わたしがこの店に来てから早くも1ヶ月が過ぎようとしている。日々繰り返される家事にはすっかり慣れ、店の仕事のこともだいぶわかってきたと思う。真額洋裁堂は、オーダーメイドの洋服の製作・販売を主にしている。お客さんは中流階級以上の家庭の奥さんが中心で、代金についてのやりとりをこっそり聞いてみたらこれがびっくりするほど高かった。
採寸・仮縫い合わせ・製作の作業代がスカートなどのシンプルなもので5万円ぐらいから。ドレスやワンピースなどでは10万円以上することもある。使用する生地の材料費は料金込み。お店によってはお客さんが自分で生地を持ち込んで製作を依頼することもあるんだけど、真額洋裁堂では基本的にはやってない。詩織さん曰く、

「私、自分が触って納得して買った布じゃないと服作れないもの」

お店の奥の作業室に大量にある生地の在庫は、どうやって買い付けてきたんだろう。わたしの疑問は、月末にやってきたある人のおかげで解消された。

まだお客さんの少ない時間帯にわたしが店番をしていると、いきなり男の人が入ってきた。ただでさえ女性客ばかりのこのお店に、身長180センチはゆうに越えていそうな大男で、薄暗い店内でも肌が浅黒く焼けているのがわかる。
その男の人は、しばらくわたしの方を怪訝そうに眺めていた。わたしはわたしで、いらっしゃいませ、の言葉を喉の手前で出そうかどうか迷わせていた。先に言葉を発したのは、向こうのほうから。

「お前、誰?」

たしかに初対面だけど、あんまりぞんざいな言葉にわたしはちょっと憤りを覚えて、

「わたし、今月からこのお店に勤めることになった、稲垣単衣っていいます。どうぞよろしくおねがいいたします!」

って半ば叫ぶように自己紹介をした。彼はそれに動じたふうもなく、じろじろとわたしを一通り観察するように眺めてから、

「はー、新入りがいるとは聞いてたけど、お前みたいなガキだったのかあ。ところで詩織は奥にいるんかね?」

初対面のわたしをガキ扱い、詩織さんを呼び捨て。どうやらお店の関係者みたいってことは分かったけど、第一印象は最悪。

「わたし、店番ですから!お名前と、ご用件をお願いします!」

また、叫ぶように言ってしまった。こちらが名乗ったのに、向こうが一向に名乗る様子がないのも腹立たしかった。

「雁屋コウだ。詩織には『ガン』が来たって言えばわかるからよ」

結局、わたしが詩織さんを呼びに行く必要はなかった。わたしが上げた声が大きかったのか、彼女が自分から店頭のほうに姿を現したからだ。

「あらあ、ガンさん、そういえば今日だったわね」

「相変わらずノホホンとしてんな。店のほう大丈夫か?こんなの雇っちゃって」

「ヒトエちゃんはよくやってくれてるわよ」

「本業も手伝わせてんのか」

「それはまあ、これからだけどね」

こんなの、と言われてカチンときたんだけど、それ以上に「本業」って言葉が気になった。確かに採寸や服の製作に関してはまだやらせてもらってないけど、これでも専門学校でしっかり勉強してきたし、今でも自分のミシンでいろいろ練習してるんだから。店番や準備、片付けのお手伝いだけじゃなくて、ちゃんとお客さんの対応とかもやらせて貰えるよう、後で頼んでみようかな。

「んまあ、それはそれとして、仕事の話すっか」

なぜ「かりや こう」でガンさんなんだろうか、といろいろ考えを巡らせてるわたしの目の前、カウンターの上にどさりとダンボールが積まれた。「糸と布の雁屋」と、可愛らしいロゴが印字されているダンボールを見て、「雁」という字が「ガン」と読むことを思い出した。詩織さんは早速ダンボールの中のものを取り出して手にとってみている。

「やっぱり、ガンさんところで仕入れてもらう子はいいわねえ」

「補充で注文された分は揃ってる筈だ。それから、これが新入荷のサンプルだな」

「あら、いい感じだわね、織り方からするとインドかしら・・・面白い染まり具合」

「おうよ、一昨日まで行ってていろんなルート作ってきたぜ。その辺のなら3週間ぐらい見といてくれれば入るからよ」

最初はその乱暴な物言いに腹がたってたんだけど、話を聞いているうちにずいぶんやり手の凄い人なんだって思えてきた。どうやら真額洋裁堂の生地の品揃えは、このガンさんがそれこそ世界中から確かなものを仕入れてきてくれるお陰らしい。
それから、なんというか。
たぶん、この人、詩織さんに喜んでもらいたくて頑張って世界中から生地を仕入れてるんじゃないかな、という気がした。

お金の話なんかも終わったみたいで、仕入れ品を運ぶためにガンさんがダンボールに手を伸ばした。

「あ、わたし、手伝います!」

「おう、わかってんじゃねえか」

布とはいえ、大きなダンボールいっぱに詰まっていると、やっぱり重い。わたしは1つ持つのがやっとだったけど、ガンさんは残りの3つを軽々と運んでいる。たぶんわたしが持たなくても余裕なんだろうけど。
店の中から作業室への廊下は狭いので、外に出て裏に回り込まなきゃいけない。

「あ、あの、わたしもガンさんって呼んでいいですか」

「構わねえぜ?」

「ガンさん、詩織さんって、素敵ですよね」

「あぁ!?」

よほど慌てたらしく、抱えていた段ボール箱を落っことしそうになってさらに焦っている姿はちょっと面白かった。さっきの失礼な態度へのささやかな復讐は成功したみたい。

「ナニ、言ってやがる」

ガンさんは箱を抱えなおすと、それからは無理してる感じでもなく、落ち着いて話しはじめた。

「いい布、それが似合う客、両方が揃って腕を振るうのがアイツの幸せなんだ。俺にできるのは、アイツが納得する布を仕入れてくることさ」

わたしは、黙って聞いていた。

「客寄せのために吊るしなんてのもやってっけど、着る客の顔もわからん服を作るのは、アイツにとっては不本意なんだろうさ」

そういえば、だいぶ前にそんなことを聞いたことがあった。その時は聞き流してしまったけど、あれは詩織さんなりのこだわりだったんだ。

「まあ、ともかくよ」

裏口から作業室に入って棚に生地をしまい終えて、パンパンと手を叩きながら。

「これから、アイツも忙しくなる。せいぜい足を引っ張らんようにするこったな」

そう言い残して、ガンさんは軽トラに乗って帰っていった。

お店に戻ると、カウンターのところで詩織さんがサンプルの生地を引っ張ったり撫でたりと素材の特性をつかむのに夢中になっているところだった。

いろんな仕事があって、いろんな人がいる。当たり前のことなんだけど。

「詩織さん、詩織さん。お茶にしましょうか」

(続く)