カナダのバリスタ未来形
                                    
「逃げるようにして」日本を発った僕。
移住先のカナダで出会ったユニークな日本人に日系人、そして異国の仲間たち。
オーガニックファームでのファームステイや小さな島への旅。
誰もができそうなエコライフのきっかけ。
お好み焼きのように凝縮された美味しいストーリーの数々が、あなたをほんの少しだけ、
変える。
――― 表紙帯文より   2007年10月15日 刊   地味に好評発売中。
hadacanada
 
 はだかなだ―Link to 17.
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まずはこれにて

「伝えたい」という気持ちは常にあるのだけれども・・


1ヶ月ほど前のブログで書いたように、これが最後の投稿となる。
「80%エコギーク」
から始まったこのブログ。
「80%エコ+コーヒーギーク」
とタイトルが変わり、現在の
「カナダのバリスタ未来形」
となった。

これ以降は、自分のコーヒービジネスの宣伝や出来事の報告が中心になることが容易に想像でき、それだと本来ブログを立ち上げた意味から大きく逸れてしまう。
「カナダのバリスタ未来形」が、ひとまず「自分のコーヒー店をカナダで始めました」
というところで完結したいと思う。

毎日たくさんの気づきや出会い・出来事はあるので、それらはマメにメモしておいて、将来2冊目の本を出版するときのためにでも大切にしまっておこう。

個人的にメッセージを送ってくださった方、どうもありがとうございました。ブログをやっていて良かったです。
読者の皆様、お時間を割いてブログを見ていただき、ありがとうございました。

自分のブログの順位は全く気にしていなかったけれど、「検索ワード」に関しては時々チェックしていた。
少し残念なことは、色々な気持ちを込めて書いていた記事よりも、遥かにそれらを凌いで検索されていたのは、もう何年も前に少しだけ触れた「ヌーディストビーチ」だった。今でも検索ワードの上位に出てくる。 なんだかなー、という心境。

2002年にカナダへ来て、まさかこの地で自分が小さいながらもビジネスを立ち上げるとは本人が一番想像していなかったこと。 いやはや人生は何があるのか分かりません。
今まで散々家族や友人、そして知人にお世話になってきて「ありがとう」と言ってきた。
これからは、人に「ありがとう」をもらえる生き方を追求していきたいと思う。

皆様に幸あれ


藤 昌ノ一

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 “絞る” 技術

サンクスギビングデーは、あえて質素に


カナダでのバリスタライフも4年以上経ち、今まで4つの現場に立ちいろいろなバリスタを見てきた。
僕が働いてきたのは全てインディペンデントの小規模カフェばかりなので、基本的に自分一人、ラッシュの時間でも2人か3人のスタッフという現場ばかり。 なので他のバリスタと長い時間一緒に働くという機会がありそうでなかった。

ここ数ヶ月、他のバリスタの行動を見ていて気になっていたことがあった。
そして先日、カナダで3つのカフェのバリスタを経験してきた日本人の友人に、その「気になっていたこと」を聞いてみた。

僕が気になっていたこと。 それはカウンターやテーブルを拭く際に使う布巾や、エスプレッソマシンのノズルを拭く際のタオルのことだ。
どうやらカナディアンのスタッフたちは、「布巾やタオルを洗って絞る」という行為ができないのではないか?という、シンプルながらとても重要な気掛かりに、その友人も「言われてみればそうだ」と、同調してくれた。

今バリスタとして働いているカフェには、僕の他には2人のカナディアンバリスタがいて、テーブルやカウンターを拭くことは拭く。が、その後はシンクに汚れた布巾をぶら下げておいたり、カウンターにクシャッと置いておくだけなのだ。
そしてそれに気づき、毎回洗っては絞って畳んでおく役割をするのは僕。 つまり彼・彼女らにとっては、拭き終わって放っておいた布巾やタオルが、しばらく経つと“自動的に綺麗になっている”システムとなっているのだ。

カフェの仕事とは全く関係のないことをしている友人(日系カナディアン)にこのことを話すと
「オーマイガッ!!」と顔をしかめてはいたけれど、実際学校などで、日本では当たり前(僕が子供の頃は)の「雑巾の絞り方」の教育などはカナダに一切ないとのことだ。 ちなみに彼は、日本人の母親から教育されたので、雑巾を絞ることができるそうだ。
確かに、こちらの学校や職場には定期的に掃除専門の人が来て、分業化がはっきりとしている。

