褒めた言動は継続し、叱った言動は打ち消してしまう

 

皆さんの周りにこんな人はいるでしょうか。


「私褒められたら伸びるタイプです」


「褒められてもどう対応して良いか分からないんですよね。本当に思っているのかって疑ってしまうし」

 

このように一口に褒めると言っても、人によって受け取り方が多種多様なようです。

 

このことからマネジメントを行う上でも、特に意識することなく感情に任せるままに「褒める」と「叱る」を使用するリーダーは多いです。

 

ただ、集団をマネジメントする上で重要な「風土」を作っていく中で、褒めると叱るを使い分けられると非常に効果を発揮します。次の例を見てください。

 

もしあなたがリーダーで、社長から新規プロジェクトを任された場面があるとします。そこであなたは、自分の事業部から一緒に取り組んでくれる部下を募りたいと仮定します。

 

なぜなら自分のプロジェクトで成果を出せたら、同時にその部下の評価も上がるはずだから、あなたは自分の事業部のメンバーにチャンスを与えたいと考えます。

 

メンバーの前で意気揚々と新規プロジェクトの意義や社長の肝入りである点、成果を得た後のメリット等を説明後、いよいよ部下が手を挙げる間を取ったとします。そこで部下から挙がった声は意外なものでした。

 

「今進行中の事案が手一杯で手が出せません」
「もちろん手を挙げたいところなんですけど、自信がありません」

 

このような場面になった場合、あなたならどうするでしょうか。

 

1、あきらめて他の事業部に募りにいく

2、このような時に手を挙げられずに、どうやって成長の機会をつかんでいくんだと激を飛ばす

3、この場は初出しの情報だったから、一旦、その場はよく考えておくようにと伝え、次回のミーティングまでに事前に期待する部下に手を挙げてみるよう話しておく

 

1は結果として、自分の部下にチャンスを与えられないので論外として2と3はいかがでしょうか。

 

褒めると叱ることの効果について、特に信念がない多くのリーダーは2を選択してしまいます。

 

激を飛ばすと言うと聞こえはいいですが、なぜこういうときに手を挙げないんだ、向上心を持てないのだという気持ちからイライラした感情が伝わってきます。

 

激を飛ばして無理矢理手を挙げさせた仕事は成果もついてこず、下手したら後々の退職の真因になりかねません。

 

この場合は3を選択するしかありません。しかし、3も妥協案です。ベストは言うまでもなく、最初に発信したときに多くの部下から手が挙がることです。ではどのようにしてそのような風土を作れば良いのでしょうか。

 

専門学校の現場でも、意欲も能力もばらばらなクラスのマネジメントを行う上で、前述のように誰も手を挙げない空気ができるクラスと、多くの生徒が手を挙げて立候補者が多数出るクラスが存在します。

 

謝恩会の実行委員を募集したときに、一切手が挙がらないときの教室の空気や、平気なフリして薄ら笑いを浮かべている自分の情けないことこの上ない姿、そして今すぐその場から逃げ出したい思いを今でも覚えています。

 

手が挙がるクラスと挙がらないクラスの差に、どうやら先程のプロジェクトの例をクリアするヒントがありそうです。

 

新しいことに挑戦する風土ができているクラスは、実は普段の些細な機会でも手を挙げることに対して集団の前でリーダー(担任)がその姿勢を褒めているのです。

 

清掃係のリーダー、号令係、授業中に手を挙げる姿勢、行事の実行委員など、生徒が勇気を出して一歩踏み出すことに対して、担任がクラス皆の前で全力で褒めます。

 

そうすると、挑戦することは素晴らしいことだという空気がクラスの中に出来上がります。クラスの掲示物として「日々挑戦」などと目標を掲げなくても挑戦するクラスが出来上がるのです。

 

「褒められた言動を人は継続する」という特性をうまく活用しているのです。

 

先程の事業部の例で言えば、社長の肝入りのプロジェクトを任される前に、普段のちょっとした機会に積極的な姿勢を示した部下を皆の前でしっかりと褒めていれば、自然と手が挙がる風土ができていたはずです。

 

他の要因として、リーダーであるあなた自身が普段から挑戦する喜びを背中で見せているかという点も外せないのですが、今回の主旨から話がそれてしまうので、別の章で紹介することとします。

 

では、褒めるべき行動を起こさない相手に対して叱ってしまうとどうなるのでしょうか。


「ここで手を挙げられないと、社会で通用しないぞ」


これは焚きつけているつもりで、ますます手を挙げにくくします。または、怒られるのがいやでいやいや手を挙げるか、どちらかです。それは、叱るという言葉が持つ効果がそうさせます。

 

叱られた言動は打ち消す、または刹那的な奮起を促し、その後結局打ち消す

 

この特性を説明する上で、実際に僕が体験した事例を紹介します。専門学校ももちろん私学の学校法人なので、利益を出さないと閉校に追い込まれてしまいます。

 

専門学校で利益を上げるということは、多くの人に入学してもらうことです。そのためには集客と歩留まりの2点が影響します。

 

学校に足を運んでくれた入学希望者の集客に成功し、学校の雰囲気を掴んでもらったら、その後1カ月以上の間を置かずに再度来校いただけるようにコンタクトを取れると他校に入学してしまう懸念を減らすことができます。

 

この後追いの連絡は、日々の生徒対応、授業準備、行事等の校務の資料作成等、日常業務に追われると疎かになりがちです。

 

