ドキュメンタリーで、90歳(!)のゴルバチョフにインタビューをしたものを観たのですが。
奥様をとても大事にしていた方らしく、奥様が、亡くなってからは人生に全く意味を感じられないと。
いわゆる西側諸国の国民だった私としては、閉塞した社会体制を改革、革新した立役者として歴史に残る偉大な政治家、という捉え方でしか見ていなかったのです。
そして多少の偏見もあるかもですが、魑魅魍魎が跋扈するクレムリンで政治体制を覆すというのは並大抵の事ではないでしょうから、家族を顧みるような時間なんて無いものだ、と勝手にイメージしていたのです。
実際には、おそらく国内はもちろん、諸外国にも本音など漏らせない日々に、奥様を外遊にも常に同伴したらしいので、唯一の安らぎであり味方であったのだなと。
インタビュアーも、「あのゴルバチョフ」が伴侶がいなくなったなら生きる意味などない、というのを聞いて質問します。
「生きる意味とは愛などよりもっとやりがいがあったり、『高尚』なものではないのか?」と。
インタビュアーの気持ちもわかります。
でも私も、このインタビュアーはまだ若いのかもしれないな、と感じたのです。
ゴルバチョフは答えます。
「誰かを愛すること、誰かから自分は常に愛されていると実感して生きること。これ以上に『高尚な』事などあるだろうか?」と。
奇しくも以前記事にしていたバフェットの記事。
それなりに年齢を重ねてくると、人との繋がりがどれだけ貴重でありがたいものなのかが身に沁みてわかります。
社会的な成功をおさめる事も素晴らしい事です。
友人や伴侶がいない事は、もちろん非難される事でもありません。
とりわけ全てが順調な時には足枷のように感じる事すらあるかもしれません。
ですが生きているとままならない事が多々起こります。
そんな時に、友人や伴侶にしかできない事があると思うのです。
実際私自身、時々食事に行くような友人や、滅多に会うことはないけれど、何かの折には心配してくれる人、そしてブログ上だけでしかお付き合いの無い方でも、コメントで私の気持ちを掬い取ってくださる人、そんなたくさんの「人」に救われてきました。
ゴルバチョフの言う、「愛されている実感」を感じられる事こそが人生の喜びなのだろうと。
そして、ままならない人生におけるサンクチュアリなのだろうと思います。
存在そのものがサンクチュアリみたいなご夫妻のご自宅で。
奥様、本格的にお料理を学ばれた方なので、手料理というレベルではなく、デザートまで出てくるという!
私はただ美味しくいただき、喋ってるだけ笑
あまりの居心地の良さに、勝手に「実家」認定。
(私に「実家」認定されてる方、何人かいらっしゃるので、その節は宜しくお願いします笑)
こんな時間を与えて頂ける事が幸せじゃなくてなんなんだ、って。
やっぱり人に恵まれるってありがたい事ですよね。
