そのお客さんがお店に来たのは、五月晴れの爽やかな昼下がり。扉の鐘がいつものように鳴り、店内のディスプレイの整理をしていた私は元気よく、
「いらっしゃいませ!」
と声を出して振り向いた。
暗かった。初夏の日差しが店内にも差し込んできているというのに、そのお客さんの周囲だけがうす暗く感じる。それぐらい、彼女は陰気な雰囲気を漂わせていた。
思わず目をこすってまばたきをしてもう一度見てみると、さすがに目の錯覚だったみたい。
きりり、と目の奥が痛んだ。昨夜薄暗い自分の部屋でミシンの練習をしてたから目が疲れていたのかも。
身なりは上品で、オーダーメイドで注文するようなお客さんたちと同じような外見はしている。でも表情が、余裕のなさそうな、追い詰められたような感じで。
「あのう、ドレスを一着、作っていただきたいのです」
「当店をご利用になられたことはございましたでしょうか?」
やはりオーダーメイドのお客さんだった。ちょっと、丁寧すぎるかな、というかもっと敬語とかの勉強したほうがいいかも知れない、と思いながらとりあえずの対応。あいにく詩織さんはたまたま外出中。
「いえ、あの、お隣の高峰さんに、こちらをすすめられて」
高峰さんというのはわたしも知ってる常連のお客さんで、先日も高価なパーティドレスの注文をしていた。いかにも上流家庭の奥さま、といった感じではあるが、基本的には気のいいお客さん。住んでいるのはわたしなんかが近づいちゃいけないような空気の高級住宅だそうだから、目の前の彼女もやはり相当なお金持ちのお家の奥さまなのだろうか。
それにしても、高峰さんなどから感じるような自信というか上流意識のようなものがさっぱり感じられず、言葉にもチカラが入っていない、ボソボソとした話しかたをする人だ。
「あいにく店主は店をあけておりまして、わたしでよろしければお話をお伺いしますが」
「主人の会社の記念式典に、同席、するのですけれども、もう何年もパーティなどには無縁でしたので、何を着ればいいか」
「なるほど、それで新調されようと?」
「はい、主人に、恥をかかせるわけにも、いきませんでしょうし」
はあ、と気のないため息のようなものを吐いて、言葉をとじる。わたしは再び彼女の周囲がふっと暗くなったように錯覚してしまった。
わたしは、この気の弱そうなお客さんを前にして、ある気持ちが湧き上がってくるのを抑えられなくなってしまったのだった。
「当店のオーダーメイドでは、まず採寸をしていただくことになっております。わたしでよろしければ、今からさせて頂いてよろしいでしょうか?」
詩織さんの外出はそんなに長時間ではないはずだし、戻ってくるのを待ってもらうか、出直してもらうのが正しい対応だったんだろう。でも、以前に感じたただの「お手伝い」じゃなく、ちゃんとしたお客さんの対応をしてみたい、という気持ちと、たぶん「東京のブティックで店員として働いている」という実感が欲しかったんだと思う。
そして、わたしは卑怯にもその反応を予想してしまって持ちかけた提案だったわけだけど、彼女は、
「よろしくおねがいします」
と頭を下げたのだった。
店内の奥、仕切られた小部屋が採寸スペース。何度も採寸には立ち会って要領はわかってるし、学校でも実習で飽きるほどやった作業。何の問題もなく済ませられるとわたしは高をくくっていた。じっさい、てきぱきとスムーズに必要な場所のサイズを測り、詩織さんがいつも使っているシートにわかりやすいように記入をしていくことができた。
お客さんも、表情はあまりかわらないけど、少なくとも不快感を与えてることはしていないと自信をもって言えると思う。わたしは、詩織さんがこのことを知っても、
「ヒトエちゃん、お客さんの対応しっかりできたのね」
とすら言ってくれるんじゃないかと思っていた。憧れだった店員としての本格的な初仕事。ガンさんが今度来たら
「わたし、『本業』もしっかり手伝えてますよ!」
と言ってやろう。
そんな夢想をしながらでも手は休まず採寸を続け、どのようなデザインの服を作るにも困らないだけの数字は揃った。
次は、生地の選定もわたしがお客さんと相談して決めちゃおうか、デザインも私に任せてもらえたりしないだろうか。いい方向の想像というのはしているときは楽しい。
小部屋から出ると、詩織さんが帰ってきていた。
詩織さんは、お客さんの姿をみとめると、
「店を空けてしまい、誠に申し訳ございません。私が店主の真額でございます」