特に生徒対応は、目の前の生徒が苦しんでいたら急遽でも面談時間を設けます。教員はそもそも教育がしたい人が多いので、教務を優先しがちになります。

 

自然と広報にかける時間は減らされていくことになるのです。そこでマネジャーが奮起を促すために会議の場で、教務を優先しがちなメンバーに対し叱りつけるとどうなるでしょうか。

 

叱られた会議日の翌日から1週間ほどは、入学希望者に対して電話掛けを始めます。動機は怒られたくないからです。

 

ただし、そんなときマネジャーが出張で不在になると、途端に誰もやらなくなり、元の教務を優先する事業部に戻るのです。叱るという行為は刹那的には奮起を促すが、結局行動を打ち消すことになります。

 

しかし、叱るという行為を否定したいわけではありません。叱るという行為の特性を理解していると、適切な場面があることが分かります。打ち消したい行為には使用しても良いからです。

 

例えば、マネジャーであるあなた自身が話しているのに、メンバーが横にいるメンバーとコソコソと話す、人が話している時の聴く姿勢としてはふさわしくありません。そういった行動は打ち消すために皆の前で指摘して良いのです。

 

この節のまとめとしては、あなたが増やしたい言動は褒め、打ち消したい言動は叱ってください。この特性を意識的に活用すれば、あなたが思い描く事業部の風土は形成できます。

 

アクション11

前節で理解した事業部の風土を作る上で、褒めることと叱ることを意識的に使い分けましょう

 

 

事業部内で影響力を得るために最も適した行動は何でしょうか。

 

基本事項を徹底して信頼を得る、他者との約束を守る、他者のフォローができるなど多数の例を挙げられます。その中で僕が絶対にこだわって欲しいのは、「会議での発信」です。

 

今は事業部の中で、会議をどのように位置づけていますでしょうか。働き方改革が叫ばれる中で、ともすると「会議」は時間削減の対象として選ばれてしまいます。

 

ただ話すだけなら、2週に1回、または月に1回で良いと声が挙がることもしばしばです。「無駄な会議は極力減らそう」という大義の元に、会議にこだわりがない役職者だとその勢いに押されかねません。

 

伊賀泰代氏の著書『生産性』によると、会議の達成目標は次の5つに整理されています。

 

1、決断すること

2、洗い出しすること(リストを作ること)

3、情報共有すること

4、合意すること=納得すること=納得してもらうこと

5、段取りや役割分担など、ネクストステップを決めること

 

恐らく多くの企業において、これらの5つの分類は納得されるところだと思います。

 

ただ、実はもう一つ会議には大事な役割があると僕は考えます。

 

それは、「方向性を発して、事業部の風土をつくること」です。

 

僕が会議の位置づけにそのこだわりを持つようになったのは、専門学校現場で、社会人の卵40名の担任をしていた頃の体験が元になっています。

 

専門学校は「社会人育成の場」という位置づけがあるため、卒業までに社会人としてのマナーや姿勢を、学校生活の中で身につけていく必要があります。そのため、担任は毎週のホームルームでどんな発信をするのか、そこでクラスマネジメントの成否が大きく変わります。

 

担任はホームルームを迎えるまでの1週間の生徒の様子を見ながら、どんな話をしたら理想としているクラスのあり方に近づいていけるのか試行錯誤しながら発信していきます。

 

僕が若手社員の頃は、クラスとして到達したいビジョンも、こうあって欲しいというクラスのあり方も、信念として持っていませんでした。

 

自分が社会人として未熟であったために、どんな社会人を育てていきたいかというイメージを持てていません。「信念」の定義は、その信念から外れた言動を取る人がいた場合、とても気になってしまうほどこだわってしまう事柄を指します。

 

信念があるのとないのとでは、クラスにどのような影響があるか例を挙げていきます。自分が担当したクラスの生徒に、次に挙げる3つの特徴があったとします。

 

1、人から物を受け取るときに、片手で受け取る

2、人の話を聴く上で、目を合わせない

3、挨拶のお辞儀を終えた後、お互いが顔を上げた後には目が合わず、既に違う方向を見ている

 

Aさんという担任は、一の例では社会人としてどうしても気になるので「両手」で受け取るべき、二から三の例では必ず目を合わせるべきだという信念があったとすると、自クラスの生徒全員が徹底できるようになるまで、毎週のホームルーム、またはできていない場面でタイムリーに指導していきます。

 

かたやBさんという担任の元では、二の例については信念があるけど、一と三に挙げた例についてはそこまでこだわっていない状況だとします。この場合、Bさんが担任の元では、一と三についてはいつまでも徹底できないクラスができあがります。

 

担任のルーズな面に生徒が似ていくのです。新入社員が教育係の先輩社員に似ていくと言われる理由がここにあります。

 

僕は大学時代にあまり真面目な学生ではなかったため、「毎日学校に行く」ということに対して、信念がありませんでした。そのため、学校を休む生徒に対して、他の担任と比べたら寛容なところがありました。

 

するとみるみるうちに生徒たちの出席率が低下し、他のクラスは毎日意欲的に生徒が通っているにもかかわらず、僕が担任していたクラスは大切な行事すらも大半の生徒が欠席してしまう風土が出来上がってしまったのでした。

 

