左足の甲の痛みは2週間経過した頃には、歩く程度なら痛みが出なくなりました。


よし!このまま本番まで練習なしで安静にして、一発勝負することにしました。


当日は、少し早めに起きてお風呂で全身の筋肉を温め、入念にストレッチします。


身体が冷めないように、会場までの3kmを歩いて行きます。


頼む!痛みがでませんように。


いよいよスタートです。


スタートして数キロの沿道に、私の病気を知っている上司の顔を見つけました。○○さ〜んと私が声をかけるとビックリとした表情で、□□〜!頑張れ〜!と大声で応援してくれました。まさか、私がフルマラソンを走るとは思ってなかったのでしょう。


上司の応援を背に、私は拳を上げて答えました。また、普段寡黙なあの上司が私に大声で応援してくれたことに嬉しくて涙が込み上げてきました。


最初の5kmは、1ヶ月間身体を休めたからか、身体が軽く調子が良く、タイムも予想以上にいい感じでした。


これなら完走できる。しかも、5時間を軽く切れるんじゃないか。


しかし、そう甘くはありませんでした。9km地点で左膝に強烈な痛みがでたのです。練習では、1回もでたことのない箇所です。


そこからは、痛みが増して段々とペースが落ち、15km辺りではダメかもしれないとリタイヤが頭をよぎりました。


なんとか必死で20kmにたどり着いた時、ロキソニンを持ってきたことを思い出しました。


すぐに水なしで飲み込みました。


すると、数キロ走ったところで急に痛みが軽くなったのです。


やった!これでまだ走れる。


ペースは上がりませんが、痛みの苦痛はほとんどなく40kmあたりの最後の給水所につきました。


ここには、大学のテニス部の後輩の女性がボランティアをしている場所です。大会前に這ってでもたどり着くからねと約束していました。


給水所では、彼女に「やったぞ」と声をかけてガッツポーズして通過しました。


そして、いよいよゴールの陸上競技場に入りました。これまで過去に走った2回は半分走って、半分歩き7時間ギリギリでしかゴールしたことがありません。


しかし、今回は歩くことなく走り続けて5時間でゴールに辿り着いたのです。


ゴール後、競技場のど真ん中で泣いていました。


スタート地点にすら立てないかもしれないところから始まり、苦しい練習を経て、元気な頃より2時間も早くゴールしたのです。


この病気の始まりはいつなのか。


それはもうどうでもいいことです。


今できること、できたことを素直に喜び、感謝の気持ちが普通に溢れてきます。病気にならなければ、こんな気持ちにはならなかったでしょう。


当たり前のことができる幸せ。平凡なことが幸せ。

私を見てくれている方のブログに書かれた言葉です。


今、私も感じています。


おわり