と深く頭を下げた。その表情は、少し険しい。わたしは、詩織さんに初めて会ったときのことを思い出していた。
「お客様、当店でこのまま注文されるのでしたら、ひとつ、お願いがございます」
もしかして、初めてのお客さんにはなにか言わなければならないことでもあったんだろうか、それ以前に勝手に採寸をしたことを詩織さんは怒っているのだろうか。今さらになって、急に冷静になってきた頭で考えたら、すごく出すぎたマネをしちゃったんじゃないかという不安が頭をもたげてきた。
「今夜九時、もう一度当店におこし願えますでしょうか」
お客さんに対して夜にもう一度来い、という要求にわたしは混乱した。もちろん言われた当人も困惑した表情を浮かべている。詩織さんは、あくまで冷静な声で、
「先日、店内にてディスプレイしておりました洋服が何着か紛失しております」
と、言った。もしかして、以前に言っていた万引きがどうこうって・・・目の前の彼女の顔は、困惑から一転、さっと青ざめた。周囲の空気はいよいよ暗く感じる。本当に目の錯覚なんだろうか。
「よろしいでしょうか、今夜九時です。今はお引き取りくださいませ」
慇懃な言葉で再び深く頭を下げる詩織さんの前で、彼女は黙ったまま店を出て行く。扉の鐘の音も心なしか鈍い。
わたしは頭の中が混乱してて、何を言えばいいのかわからなくなってたけど、
「ごめんなさいっ!勝手に採寸までしてしまいました!」
とにもかくにも、謝るのが先決だと思った。詩織さんは、ふう、とため息をひとつ、わたしが記入した採寸結果のシートをちらりと一瞥して。
「ヒトエちゃん、私があなたにまだこういった仕事を任せなかった意味を考えて頂戴」
静かに言われた。正直、大声で叱りつけられるより堪えた。でも、続く言葉に反発してしまった。
「デタラメな数字ね。ヒトエちゃんは、採寸の仕方がなってないわ」
「そんな!わたし、詩織さんの採寸何度も見てますし、同じように、完璧にできたと思います!」
だいたい、わたしが作業をしている現場は見ていないはず。悪かったのはわたしだけど、デタラメなんて言い方はひどいと思った。詩織さんは、わたしの目をまっすぐ見つめ、さらに静かに、
「夜になったらわかるわ。よく見て勉強することね」
と呟くように言った。
(つづく)
「いらっしゃいませ!」
と声を出して振り向いた。
暗かった。初夏の日差しが店内にも差し込んできているというのに、そのお客さんの周囲だけがうす暗く感じる。それぐらい、彼女は陰気な雰囲気を漂わせていた。
思わず目をこすってまばたきをしてもう一度見てみると、さすがに目の錯覚だったみたい。
きりり、と目の奥が痛んだ。昨夜薄暗い自分の部屋でミシンの練習をしてたから目が疲れていたのかも。
身なりは上品で、オーダーメイドで注文するようなお客さんたちと同じような外見はしている。でも表情が、余裕のなさそうな、追い詰められたような感じで。
「あのう、ドレスを一着、作っていただきたいのです」
「当店をご利用になられたことはございましたでしょうか?」
やはりオーダーメイドのお客さんだった。ちょっと、丁寧すぎるかな、というかもっと敬語とかの勉強したほうがいいかも知れない、と思いながらとりあえずの対応。あいにく詩織さんはたまたま外出中。
「いえ、あの、お隣の高峰さんに、こちらをすすめられて」
高峰さんというのはわたしも知ってる常連のお客さんで、先日も高価なパーティドレスの注文をしていた。いかにも上流家庭の奥さま、といった感じではあるが、基本的には気のいいお客さん。住んでいるのはわたしなんかが近づいちゃいけないような空気の高級住宅だそうだから、目の前の彼女もやはり相当なお金持ちのお家の奥さまなのだろうか。
それにしても、高峰さんなどから感じるような自信というか上流意識のようなものがさっぱり感じられず、言葉にもチカラが入っていない、ボソボソとした話しかたをする人だ。
「あいにく店主は店をあけておりまして、わたしでよろしければお話をお伺いしますが」
「主人の会社の記念式典に、同席、するのですけれども、もう何年もパーティなどには無縁でしたので、何を着ればいいか」
「なるほど、それで新調されようと?」
「はい、主人に、恥をかかせるわけにも、いきませんでしょうし」
はあ、と気のないため息のようなものを吐いて、言葉をとじる。わたしは再び彼女の周囲がふっと暗くなったように錯覚してしまった。