若手の頃のそのような苦い経験から、僕は以下のようにクラスのマネジメントのあり方を変えました。クラスとして到達したいビジョンを持ち、細かいところまで信念を磨き上げて、気になるところは毎週のホームルームで発信していくことで、生徒たちは毎日学校に来て、卒業したら一緒の職場で働きたいと思えるほどの人材に育て上げることができたのでした。

 

これまで例に挙げた専門学校現場におけるホームルームが、企業における「会議」だと僕は位置づけます。クラスとして到達したいビジョンとは、事業部として到達したいビジョン。

 

こちらを年度初めの会議、または期の初めの会議で、役職者が自ら考えた内容を発信いたします。絶対にやってはいけないのは、会社や役員から与えられた上位方針に関して、送られてきた資料をそのまま共有するだけの発信です。

 

これは信念を持たずに担任した僕のクラスと同じ過ちを犯すことにつながります。必ず自分の言葉に変換して発信してください。そして、発信しただけで終わらないようにするために大切になるのが、そのビジョンを達成するためには、メンバーにどうあって欲しいのかという指針です。

 

この指針については、節目の会議で発信するだけでは浸透しません。何を重点的に繰り返して伝えるかという「頻度」と、何について事例を交えながら深掘りするかの「深度」を意識しながら、会議の場、日常の中、あらゆる場面で発信していきます。

 

ではどうすれば、会議の場で気づいたことを発信していけるのでしょうか。ここからが、この章で一番お伝えしたかった内容です。まずは手法としてのお勧めは都度発信したいことを、「思いついた時に即刻」手帳を開き、会議がある週に転記していくことです。

 

手帳ではなく、デジタル派の方は、パソコンやスマートフォンへのメモでも構いません。

 

僕は会議当日までの日々の中で、個別でのメンバーとの対応だけでなく、全体に共有した方が良い価値観があれば、その場で手帳にメモを行うようにしています。どんなことをメモしているか、ご紹介します。

 

・依頼物は、依頼しただけで終えずに完了確認まで徹底すること(課題)

・相談者は、「どうしたら良いですか」で終えずに、自分の見解を伝えて可否について尋ねること(課題)

・今の時期は、既存顧客のフォローはもちろん、新規顧客への電話がけに労力をかけて欲しい(方針)

・Cさんの話を聴く姿勢が素晴らしいと取引先から連絡があった(賞賛)

・新しい業務が多々入ってくる中で、前向きに取り組む皆と働けて、改めてうちはすごいと思った(鼓舞)

 

これらの例にあったように、課題、方針、賞賛、鼓舞を、その時々の事業部の状況に合わせて、まずは上司が発信していきます。

 

会議で必ず発信するという役割を自らに課すと、事業部を見る目が変わります。特に賞賛については、意識して見つけないと事業部の課題ばかりが目についてしまいます。

 

こういった発信を通じて、事業部の雰囲気をどんどん前向きに変えていき、一人の上司の声掛けでチームとしての成果が変わる様子を部下に見せていきます。否、魅せていきます。

 

そうであれば、「上司に魅力がないから憧れない」という部下は必ず減らせます。この節のまとめとしては「会議の位置づけを明確にして、自らが発信する役割を担い、事業部に良い風土を作れるように日々のチームの状況にアンテナを張っていく」ために、気づいたことを記録する習慣を身につけましょう。

 

アクション10

  会議の最後にあなたが感じる事業部の良い点や、課題について発信していきましょう

 

 

判断は、どんな過程を経て行われるのか

 

プレイヤーからプレイングマネジャーとして役割が変わる時、プレイングマネジャーからマネジャーへと役割が変わる時、多くの部下から寄せられる不安の声が、「自分に判断ができるのか」です。

 

それまでは会議で意見が分かれた時には、最後はマネジャーが決断してくれました。根拠が揃えられる案件なら良いですが、いずれの意見も正解だと思える時には誰もが判断に迷いますよね。

 

僕は若手の頃、判断に自信がありませんでした。それまでも専門学校現場で生徒対応、保護者対応、取引先の対応など多くの判断を必要としましたが、その判断のほとんどは上司が考えそうな結論をひねり出すというものでした。いわば、職場での正解を探り出すような判断の仕方でした。

 

転機になったのは6年目です。普段所属する事業部が異なる社員が集められ、よくあるトラブル処理の仕方についてグループ内でケースに応じてディスカッションをしました。

 

日常にありそうな場面が描かれ、その後にどう対応したら良いか4つの選択肢の中から選ぶという形式です。それぞれ事業部が異なるとはいえ、同じ社風に惹かれて入社した社員達ですから、僕は当然、全員が同じ選択肢を選ぶと思っていました。

 

ところが、実際はそれぞれの考えのもと選ぶ回答が違ったのです。当然ですが、同じ状況が描かれていてもそれぞれの価値観を背景として「正解」が違ったのです。

 

意見交換をしていると、全員がしっかりとその選択肢を選んだ理由を持っていました。その時に、正解は一つではないんだ、正解は自分で決めて良いんだと気づきました。同時に、ではなぜ自分の部署は多くの人が部署内の正解に染まっているのか疑問を持つようになり、一つの結論に達しました。

 

マネジャーの判断に一貫性があると、自分で考える社員が減る

 

判断にはルールを尊重する態度と、ハートを尊重する態度の2つの切り口があります。ルールを尊重する態度とは、文字通り社内で決めた基準や取り組みを優先することです。

 