僕が働いてきたカフェではないけれど、カフェによってはカウンターを拭く布巾とエスプレッソマシンのノズルを拭くタオルを共用しているようなところも眼にしたことがあるし、もしかするとそれはオープンしてからクローズする丸一日洗われることがないのかもしれない・・・

洗ってはギュッ、の技術が当たり前ではないことに、ここにきて初めて気づいた自分にも驚いている。


$カナダのバリスタ未来形
       ファーマーズマーケットでは夏のフルーツから秋のフルーツへと変わってきた、

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カナダのバリスタ未来形
        我がコーヒー店も常連さんが付きはじめた。

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母性と判断力

本当はもっとコーヒーのことが書きたい・・


中々の目まぐるしい日々が続いている。
朝起きたときも確実に肌寒さを感じる時期になってきたけれど、元気に活動できる日々と身体に感謝だ。

ブログ更新も残りわずとなり、僕のコーヒービジネスのことを書いていこうと思っていた矢先、また、いや、またまた一言いいたくなるような情報が耳に入った。

それは東日本大震災の日の成田国際空港での話だ。

ポッドキャストの番組でゲスト出演していた方が言うには、大震災の日、彼は成田国際空港にいた。
当地では震度6弱が計測されるほどの大揺れ。比較的地震慣れしている日本人ですら恐怖感を感じる震度6弱という揺れだ。生まれてこのかた地震を経験したことがない、という人も多い外国人の玄関口でもある成田国際空港で、あろうことか地震後の約2時間!!、英語でのアナウンスが一切流れなかったというのだ。
百歩譲って、これが地方都市の小規模空港ならば弁解の余地はあるかもしれない。(本当はない)
ところが、これが成田国際空港での話となれば恥ずかしさをずっーーーーと飛ばして、国としての大失態ではないだろうか。

ゲストだった彼は英語が堪能だったこともあり、英語のアナウンスが流れないことで外国人の方々がうろたえている姿を見て、いてもたってもいられなくなり「ボランティアとして英語で避難案内をさせてもらえないか?」と空港関係者に申し出たそうだ。
そしてそれに対する答えが
「誤報でも流したら責任問題になるので、それは控えてください」というような理由で断られたという。

成田国際空港で働く人たちの多くは英語が話せる、理解できると思われる。
ご存知のように、日本には数え切れないほどの英会話教室が存在し、昔からこれまた数え切れないほどの留学生が英語圏へ英語を学びに来ては日本へ戻っている。
が、これが今の日本の現実なのだ。 
未曾有の大惨事が起こり、英語でのアナウンスが100%必要な国際空港という地で、マニュアルにはない英語のアナウンスが2時間もされない。

「日本へ戻ったら、英語を活かした仕事がしたい」
もう何百回と、この地で聞いてきたセリフだ。 こういう時に活かさないでどうするんだ!
と、本来ならここで話が終わるところ、僕はもう少しひねくれた方向から考えてみた。

大震災後、僕はネットを通して日本のニュース映像などを観る機会が多かった。当然日本のテレビ番組は観ていないので、個人的な見解となる。

状況説明する人たち、謝罪や責任問題の言葉を発する人たち、これからの展望を話す人たち。
皆“おっさん”なのだ。
残念ながら、そう人たちの多くは「女・子供は黙っていろ」というタイプの人が多いことは否めないだろう。少なくとも北米社会に比べては。(ここで「欧米」とまとめて表現するのは正確ではない)
あのような状況下で、色々なしがらみを抱える“おっさん”たちだけが物事を判断しているのを見ていたら、非常にバランスの悪さを感じてしまった。

僕が思うに、実際に子を産み、子供たちの命の重さを身をもって知っている女性が判断することは、特に非常事態下では「人命、子供たちの将来」が最優先されるのではないか、ということだ。
たとえば、成田国際空港の件でも、英語のアナウンスを一刻でも早く、と考えた人はいるはずだ。
けれども、日本の縦社会、そしてトップに立つ多くの“おっさん”の指示や許可が必要になる世の中の仕組みが、このような大失態を招いたということは大いに考えられると思う。

海外へとやって来る日本人は、圧倒的に女性が多い。 そして、僕自身がビジネスを始めて分かったことは、僕と同じように、小さいながらも海外でビジネスを立ち上げて頑張っている日本人女性が多くいるということだ。
そういう人たちは、日本での女性が置かれる社会的立場に、決して壊すことのできない壁を感じているのではないだろうか。

色んな人のブログにも書かれているけれど、「震災の復興は、勤勉な日本人ならばきっと実現できる。けれども、今だかつて人類が放射能に勝利したことはない」のだ。
現在、間違いなく岐路に立っている日本。
ここで「人命、子供たちの将来」に重きを置く+リーダーシップ能力がある女性たちの意見が反映されなければ、日本という国はバランスを失ったまま将来へと進むことになる。

最後に、、、

カナダのバリスタ未来形
            先週末はこんな感じの歴史ある建造物内で出店

               

開店休業

ちと寂しいような・・・


このブログにも、少なからず読者さんがいらっしゃいます。
読んでくださり、いつもありがとうございます!

