「先生ってすげーよ・・・」 | ぼくの「地球」を走る旅

「先生ってすげーよ・・・」































*長いです。けど気持ちを込めて書きました。


群馬県伊勢崎市立北小学校に特別授業でうかがった。この日は授業参観、いつもよりも緊張しているであろうちょっと固い表情の5,6年生の子どもたちに旅と生きるチカラと夢の話をした。


そうなんだよ。答えのない内面の問題に対して、手を上げて発表することって怖いよね。どんな風にみんなが思うのか、先生が反応するのか不安だよね。

最初はなかなか手が挙がらなかった。


けど、みんなが自分の考えも、夢も、もしかしたら心の素直な思いも安心して言葉にできない環境を作ってしまっていることが、君たちを不安にさせているのかもしれない。


ありのままでいられることは。その子の強さだけじゃない。そうだったら心が強い子だけしか自分を出せなくなってしまう。問題なのはそれを受け入れる環境かもしれない。


僕は子どものころ、自分のありのままを出すのが怖かった。

わがままばかり言って、クラスでハブられたことがトラウマになって中学校では

まわりの顔色ばかりうかがう子どもになった。

先生はもちろん、初めて会う大人にとてもじゃないけど自分の素直な気持ちなんて

話せなかった。


なぜか。怖いからだ。不安だからだ。

自分を否定されるかもしれないと怯えているからだ。


だから僕は子どもたちに会いに行きたい。

自分が授業で語る言葉のたったひとつでもいいから、彼らの心に届いて欲しいと思う。


今回の授業は数年越しだった。

呼んでくださった先生は、僕の講演会で「あなたのことを子どもたちに伝えたい。

道徳の教材として写真や映像を使わせて欲しい」と言葉で伝えてくださった。


あれから3年。ニュージーランドにいる僕に先生からメールがあった。

「西川さん!学校に、子どもたちに会いに来てくださいませんか?」


僕は、授業のあとはじめてこの先生が何年も何年も、僕を学校に呼ぶために尽力して下さっていたことを知った。

たった1時間のために。僕が子どもたちに授業をする機会を作るために。


北小の子たち。えー子どもたちやった!


授業のあと、東日本大震災で一緒にボランティアセンターで活動した友達と先生と3人で食事をした。

なんとその友達もこの先生の教え子だったのだ。世界は狭い。


もう20年以上前のことなのに先生は彼の中学時代を細かいことまで覚えていた。

彼が先生と過ごした時間をたどりながら、思い出話をしていく。



「あのとき、あけちゃんどうしてああしてくれたの」


「それはあなたがこうだったのを見てたからよ。ずいぶん元気がなかったからね」


「え・・・」


友達はこうして20年以上前の中学生活をたどりながら、

実は先生の思いやりがつまっていたということを再発見していく。


「僕は自己実現したような思いはない。もちろん悩みもある。それでもそれなりに幸せにやっているように思う」


そう語った友人のその繊細な心が、今は彼の仕事の芯となっている。

彼だからこそ感じることができる人の気持があるように僕は思う。


先生ってすげー。

自分が話した以上の、もしかしたら自分も分かっていない部分までをも見守ってくれる先生がいる。

そして20年以上経っても、それを覚え続けていて、それを伝えてくれる。


僕にはそんな先生がいただろうか。

僕は学校の先生に近づくことを躊躇していた子どもだったと思う。

しかし、僕が出会ってきた先生もそうして僕を見守ってくれてたんだろうか。


夕食のあと先生のお宅にうかがったのは11時過ぎ。

先生はそこから子どもたちのプリントに◯をつけはじめた。

そして夜が明けた明け方5時半。先生とともに家を出た。

学校に着くのは7時前だ。


その先生はこんな生活何十年続けてきたのだろうか。

こうしてまた先生はいつもの笑顔で朝学校に来た子どもたちを迎え、また家に帰し、長い長い子どもたちとは面と向かわない、けど先生の仕事に没頭していく。


先生ってすげーよ。


自分にはぜってー真似できねー。


けどこんな先生がいてくれる。


きっと子どもたちの人生にはこの先生が寄り添ってくれる。


これって希望やんか。


僕はこの先生の力になれたか?どうやろ?


先生ってすげーよ。