ハートを尊重する態度とは、人の心情やモチベーションを重視して、柔軟に対応することを指します。

 

これはどちらが良い、悪いはありません。なぜなら、ケースに応じてルールを優先するのか、ハートを優先するのか、時と場合によって判断して良いからです。

 

しかし、僕が社会人になって初めて所属した事業部では、マネジャーの判断はルールに偏っていました。象徴されるのは、マネジャーに「目標とは何だ」と問われると、異口同音に全員が「絶対に達成するものです」と返答できるほど価値観が統一されていました。

 

ティール組織とは程遠い組織です。そのため、前述したように僕の判断は事業部内での正解に沿えるように検討することが多くありました。

 

ルールとハートの例をご理解いただく上で、専門学校現場で実際に判断することになる事例を皆様に紹介いたします。次に挙げる例は、きっと今でもマネジャーによって判断が分かれることになります。

 

事例

翌年度からカリキュラムが異なるコース選択を行う上で、ベテラン社員Aは自クラスの生徒に、教科書などを発注する時期とも関わるから締切日以降の変更は認められないので、コース選択申込用紙を提出する際にはよくよく検討するようにと発信していた。一方、新入社員Bさんは、ベテランほどの事前発信ができずに、コース選択申込用紙の提出締切日について触れた程度。後日Bさんのクラスの生徒から締切日以降にやはりコースを変更したいという希望の相談が挙がり、保護者の方からも電話で相談があった。

 

このようなケースの場合、ルールを尊重する判断とはどのようなものでしょうか。締切日以降の変更は認められないと全体に発信している以上、変更は認めないとする判断を指します。言ってみれば、ルール10、ハート0の状態です。

 

では、ハートを尊重する判断ではいかがでしょうか。十分な認識を持たせられなかった学校に非があるとして、Bさんのクラスの生徒の申し出を受諾して生徒の安心を得ようとする判断になります。ハート10、ルール0の状態。

 

ルールに偏れば、コース選択後の生徒のモチベーションが心配です。「本当は変更したかったのに」という不満を持った生徒を抱えることになります。ハートに偏れば、本当は相談したかったけど我慢した他の生徒に「相談したら変えられたのか」という不満を与えかねません。

 

皆さんならどう判断しますでしょうか。ぜひ、専門学校のマネジャーになった気持ちでご検討ください。

 

ここで御詫びがあります。実は判断に必要な情報をお渡ししていません。このケースで言うと、次のような「環境因子」が必要になります。

 

□締切日を延長しても、運営上困らない範囲なのか

□他の生徒にはどこまで認識を持たせられているのか

□保護者の主張はどうなのか

 

これらの環境因子を踏まえて、今回のケースの例解としては以下のようになります。

 

例解

生徒の変更希望は受諾する。ただし、他のクラスにも潜在的に同じような不安を抱える生徒がいた場合不平等になるため、再度翌日からの一週間を通じて各クラスにてコース変更の希望がある生徒は申し出るよう周知すること。今回延長した期日以降の変更はいかなる理由でも認められないことを認識してもらうこと。

 

この例解はハート7、ルール3ぐらいの割合です。例解としているのは、正解ではないからです。僕はこのように判断するでしょうが、他の事業部であればその時の状況で違った判断をする可能性もあります。今回お伝えしたかったのは、状況に応じてこのルールとハートのバランスは調整して良いということです。

 

僕が複数の事業部を引き継いで感じるのは、事業部内で毎回偏った判断がなされて、部下がうちのマネジャーの判断は分かりやすいと嬉々として話す事業部は、部内の正解がはびこり、部下が思考停止している割合が高いです。

 

自分の頭で生徒にとって何が最善かを考えなくなり、事業部内での正解を探るようになります。かつてメンバーであった僕もそうでした。

 

この節のまとめとしては、判断一つ取っても、自分の価値観によってどういう解を出す傾向にあるのか整理することで、部下の納得感を得られる説明ができるようになります。

 

アクション9

判断とはどのように行うのか体系立てて説明できるリーダーになることで、部下の判断に対する苦手意識をなくしましょう

 

 

他責型人材は、変われると信じ切る

 

人のせい、環境のせいにしてしまう人、いわゆる他責型の思考習慣がある人は、果たしていつまでも変われないのでしょうか。この問いに対する答えは人それぞれですが、僕は何度もお伝えしていますが次のように考えます。

 

「人はいくつになっても変われる」

 

これが揺るぎない僕の信念です。

 

では実際にどうしたら変わっていってもらえるのでしょうか。その話に入る前に、他責型の思考というものを定義しておきます。分かりやすくするためにいくつか分類してみました。

 

1、自信過剰タイプ

 

ここまで言っているのに、なぜ分からないのだろう

例 仕事の仕方を教えたけど、何回もつまずく部下を見た上司の気持ち

 

正しく伝えたのに、どうしてそんな理解になるのだろう

例 15時で約束したのに、相手が5時だと勘違いした時に抱く気持ち

 

2、悲劇の主人公タイプ

こんなに頑張っているのに、何で協力してくれないのだろう

例 自分の抱えている案件が多くて、周りはさっさと帰宅した時の気持ち

 

何で自分ばっかり落ちているゴミに気づくんだろう

例 清掃時間以外に、応接や水場周りのゴミを片付けている時に抱く気持ち

 