そもそもこのブログは、2007年に出版された自著「はだかなだ」の宣伝が主目的で開始したものです。
本には、2002年に僕がカナダに来てから出会った人々や、体験談などを書きました。
僕がカナダに来た理由は「英語の習得」ではなかったので、出会った人々は、通常日本人を見る眼とは違って、興味をもって接してくれた部分があります。

「こういう日本人がカナダにいるということを知ってほしい」と思ってフォーカスを当てた人々。
小さな島で味噌造りをしていたYさん夫婦はリタイアされ、今は絶品の味噌を造られていません。

州都にある小学校で、日本語を教え、日本文化をカナダの子供たちに広めてくれたTさんは教職をリタイアされました。 僕を『日本デー』に行われた空手のデモンストレーションの講師として招いてくれたのもTさんでした。

原発事故のあった福島から、90年代にオーガニックファームを経営するために移住されたSさん、Yさん夫婦。 博学で僕に大きな影響を与えた旦那さんのSさんは、去る4月、鬼籍に入られました。まだまだこれからという年齢ながら・・

こうして、日本の方たちに伝えたかった人たちの人生も今では変化しました。
反面、僕が望んでいた「色々な目的を持って海外へ渡る生き方」は、やはり大多数の目的「英語の習得」というものに全く影響を及ぼすことなく、今に至っています。

外から日本を見ていて、ブログでは触れないようにしている政治や経済について書いたときもありますが、正直なところ、書いた後には空しさがありました。また、そこに僕の書きたかった“本音”が確実に書かれていたのかを客観的に見ると、攻撃されるのを恐れて当たらず触らずの表現をしていたような気がします。

ビジネスを立ち上げてブログを書く暇がなくなった、というわけでは全くありません。
ただ、先述のようなことや、自著の宣伝も2012年を迎えようという時の流れの中で、その目的を果たしたという感覚もあり、本が出版された日と同じ10月17日をもって無期限の休止を決めました。 それまではあと何度かアップすると思いますので宜しくお願いします。

僕がブログを書くことは止めますが、僕が読者になっている人々からは多くの刺激を頂いているので、アカウントは残したまま、これからも拝見させていただきます。
また、1年後に日本の高校生バリスタ君から連絡があるかもしれないので、コンタクトできる場を残しておかなければなりません。

僕がブログを始めてから、読者となりながらも、ある時から急にブログをお止めになれ音沙汰なし。
そういう人たちを沢山見てきて、一読者としては一抹の寂しさがあったので、僕の性格上、こうして一言宣言させていただいた次第です。

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          こちらのコーヒー業界で大量に出回っている、このエアポット

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    よく見たら、日本が誇る「zojirushi」ではなく、似たような単語を並べてあるだけ。象のマークもネズミ・・・ これで性能がいいのなら文句はないけれど、実際壊れやすいので困ったもんです・・

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天国へと続くコンビニエンスストア

ラテやカプチーノの練習のためだけにミルクを無駄使いする人は、僕の中において「できるバリスタ」ではない。


先日野暮用のために訪れたプリント屋さんの隣にあった、小さなコンビニエンスストア。
どこかで聞き覚えのある名前だけれども、実はここ、天国へ通じるコンビニエンスストアのようだ。

その名も「セブン ヘブン」!!