わたしは、この気の弱そうなお客さんを前にして、ある気持ちが湧き上がってくるのを抑えられなくなってしまったのだった。
「当店のオーダーメイドでは、まず採寸をしていただくことになっております。わたしでよろしければ、今からさせて頂いてよろしいでしょうか?」
詩織さんの外出はそんなに長時間ではないはずだし、戻ってくるのを待ってもらうか、出直してもらうのが正しい対応だったんだろう。でも、以前に感じたただの「お手伝い」じゃなく、ちゃんとしたお客さんの対応をしてみたい、という気持ちと、たぶん「東京のブティックで店員として働いている」という実感が欲しかったんだと思う。
そして、わたしは卑怯にもその反応を予想してしまって持ちかけた提案だったわけだけど、彼女は、
「よろしくおねがいします」
と頭を下げたのだった。
店内の奥、仕切られた小部屋が採寸スペース。何度も採寸には立ち会って要領はわかってるし、学校でも実習で飽きるほどやった作業。何の問題もなく済ませられるとわたしは高をくくっていた。じっさい、てきぱきとスムーズに必要な場所のサイズを測り、詩織さんがいつも使っているシートにわかりやすいように記入をしていくことができた。
お客さんも、表情はあまりかわらないけど、少なくとも不快感を与えてることはしていないと自信をもって言えると思う。わたしは、詩織さんがこのことを知っても、
「ヒトエちゃん、お客さんの対応しっかりできたのね」
とすら言ってくれるんじゃないかと思っていた。憧れだった店員としての本格的な初仕事。ガンさんが今度来たら
「わたし、『本業』もしっかり手伝えてますよ!」
と言ってやろう。
そんな夢想をしながらでも手は休まず採寸を続け、どのようなデザインの服を作るにも困らないだけの数字は揃った。
次は、生地の選定もわたしがお客さんと相談して決めちゃおうか、デザインも私に任せてもらえたりしないだろうか。いい方向の想像というのはしているときは楽しい。
小部屋から出ると、詩織さんが帰ってきていた。
詩織さんは、お客さんの姿をみとめると、
「店を空けてしまい、誠に申し訳ございません。私が店主の真額でございます」
と深く頭を下げた。その表情は、少し険しい。わたしは、詩織さんに初めて会ったときのことを思い出していた。
「お客様、当店でこのまま注文されるのでしたら、ひとつ、お願いがございます」
もしかして、初めてのお客さんにはなにか言わなければならないことでもあったんだろうか、それ以前に勝手に採寸をしたことを詩織さんは怒っているのだろうか。今さらになって、急に冷静になってきた頭で考えたら、すごく出すぎたマネをしちゃったんじゃないかという不安が頭をもたげてきた。
「今夜九時、もう一度当店におこし願えますでしょうか」
お客さんに対して夜にもう一度来い、という要求にわたしは混乱した。もちろん言われた当人も困惑した表情を浮かべている。詩織さんは、あくまで冷静な声で、
「先日、店内にてディスプレイしておりました洋服が何着か紛失しております」
と、言った。もしかして、以前に言っていた万引きがどうこうって・・・目の前の彼女の顔は、困惑から一転、さっと青ざめた。周囲の空気はいよいよ暗く感じる。本当に目の錯覚なんだろうか。
「よろしいでしょうか、今夜九時です。今はお引き取りくださいませ」
慇懃な言葉で再び深く頭を下げる詩織さんの前で、彼女は黙ったまま店を出て行く。扉の鐘の音も心なしか鈍い。
わたしは頭の中が混乱してて、何を言えばいいのかわからなくなってたけど、
「ごめんなさいっ!勝手に採寸までしてしまいました!」
とにもかくにも、謝るのが先決だと思った。詩織さんは、ふう、とため息をひとつ、わたしが記入した採寸結果のシートをちらりと一瞥して。
「ヒトエちゃん、私があなたにまだこういった仕事を任せなかった意味を考えて頂戴」
静かに言われた。正直、大声で叱りつけられるより堪えた。でも、続く言葉に反発してしまった。
「デタラメな数字ね。ヒトエちゃんは、採寸の仕方がなってないわ」
「そんな!わたし、詩織さんの採寸何度も見てますし、同じように、完璧にできたと思います!」
だいたい、わたしが作業をしている現場は見ていないはず。悪かったのはわたしだけど、デタラメなんて言い方はひどいと思った。詩織さんは、わたしの目をまっすぐ見つめ、さらに静かに、
「夜になったらわかるわ。よく見て勉強することね」
と呟くように言った。
(つづく)