3、環境が全てタイプ

あの人は評価されているけど、結果を出しやすい環境にあるからな

例 同期や同僚の抱えている事業で利益を生んだ時に感じる気持ち

 

自分が勉強を頑張れなかったのは、良い先生に恵まれなかったから

 例 他の人が勉強にやる気に満ちていると聞いたときの気持ち

 

どうでしょうか。これらの状況を見たときに思い当たる人が浮かぶでしょうか。他責型といってもいくつかタイプがあり、どれか一つでも思考の癖があてはまったら注意が必要です。

 

ちなみに僕は社会人3年目までこの3つのタイプの全ての思考習慣を持っていました。我ながらとんでもない人材です。

 

僕自身が自責型の人材になれたきっかけと、その後マネジメントでも実際に実践して確信を得た取り組みをこれから紹介していきます。

 

僕のように他責から自責型の思考習慣に変われて、人生を好転できる人が少しでも増えて欲しいです。

 

「一対集団で発信すべきこと」

 

他責型の思考が元となり、退職を選択する人の理由は、今も昔も上位に「人間関係」が入ります。人間関係をコミュニケーションのすれ違いと捉えて、部下には次の比喩表現について考えてもらいます。

 

これから2つの文を掲載しますが、〇の部分には皆さんの家庭の中にある物漢字一文字が入ります。ぜひ、考えてみてくださいね。

 

 

物事が良い状況にある時は〇を見る。

物事が悪い状況にある時は〇を見る。

 

〇に入る漢字は思い浮かびましたか。家の中にある漢字一文字なので、実際にクイズとして発問するととても盛り上がります。残念ながら文章ではやり取りができないので、答えを提示します。

 

物事が良い状況にある時は「窓」を見る。

(周りの人々のおかげ)

 

物事が悪い状況にある時は「鏡」を見る。

(自分ごととして捉える)

 

これだけを読むと、ふむふむと思える人も多いでしょう。でも世の中逆の人が多いですよね。逆にするとどうなるでしょうか。

 

物事が良い状況にある時は「鏡」を見る。

(自分の手柄)

 

物事が悪い状況にある時は「窓」を見る。

(周りのせい、環境のせい)

 

年末の忘年会。新橋で飲んで酔っぱらっている人の映像が流れ、インタビュー時に気を良くしたサラリーマンが「上司のバカヤロー」と叫ぶ姿。これは悪い状況のときに「窓」を見ている人の典型です。

 

話を自責に戻します。自責の定義は「全ての要因は自分」と捉えることではなく、次の通りです。

 

すべての状況は自分が作り出しているという立場を取ること

 

ポイントは責任の所在という観点を外すこと。教育現場で例えると、生徒が授業中に寝ている状況を作っているのは自分ということになります。

 

つまり授業の組み立てに工夫の余地があり、眠くならないような話の引きつけ方を身につける必要があることから自己の成長につなげるという捉え方です。

 

でも寝ている生徒の中には夜中まで起きていた人や、遅くまでアルバイトをしていて肉体的にも限界という人はいます。だから責任の所在に目を向けてしまうと自分の授業は悪くない、生徒の生活習慣が悪いんだと言い出しかねません。

 

しかし、この状況を作っているとしたらという観点で捉えると、夜中まで起きていた人ですら起きていたいと思える授業をするにはどうしたら良いかという前向きな力を取り戻せます。

 

あるいは、翌日の授業をきちんと受けられるような生活習慣を身につけられるよう生活指導に力を入れるでしょう。

 

もし、次に示すような場面に遭遇したら、自責型の態度で捉えるとどうなるでしょうか。

 

「何回言っても、この企業は違った商品を納品してくるんです」

→依頼の仕方、注文書の書式、商品を受け取った時の指摘の仕方等工夫できる

 

「後輩に指導しても全く響いてないんです」

→普段の信頼関係なのか、伝え方なのか、教える方法等を工夫できる

 

ファミリーレストランで注文した料理と違うものが届いた

→写真を指差して注文するのか、復唱をちゃんと聴く等工夫できる

 

この状況を作っているのが自分だと捉えると、打つ手が浮かび続ける

 

先程の例には全て「等」という言葉が入っています。一つの問題に対して、打ち手は一つではないことを表し、打ち手が浮かんでいる間は相手のせいにしないで済むということが分かります。

 

つまり、相手のせいにするストレスを減らすことができるのです。自責型の態度で物事を捉えられるチームになるためには、会議などの一対集団の場で、これまで述べたような価値観を「メンバーのストレスを減らす為」という大義で何度も発信していきます。

 

それでも他責型の思考癖が変わらなかったら、自責の姿勢で捉えて伝え方を工夫し、手を変え、品を変え何度も発信していきます。

 

部下に変化が訪れない様子を、リーダーが自責の態度で捉える姿勢を見せていたら、その姿に影響を受けるメンバーが現れ始めて少しずつ変化していきます。

 

次に1on1で取り組んでいく時に必要な態度を提示します。

 

1、まずは先に愛する

2、長所を見つける

3、信念を発揮する

 

1~3と表現しましたが、これらは全て並行して行う必要があります。どういうことか次から順番に説明していきます。

 

1、先に愛する

 

他責型人材との1on1は育成側の器が試されます。例えば、人事評価を伝えるときに「今年はこんな状況でしたので」「一緒に組んだあの人とは合わなかったので」という発言が飛び出してきます。