中に入ったかって?
僕はまだ天国へ行くつもりはないので、今回は外から眺めただけでした。

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話題は変わるけれど、少し前に家の近所を歩いていたらウサギが一羽、芝生を一所懸命食べていた。
こんなところでウサギを見るとは珍しい。

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羨ましいと思うこと

パスポートの切り替え時期が訪れた。 写真屋へパスポート用の顔写真を撮りにい行った。凛々しく映ろうと思って白のシャツを着ていったところ、写真屋のおやじから「背景の白とカブるから、白だけはやめてくれ」と言われてノコノコ帰ってきた。


昨日の朝、カナダ人の一人の政治家が癌でなくなった。 61歳という若さだった。
野党第一党の党首だった人。
記事にはしなかったけれど、5月にカナダで総選挙が開催されたとき、友人や会社のスタッフの多くが「選挙に行こう!」と声に出したり、Facebookで呼びかけていて、若い世代の人たちの選挙に対する意識度の高さに驚いた。

Jack Layton(ジャック レイトン)がこの世から去り一夜明けた今日、彼が死の直前に残していた、友人や自分の党メンバー、そしてカナダ国民にあてたレターが公開された。
新聞などで取り上げられたことはもちろん、選挙のときと同じくFacebookでは多くの友人たちがこの「レター」を皆で閲覧できるように回している。
僕は政治関係のことをこのブログであまり書きたくないし、いつも日本とカナダの良いところと良くしたほうがいいところを冷静に見ているつもりだ。
ただ、国民が今回の彼の死をどうとらえ、そして政治家を自分の国を代表する人として扱う姿勢が、日本のそれとはあまりにも大きく違うことに驚いている。
日本では自ら命を絶つ政治家、病気で亡くなる政治家が過去に何人もいたけれど、国民と国を思い、ジャックのように長い手紙を残した話を聞いたことも見たこともなかった。
そして、一人の政治家が亡くなったことで、こんなに多くの国民が嘆き悲しむ姿を日本では見たことがなかった。

去る3月11日に起こった惨劇を経てすら、日本の政治家を見ていると、変えなければいけない・変わらなければいけないことことから眼を逸らし、国民(犠牲者)のことを心の底から思っていないことが感じられる。
何も政治家だけが悪いわけではなく、国民一人一人も国政には無関心過ぎるし、「自分の国は自分たちで変えよう」という大きな動きが見えない。

「国や地域を代表する政治家は自分たちの身代わり」ということを強く意識している国民、しかも若い人たちがそう思っていることに、僕はカナダという国の将来に明るい光を感じるし、それが感じられない日本のことを思うと悲しい気持ちで一杯になってしまった。

自らの死の直前まで自国と自国民を思い、レターを残す政治家を持ったカナダ人に、今日ばかりは羨ましさを仕舞い込むことはできなかった。

レターの一章、「カナダ国民へ」の前に、あえて別の章「若い世代のカナダ国民へ」を設け、こんなことを書いている。

『私はあなたたちを信じている。あなた方のエネルギー、あなた方の想像力、そしてあなた方の正義に対する情熱こそがまさにこの国が必要としていることです。あなた方は、私たちの経済、政治、そして現在と将来における私たちの計画・企画、それら全てにおいて核となる必要があるのです。』



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16ドル20セント、尊敬の眼差し

ブルーベリーが贅沢に食べられる季節です


今日、仕事が終わってから、あるものを探しにインド系と中国系のお店が並ぶ商店街へと急いだ。
小さな個人商店で、目的のものではないけれど以前から欲しかったものがあったので幾つか購入した。
そのお店のレジでは、オーナーであろうお母さんの子供が2人、お手伝いをしていた。
もっとも中学生くらいのお兄ちゃんの方は端の方でスナックをモグモグしていただけで、僕が4点ほど商品を精算しているとき、お母さんが値段を読み上げ、小学校1年生くらいの女の子がレジ打ちを手伝っていた。
驚いたことに、その女の子は何の迷いもなくお母さんの読み上げる値段を両手でレジに、しかも素早く打ち込んだ。 
「近頃のチビッ子はすごいもんだな」と本当に感心させられた。
数字を読み上げたあと、お母さんはすぐに別のお客さんの対応。

僕が購入した商品の全額は、しめて16ドル20セント。
財布の中にはコインが溜まっていたので、僕は20ドル札と、1ドル20セントをコインで支払った。5セントコインなども混ぜて渡したので、瞬間レジ打ちの女の子は2,3秒固まってしまい
「マム!(お母さん)私、これ数えられないよ!」
とお母さんに助けの手を求めた。
それを見た僕は、すぐに
「僕が渡したのは、21ドルと20セントだよ」
と言うと、女の子は戸惑うような様子ながらも、僕が言ったとおりに数字をレジに打ち込んだ。

そして、レジのディスプレーに現れたのは、きっちり「5ドル」の数字。
それを見た女の子は、口をまん丸に開けて驚いた表情を浮かべた。
それから僕の商品をショッピングバッグの中に丁寧に入れ、それを渡す瞬間、女の子の表情には尊敬と憧れの眼差しがありありと出ていた。(これ本当に)

