに付属する「政策実例」とが含まれている。
実例集は単なる例示に過ぎないので、必ず守るというものではないはずだ。た
だの例ですからと言って逃げられるようにしてある。ちゃんと約束しているの
は骨太本文だけということなのだろう。

民主党は、30年代ゼロを閣議決定できず、付属文書に落としながら、30年代ゼ
ロと決めたと言い張ったが、まさにそのやり方を思い出す。本文は当たり障り
のないことだけが並んでいる。ただ、憲法改正だけは何が何でもやることだけ
が伝わってくることに違和感を感じる。


 2.「既得権と闘う成長戦略」が本文から落ちている。
これは、ものすごい後退だ。
維新八策では入っていた。今回の選挙の最大の争点にして欲しかったテーマだ
が、関連の項目が全て実例に落ちてしまっているので全く迫力がなくなった。

結局、本文には、厳しい話は入ってない。しかも、実例の中の農業、医療など
について書いてあるところだけ、重ねて (例)、と書いて、決して具体的に約
束してるわけではありませんよ、というニュアンスを色濃く出している。他の
実例のところには、わざわざ(例)などとは書いていない。

たちあがれがごねて、農協、医師会対策としてやったのだろうが、かえって目
立ってしまった。

霞が関文学の技に溺れたケース。


 3. 「脱原発依存」と脱原発の違い
脱原発依存はゼロにしないことを含むということで、当初、菅さんや野田さん
をを抑えるために経産省が考えた言葉だ。「依存」とは、頼ること、もっと言
えば、それがないと生きられないという意味だね、と来る。1割くらいなら、
頼ってると言えないよね。すぐに他に代えられるから、というように使う訳だ。
2割だとまずいかな。15%までならいいだろう、ということで、30年15%に落す
ための霞が関文学。ただし、あまり説得力を持たない、ひとりよがりのケース。

いずれにしても、ゼロにするかどうかが争点になっているのに、わざとそれを
隠そうとしているのは卑怯だと言われるだろう。


「既設原子炉フェードアウト」と「既設」を付けた理由
自民党は、「リプレース」、つまり、「建て替え」で原発は維持する作戦だ。
この部分は、多分、たちあがれがそれに合わせようとして書いた霞が関文学だ
ろう。
「新設」は認めるか?と聞くと、認めないと言う。これは、新しいサイトは作
らないという意味だ。サイト内の「増設」は?と聞くと、これもやらないと言
う。
さらに、「40年廃炉」も厳格に守る、と言う。実は、厳格に、というのは例外
があるのが霞が関の読み方だ。本来は例外なく、と言うべきなので、ここにも
トリックがあるが、普通は気づかない。

新設なし、増設もなし、40年廃炉原則は厳格に守る、と聞けば、「それなら、
ゼロになるな」と誰もが思う。それが狙いだ。実は、その先があり、「建て替
え・リプレース」もやらないのか? と聞くと、古いものを動かすより、新し
いものにした方が安全でしょ?と答える。つまり、建て替えは認めるというこ
と。建て替えを認めると、いつまでたってもゼロにはならない。たちあがれが
入れさせた文言だろう。

フェードアウトという言葉で、ゼロに向かうのかな、それなら前進、と錯覚さ
せる。きれいな文言を出しながら、実は正反対の原発維持を狙うやり方。かな
り高度な霞が関文学。裏に官僚がいると思われる。

片山、園田氏らは、こういう仕事のプロだ。守旧派官僚に支えられながら原英
史氏と戦って腕を磨いたとしたら皮肉な話だ。


 「女性労働力の徹底活用」という言葉に表れた上から目線の男の発想

この表現は、女性を経済成長のために働かせればいいという発想だととられや
すい。前近代的な言い方だ。女性の自己実現や働きやすい環境の整備とか、職
場の提供とか、女性の立場に立った発想ではない。こういう考え方だと男社会
の悪い面が女性にもさらに広がり、どんどん強化される可能性がある。