 

その時に、苛立った感情から「いつまでもそんな発言をしているから周りから信頼されないんだ!」と発言してしまったら成長を促せないばかりか、育成者側の信頼も失ってしまいます。

 

そこで、僕は他責型人材との面談に入る前には心の中で、「何言われても愛す!」と10回唱えてから入室します。

 

「私はできる」と何回も宣言するアファメーションに近いかもしれません。そうすることで、他責の発言を聞いても相手のストレスを除きたいという感情が働き、相手のことを想った反応ができます。

 

他責型の人材であっても、先に愛することでどんどん愛せる人材に変わっていってくれた経験が多数あります。

 

話し手の目的が「相手に分からせるため」から「相手のため」に変わると同じ内容を伝えるのにも、「ここは信頼をしているから」等のクッションフレーズを挟む余裕が生まれます。

 

さらに信頼関係を結んで1on1を効果的にするためにも、相手の良さを見つける必要があります。そのため次の視点について触れていきます。

 

2、長所を見つける

 

美点凝視を体得しているか

 

教育業界ではよく使われる言葉、美点凝視。

 

人の短所ばかりに目を向けるのではなく、長所に目を向けようという意味合いが込められています。人を指導する役割にある人で、人の欠点を見つけることが得意な人と人の良いところを見つけることが得意という人に分かれます。

 

でも人の良いところを見つけることが得意という人は、実は悪いところだって見つけられています。それでも尚、良いところに着目する姿勢を持っている人こそが美点凝視という姿勢を持っているのです。ただし、良いところを見つけるには次の態度も必要になります。

 

3、信念を発揮する

 

良いと認めるには、自分にとって何が良いことなのか知る必要がある

 

ゴミを跨がないという信念がある人は、通りすがりに事務所に落ちているゴミを拾う部下を見て「素晴らしい姿勢だね」と長所を見つけることができます。

 

簡単なことを妥協しないという信念がある人は、どんな電話の伝言にも必ず先方の連絡先を記載している人を見かけると「いつも徹底していて素敵だよね」と思えます。

 

自社の評価基準以上に、人としての美学をたくさん持っていると、その数に応じて人の長所をよく見つけられる人になることが可能です。

 

他責型の人材に変わってもらうためには、先に愛します。愛すると、相手の納得感を得られる伝え方ができて、伝わり方が変わります。

 

愛するためには相手の課題だけでなく、長所を見つけられる視点が必要になります。長所を見つけるためには、育成側に人としての信念が必要になり、信念が複数あれば相手の良さを見つけられます。

 

他責型の人に自分の考えを理解してもらおうと思ったら、先に相手のことを理解する必要があります。そして、理解するためには繰り返しになりますが、先に愛します。

 

この節のまとめとして、どんな人材であろうと、まずは先に愛することです。照れくさくても、恥ずかしくても、まずは言動に表していきましょう。

 

アクション7

本節に書いたクイズを使って、部下のストレスを除くためという意図で、自責型思考について発信しましょう

 

 

 

結果を出している人には共通点があります。それは一つひとつの言葉に、その人ならではの「定義」を持っているということです。

 

例えば、「失敗」の定義。広辞苑では、失敗は成功の反対とされています。しかし、今となっては多くの人が失敗は「何もしないこと」と説くようになりました。そのため、失敗の定義を「何もしないこと」とする人は、挑戦の機会を大切にします。

 

このように定義を持っていると、自分が選択する言動に影響を与えます。人を育てる上で、人に贈る言葉にどんな定義を持たせているのか、リーダーの考察の深さが問われます。

 

あなたは「成長」にどんな定義を持っていますか。僕は若手の頃に、3000人規模の合同行事を成功に収めた後、上司から「成長したな」という言葉をいただきました。

 

その上司は、その年度に異動してきたばかりです。成長したという言葉を上司から言われたら、多くの人は評価をしてもらえたと喜ぶべき場面です。

 

でも前年度も全く同じ行事を統括していた僕には、元々できることをしただけという認識があり、心には響きませんでした。お互いが成長の定義をすり合わせておかないと空虚な言葉になってしまう、言葉の定義がいかに大切かという典型的な例を挙げました。

 

成長について掘り下げていくと、次の3つのうちどれを指しているのか、部下に課題を与えるにあたって前提としておさえておきましょう。

 

1、できなかったことができるようになる

2、できていたことにかかっていた時間が半分になる

3、同時にできることが複数になる

 

またはこの三つにすら該当しない内面の成長も存在しますよね。部下に業務を依頼し、成長を期待するときには、何を期待しているのか明確にしましょう。

 

次に「幸せ」の定義について触れていきます。社会人14年目で大阪から異動してきた男性社員のAさんを例に挙げていきます。Aさんは役職者になりたいという欲求があるわけでもなく、それまでは自分のできる範囲でチームに貢献してきました。

 

周囲のメンバーからすると、ベテランらしい落ち着きと、自分の仕事を回す基本はできているので信頼はできるけど、周囲をひっぱるようなリーダーシップを発揮する場面が少ないなという印象です。

 

Aさんと会食する機会を設け、普段のチームへの貢献を労いながら、僕が抱いている印象を率直に伝えました。すなわち、大阪から異動してくる機会をきっかけとして、Aさんの何を変えようとしているのか分からないという印象を共有しました。

 