そのとき、僕は心の中で「まあまあ女の子よ。君もあと30年もすれば、これくらいの計算は簡単にできるようになるんだけどね」と、つぶやいた。

あ、ちなみに僕の知る限り、カナダ(多分アメリカも)では、買い物のとき、自分に返ってくるお釣りがキリのいい数字になるよう、小銭を混ぜてお金を調節する人は意外に少ないのです。

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売却

♪ ビーマイベイビービーマイベイビービーマイベイビー・・・


2年前の暮れ、僕はある人物と出会った。
僕はその日、ロースターでのカッピング(コーヒーティスティング)を終えて、集まった人たちと話し込んでいた。
その人物は、自分のカフェをオープンするということで、良質なコーヒー豆を焙煎するロースターを探していた。
彼はハリウッドのセレブ達やローカルの著名人のプライベートシェフをしていたので、コーヒーには詳しくはないけれど、美味しいコーヒーの味は分かるみたいだった。

その後しばらく経ち、僕は縁あって彼がオープンするカフェのヘッドバリスタとして採用された。
丁度時を同じくして、僕はその頃働いていたカフェからも「責任あるポジションを任せたい」というオファーをもらっていた。
長らく住んでいた家とエリアから引越しする時であったし、同じ歳のシェフが立ち上げるカフェのオープニングスタッフとして、自分がどこまでやれるか試したいという気持ちから、ヘッドバリスタのオファーを受けることにした。

いざオープンしてみれば、オーナー(シェフ)はクッキングの腕は誰もが認めるところだけれど、こと経営者としては頭を悩まさせられることが多々あった。
オープン1ヶ月余りで、15人くらいのスタッフが採用されては辞めていった。

どんな経験をしても学ぶことはある、と僕は思っている。尊敬して止まない経営者にも稀だけれど出会った。 どうしようもない経営者からも、反面教師として学んで損することはない。
が、そういう場所に長居するのは自分の時間と人生の無駄になりかねない。
給料のチェック(小切手)を2度ほど大幅に額を減らされて渡されて指摘したこともあったし、カフェスタッフとしては重要なチップの受け取りも不明瞭な部分があった。コーヒーのことを知らない彼にアドバイスすれば、素直な態度で聞いてくれないことばかりだった。
それでも、立ち上げたばかりのカフェ経営で頭を抱える彼を側で見てきて、自分にできるだけのことはしようと働いていた。

そんな僕も、様々なことがあって、半年ほどでそのカフェを辞めた。
その後、今も働いているコーヒー会社で採用されたわけだけれども、ここで出会ったコーヒーディレクターの存在は大いに僕を刺激した。また、しばらく前までヘッドバリスタとして働いていた僕の知識が、あまりにも彼のものと比べて乏しいことを思い知り、以来彼からは色々なことを学んでいる。

今日、前述のオーナーが、自分のカフェを売りに出していることを知った。
いつの間にか店の名前も変わっていて、そのスタイルもカフェだったのがレストランになっていた。
ついこの間は、そのオーナーが数日ホリデーで店をスタッフに任せて帰ってきたら、そのスタッフ全員がいなくなっていた、という笑うに笑えない話を友人から聞いたばかりだった。
それを聞いたときは「あー、彼は相変わらずスタッフを適当に扱ってきているんだな」と思っていた矢先のことだ。

結論として、僕は早々と職を離れ、一バリスタとして採用された今のコーヒー会社で身の丈を知ることになったことが良かったと、心から思っている。
肩書きにこだわらない性格が幸いしたかな・・などと自分に都合のいい風に捉えている。

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  豆から植えたコーヒーの木が芽を出した!! 長かったー。

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見知らぬ人との約束

家の外のコンポストビンに小バエが大発生!


