「ギュワーン、ギュルギュルギュルー!」

 

先生の手から、とんでもないチェーンソーのような恐ろしい機械を持ち

 

私に向って「今からかゆいのをとってあげるからね~」と、優しく言う。

 

「ギャー怖いよー!!(号泣)」

 

大人でも、歯医者行って、キュィィィ~ン、キュィィィ~ンの音を聞いてプチ恐怖におののくなら

 

整形外科では、あのチェーンソーのような機械を使ってギュルルルル~という音を聞いて

 

恐怖におののくであろう。(多分ね)

 

 

 

ギプスを取る方法は、そのチェーンソーのようなもので切るしかないのである。

 

この世の終わりか!と思うような、幼稚園児の泣き叫び声でも先生は優しく丁寧に

 

暴れる私をうまくかわしながらギプスを切ると、パッカ~ンと開いた。

 

そのギプスから、久々見るギプスで白く少し細くなった自分の生足が見えたときは泣き止み

 

「いくらでもかいていいからね~」と言われ、かゆくもない足をポリポリとかいた。

 

そして、また再びギプスをはめるため、ギプスの素の入った液体の容器が用意され

 

私の足にゆっくりと丁寧にかけながら、その生温かい感触に、足湯でもしてるような

 

錯覚を受け、ほわわわ~んとした気分で、ギプスが固まるのを待ったのである。

 

「かゆいときは、いつでもおいでね」と優しい先生であった。

 

けれど、幼稚園児の私は誓ったのである。

 

今度、足がかゆくなったら絶対にバイクに乗ればいいんだ!」と。

 

つづく

 

か、かゆい!かゆい!かゆい!かゆい!かゆーい!かゆいよー!かゆいよー!(泣)

 

いつも、ばーちゃんから孫の手でかいてもらっていたが

 

この日のかゆいところは、孫の手でも届かない場所だった。

 

かゆいのに、かけない。かゆくて、孫の手もあと少しなのに届かない。

 

もう、かゆいことしか頭になく、かゆくてかけない辛さに泣いた幼稚園児の私。

 

両親は自営でお店をし多忙なので、私のかゆみは置き去り・・・。

 

けど、完全に支配されている私は、かゆみが治まらない。

 

ギプスの上から、かいたところで、何の解決にもならない。

 

そんな忙しい中、父が整形外科に連れて行くという。

 

出前で使う父のバイクに、父が座る前に座って乗るスタイルが定番であったが

 

そのバイクに乗せてもらえるのがとても楽しみであった。

 

かゆみに支配された私を、いつものように乗せて出発!

 

いつも当たり前だった外の空気が、休園生活ですっかり不自由になり

 

バイクに乗って風を感じるのが幼稚園児ながら、とっても気持ちいい~と感じていた。

 

バイクで5分程度の整形外科に到着するまでに、その風の気持ち良さと涼しさで

 

足のかゆみは、すっかり消えていた。

 

なのに、父に悪いと思ったのか?私は、かゆみが治まったことを言わずに

 

整形外科に来てしまった。まさか・・・あんなことになるとは・・・

 

つづく

 

「何でお前はそんなにのろいんだ!」

 

「お前は絶対、将来苦労する!お母さんの言うことは絶対に間違いないから!」

 

「いつまでもあると思うな、親と金だから!」

 

 

私が5歳ぐらいのときの記憶から、すでに母の口癖でもあり、いつもキレた口調であった。

 

母はとても気が短く、ヒステリーであった。ぶたれることもあった。

 

だから、私はいつも母の顔色を伺って育った。

 

 

車に轢かれたその日も、ただただただただ母に怒られることの方が嫌だったのだ。

 

我が家はお店をして、両親とも働いており、幼稚園は長期間休むことになるので

 

田舎から出てきたばーちゃんが相手か、テレビが私の娯楽であった。

 

その間に、幼稚園のお友達から届くお手紙や千羽鶴なんかもあったり

 

お菓子屋から買ってきたアイスの棒に下手くそな字で「あたり」と書いて

 

ばーちゃんにその棒を持たせ、もう一本アイスをもらおうと企んでみたり

 

けど、結局ばーちゃんが嘘のあたりだったと言って帰ってきて、本当に信じてたの?!と、

 

びっくりしてみたり、ギプスをしていた私は足が蒸れると足がかゆくなり

 

ばーちゃんに孫の手でかいてもらったり、ばーちゃんの薬漬けになったくっさい屁を

 

かがされて「かっかっかっか~」と声にもならない声で笑いながら

 

この屁をかいで大きくなれ~」と放たれるといった、しょうもない休園生活を過ごしていた。

 

つづく

 

迎えに来たのは多分、父であっただろうか。

 

その後、救急車で運ばれたとかではなく

 

父の配達用のバイクに乗って、整形外科へ行って処置をしてもらう。

 

処置中も泣かない私を、先生は褒めてくれた。

 

 

 

帰宅すると、開いてるはずの我が家の店の暖簾が閉じられ

 

店内はいつもの雰囲気とはまるで違い、自分のせいで

 

いつもと違う雰囲気の店にしてしまった・・・という申し訳なさと

 

ただならぬ雰囲気を察知し、それと同時に母に怒られる!と思い

 

それまで一切泣かなかった私であったが

 

母の顔を見て、わぁーと泣き出した。

 

母と一緒に待っていた近所のおばさんが

 

「お母さんの顔を見て、安心したんだね」と言うが、違う。

 

父も「帰ってきて、ほっとしたんだろ」と言うが、それも違う。

 

 

 

私は、ただただただただ、母が怖かったのである。

 

つづく

 

 

記憶が古いもので、一番の最大の出来事は、

 

年長になる直前の春休み。

 

友達と一緒に、商店街のあるお菓子屋に行こうと

 

お金を握りしめ、友達を追いかけるように、

 

左右の確認もせず飛び出したときに

 

それは起こったのだった・・・。

 

 

車に轢かれたのである。

 

 

事故の詳しい記憶は、よくある話だが、記憶にはない。

 

気が付いたときには、夕方の買い物客で賑わう商店街の歩道に

 

移動させられており、人々にジロジロと見られ、ザワザワとする中、

 

近くにいたお店のおばさんに励まされ、心配されるも、

 

自分の足にできた車のタイヤ跡であろうか?

 

小さな鱗状の皮が無数にできてることが気になり、

 

同時に鬼のような母の顔を思い出し、自分の事故よりも

 

母から怒られるかもしれないと心配しながら

 

また、大人たちの目線がとても恥ずかしく、泣くことさえもできず

 

痛さを忘れ、その鱗状になった皮をめくってごまかしていた。

 

 

「触らないよ!もうすぐお母さんが来るからね!」

 

恐怖であった。母に怒られる・・・どうしよう。。。

 

 

つづく・・・

???  もっと、可愛いフォントないのかね  ???

 

 

ちょっと、せかされて今日からブログをスタートさせてみました(^-^;

 

昔っから、ちびまる子ちゃんとサザエさんを足したような性格で

 

明るいと言えば明るいし、根暗と言えば根暗だし・・・(どっちや~)

 

ともかく、忘れ物女王だったし(今でも)、おっちょこちょいだったし(今でも)

 

勉強できなかったし(バカ?)ともかく自分が大嫌いでした(割と今でも)。

 

結局、その原因が「ADHD」だったことが、後々に判明するワケで・・・。

 

そんなADHDを中心とした、日常生活や時系列は適当だけど色々とあった出来事などを

 

綴ってみようと思います。

 

 

 

ただ、ADHDゆえ・・・ちゃんと、ブログが続くのだろうか・・・。