Aさんは「このままでいい」という安定思考と、「このままじゃダメだ」という成長意欲のどちらが自分の本音か分からないようでした。話を聴く中で、Aさんの本音は「このままでいい」けど、ベテランとして求められる役割を考えると、「このままじゃダメだ」と感じているという整理ができました。

 

このときの会食は、結論を出すことが目的ではなかったので、新しい部署で、自分がどうありたいのか、どんな人材として仕事をしていきたいのか、自分の「解」を見つけるようにと伝えて会食を終えました。

 

環境の変化や、節目を成長のきっかけにできる人と、以前からの惰性でそのまま目の前の仕事をこなす人。惰性で取り組むとAさんは、生徒からの目、後輩からの目を気にして、大阪のときと同じ苦しみを味わうことになる、そう判断して話をしました。

 

現段階の自分にとっての新天地での「幸せ」の定義を固めることは、苦しい工程ですが、必ずAさんにとって大切な指標になる、そう信じて気持ちを共有しました。

 

最後に、「働くこと」について触れていきます。働くという言葉の語源は、一説によると「傍(はた)を楽に」ではありますが、次のどちらの考えを持っているかで、日々の仕事への接し方が異なります。

 

働く=時間をお金に換える

働く=経験を人の喜びに換える

 

多くの経験を積んで、後輩に良い影響を与えられる仕事観を持つ人材は、もちろん後者の定義を持つ人です。

 

辞書や広辞苑に頼らずに、一般的に語られる言葉に自分なりの定義を持つこと、それをリーダーからの言葉として発信していくと、事業部の風土は変わります。

 

そして部下の言語習慣、思考習慣、行動習慣に良い影響を与えます。今節のまとめとして、あなたの経験から得られるあなただけの言葉を、日ごろからどんな言葉も定義しておきましょう。まずは手始めに今節に登場した言葉から定義してください。

 

アクション6

  成長、幸せ、働くことについて、あなたの経験から得た定義を言語化してください

 

 

リーダーの価値づけの仕方

 

学生も部下も、あまりリーダーというものに立候補をしたがりません。かくいう僕も学生のときは誰かを引っ張る、積極的に前に出るなどは苦手な人間でした。

 

でも係や部、はたまた特定のプロジェクトまで、様々な役割に長がつくポジションがあります。その役割をやりたがる人と避けて通りたい人。どうしたら積極的に動ける人を育成できるのでしょうか。

 

「リーダーって何すれば良いのですか?リーダーって大変ですよね?」

 

これはかつての僕の気持ちです。人から聞かれる度に、違う回答をする価値観はなかなか人に浸透させられません。毎回ニュアンスが違うということは、信念にまで昇華できていないことを表しています。

 

そのため、人にリーダーの魅力を伝えるにはリーダーに立候補する意義を定義づける必要があります。

 

もしリーダーを避けたがる当時の僕に言える機会があれば、以下のように伝えます。まずはリーダーの定義からです。

 

リーダー = リーダーシップを発揮して成果を出す人

 

リーダーシップ = 対人影響力

 

つまり、人への影響力を発揮してチームとしての成果を上げられるよう努力する人をリーダーと言います。実にシンプルな定義ですよね。

 

率先垂範型の背中で示すことも、人を支えるサーバント型のリーダーシップでも、成果を上げられているのであれば、どちらのリーダー像も正解だと考えます。

 

リーダーシップには様々な理論があるけど、僕は影響力があって結果が出せるのであれば何でも良いと伝えます。でもリーダーは初めからできる人なんていません。

 

赤ちゃんを見て、「あぁこの子は生まれながらのリーダーだ」なんて誰も思いませんよね。影響力を身につけるには、人間力を磨いていく必要があります。

 

人間力が無かった僕が言うのだから間違いありません。人間力を磨くというのも具体性に乏しいので、翻訳する必要があります。

 

人間力を磨く = 人としての器を広げる

 

器も曖昧なので、言い換えます。

 

人としての器 = 人との違いを受け入れられる器

 

これらをまとめると、リーダーに立候補すると次のような経験を得ることができます。

 

リーダーに立候補し、チームに方針を発信すると、自分とは違ったいろんな価値観を持っている人間がいることを経験できます。

 

そして、それを理解し、受け入れる器を磨いて、他の人を巻き込む経験を得ることで、人間力を磨く経験を積んでいくことができるのです。他の人はリーダーとの意見の食い違いしか経験できないため、人としての幅を広げられません。

 

できるかできないか、ではなく勇気を出して飛び込むことで、自分で想像もできないような成長を遂げることができ、その一歩を踏み出せる人が、仕事も生き生きと取り組んでいけます。繰り返しになりますが、誰もが初めからリーダーではありません。

 

リーダーに立候補し続けた人だけが、他者との価値観の違いに苦悩し、葛藤に出会えます。その葛藤を乗り越え、多くの人の価値観を受容できて、人との違いを歓迎できる人は人への影響力を身に着けていくことができます。

 

そうして身に着けた人への影響力を発揮して、目的地を示し、メンバー全員が同じ方向を向けるよう働き掛けて成果をあげていくことが、リーダーだけが得られるやりがいになります。

 

リーダーに立候補する魅力は、人との違いを受け入れられる器を磨けること

 

今節のまとめとしては、まずは小さな単位の集団のリーダーに立候補しましょう。人間力を磨く機会を手に入れてください。

 