かれこれ10年以上も前のことだ。 もしかすると15年位前かもしれない。
特急電車に一人で乗るのは、今も昔も苦にならない。
外の景色を見るもよし、スナックをつまむもよし、読書するもよし。 そして隣の席に座った見知らぬ人との会話を楽しめるのも魅力の一つだ。
席を確保するのに慌てたくないので、僕はいつも指定席を選ぶけれど、それで隣に座る人はクジ引きのようなもの。
もちろん綺麗な女性が座ればラッキーだし、中年男性が座ろうとも、相手次第では会話が弾む。
一期一会という言葉があるように、すぐ隣に何時間もいて、何一つ会話がないというのもちと寂しい。と、僕は考える。

10年か15年か前のその日、僕の隣には綺麗な女性が座っていた。言うまでもなく僕のほうからバリアーを張ることはない。
きっかけは何だったかは思い出せないけれど、とにかく隣の彼女との会話が始まった。

当時、僕にはガールフレンドがいたし、隣の彼女にもボーイフレンドがいた。なので、後ろめたいような会話は一切なく、お互いのことを色々と話していたように思う。 
彼女は福祉系の大学生で、当時は就職活動中。 そのうち、ボーイフレンドは車椅子に乗っているということを話し始めた。
僕はといえば、大学生の頃から何となく将来は早いうちに独立し、カフェブームが始まるずっと前から、人々の憩いの場となるようなカフェかレストラン、バーなどをやってみたいと考えていた。

「彼の車椅子を私が押しながら街に行ったりするんですけど、格好いいお店や美味しそうなレストランがあっても、車椅子だと入れないような造りの場所が多くて。それがいつも困ります」
福祉系の学生でもある、彼女の言葉には重みを感じたことを覚えている。
で、僕は言った。

「分かった。 僕が将来店を出すときは、必ず車椅子の人がアクセスできるような造りにしますよ!」

それから何年か経ち、僕はカナダに渡って、多くの車椅子に乗った人たちが街中を自由に動き回っているのを眼にして感動した。
カナディアンの友人が日本へ遊びに行って帰ってくると
「日本のお店やレストランは本当にクールだと思う。 でも入り口が狭かったり、ドアをわざと小さくデザインしたりして、障害のある人のことは考えていないみたいだね」
という感想を聞いた。
日本では、たとえば車椅子に乗った人たちは、目立つので外に出たくないというのではなく、社会の構造そのものが、車椅子や身体に障害のある人たちにまだまだ対応していないことが大きな改善点だと思った。

残念なことに、僕は見知らぬ彼女と交わした約束を果たす場所が日本ではなくなってしまったけれど(ずっと先のことは分からないが)、カナダという国で、あのときの約束を果たすために、今小さな、初めの一歩を踏み出そうとしている。

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             友人がランタンフェスティバルに出展していたので見に行ってきた。

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源 / Source

小さな観賞魚が我が家にやって来た


僕が今携わって、そして生活するための収入を得ているコーヒー。
その多くの知識や刺激はカナダで得たことが大きい。
それは、シアトルで伝説を作ったロースター、カナダで最初に国際資格のQグレーダーとなった同僚、老若男女が集う数々のローカルカフェなどなど。。。

そもそも、僕自身がカナダに来てから毎日のようにカフェに通うようになったのも「コーヒードリンカー」だったからだ。 とはいえ、依存症とかではなく、一日一杯のコーヒーをこよなく愛す一愛好者だ。

さて、思い起こせばそのコーヒー。 僕は小学生の頃から親しんでいたことに気がついた。
いまや両親が自宅でコーヒーを挽いて楽しんでいるけれど、子供の頃の記憶は、母親がコーヒー好きだったということだ。
僕が子供の頃なので、コーヒーメーカーなどは今のように普及しておらず、自宅で楽しむコーヒーは、もっぱらがインスタントコーヒーだった。
夕食の後片付けや洗濯を終えた母親が、居間でテレビなどを観ながらコーヒーを一口飲んだあとの
「あー、おいしい」
の一言が嬉しくて、何度となくコーヒーを作ってあげた。まあ、ただのインスタントですが。
「コーヒーは濃いものが美味しい」と思って、粉を多めに入れると
「ちょっと濃いね」
というコメントも出たので、濃ければ美味しいというものではないということは子供の頃に分かった。
 
インスタントコーヒーは、扱いがいたってシンプルなので、僕自身も熱いミルクをたっぷり入れたコーヒー牛乳(もちろん当時はカフェオレなんていう言葉は知らない)を楽しく飲んでいた。
記憶が鮮明ではないけれど、ミルクを温めるときも電子レンジでチンではなく、鍋をコンロの火に掛けて好みの温度になるように温めていたような。

そんなわけで、コーヒー好きの母親があったお陰で今の僕があるのかもしれない。その可能性は大きい。
そして、変わらないことは、子供の頃も今も、僕が淹れたコーヒーを飲んだ人の
「あー、美味しい」
の一言が、この上なく僕をハッピーにさせるということだ。

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  「あー、夏休み」は、by TUBE

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