アクション5

人をまとめる役割に積極的に手を挙げて、多様な価値観と触れ合い、成長するきっかけとなる苦悩を手にいれましょう

 

 

 

 

信念を内から生み出すのに必要なもの

 

本書の冒頭から、信念を持つことの重要性について一貫して述べてきましたが、どうすれば人は信念を持つことができるのでしょうか。

 

次の1~4に示した、組織行動研究者のコルブが提唱した経験学習モデルに、信念の見つけ方のヒントが隠されています。

 

1、具体的経験(それぞれの状況下で、具体的な経験をする)

2、省察(自分自身の経験を多角的に振り返る)

3、概念化・持論化(他の状況下でも応用できるように概念化する)

4、試行(別の状況で実際に試してみる)

 

信念を持つ上で、まずは具体的な経験が必要になります。「はじめに」で示した例で言えば、大型スーパーの駐車場に駐車するという具合ですね。

 

その後に、その経験の振り返りを行います。社長の言葉になぜ、あれだけ胸を打たれたのだろう、と振り返ります。次に概念化・持論化、いよいよ信念に変えていきます。

 

大型スーパーだけでなく、他の企業を訪問するときにもそうしよう、と決意することがこれにあたります。最後に試行、ためすことですね。この繰り返しをしていきます。大切なことなので、他にも例を挙げてみましょう。


座席が埋まっている電車に乗り込むときに、車両の中ほどに立つとなぜか座れる確率が高いという経験があったとします。この具体的経験に省察を加えないと日によっては立つ場所をころころと変え、なんとなく気持ちが悪いからいつも定位置にいるということが想像できます。
 

しかし、この事象に省察を加えるとどうなるでしょうか。電車での座席で一番人気な場所はどこでしょう。もちろん、両端です。端の席が空いたら多くの人が移動してまで座るのは誰もがイメージ湧きますね。 

 

その次に人気なのは人によるところもありますが、多くの人は中央付近に座ります。つまり、中央付近に座っている人は始発、または始発に近い場所で早くから電車に乗っていたからこそ、そのポジションを得られている可能性が高いということがわかります。

 

早くから乗っているとはすなわち、乗ったばかりの人より早く降りる可能性が高いということが考えられますよね。そのため、通勤電車に乗り込んだときには、中央付近に立つ方が座れる確率が高いということが言えます。

 

経験を通じて、省察を加えると、持論が生まれたのがお分かりいただけたでしょうか。


 中央付近に立つ方が座れる確率が高いという持論を持った人はその後、違うこだわりを手に入れるまでは中央に立ち続けます。

 

違うこだわりを手に入れるまではと表現しました。今回は自身の経験を省察して持論化したわけですが、尊敬する人物が次のような話をしたらこだわりが塗り替わる可能性があります。

「中央付近に立つ方が座れる確率が高いのは知っている。だから、中央にはお年寄りの方々や、お体が不自由な方が立てるよう譲っている」


尊敬している人物からこのような信念を聞いたら、自身のこだわりはちっぽけなもののように感じて、その人と同じ信念を持とうとするかもしれません。

 

やり方よりも在り方が大事だと言われるようになって久しいです。でも若い時にこの言葉を言われても何となくしか意味を掴めませんでした。

 

在り方の学び方が分からなかったからです。そこで、在り方を言い換える必要があります。在り方とは、これまで繰り返し触れている「信念、つまり人としてのこだわり」です。

 

どんなに混んでいなくても、電車ではリュックを前に持つ。こんな些細なこともその人のこだわりです。
 

こだわりの面白いところは、繰り返しになりますが、こだわりを持つまでは同じ状況に直面しても気にならないのに、こだわりを持った後はどうしても気になってしまうことです。


ではこだわりはどう身につけてどう磨いていったら良いのでしょうか。結論から言うと、成功者のこだわりに触れることです。よくマインドセットという言葉が文脈に登場するようになりましたが、成功者のこだわりに触れ、自分の価値観を変換することを指します。


人と会うときはその人のこだわりに触れたい、そう思うと初対面の人との出会いが楽しみになります。まずは経験を通じて、省察し、その経験を概念として持論化すること、そうして信念を生むことが、人材育成において極めて重要になります。

 

今節のまとめとしては、まずはあなたがこれまでの仕事や生活で得た一つひとつの経験を省察し、概念化して、信念を生み出しましょう。そして、現職場の上司や、外部の企業様と話す機会があれば、その方々のこだわりに触れて、自分の価値観を言葉にしていきましょう。

 

 アクション4

  あなたの「仕事のこだわりは何ですか」という問いにどれだけ回答できるか書き出しましょう

 

 

 

会議ではまるでテニスの試合の観戦者

 

今節では、「序章」で述べた「信念を持つ」ことから、「信念を発揮する」ことについてご理解いただきます専門学校の会議では生徒の一生に関わるという点で、よく判断に困る案件が生じます。次のような例です。


Aさん
「このままこの生徒を実習に送り出したら、他の頑張っていた生徒はどう思うのか」


Bさん
「でも、この生徒も先日の面談の際には、どうしても資格を取りたいから実習に行きたいと言っている。その気持ちを応援するのが教育ではないのか」


Aさん
「言葉は何とでも言える。問題は、ではなぜその気持ちを今の行動に表せないのか」


Bさん
「本人は明日から無遅刻、無欠席で登校すると申しています」

 

若手の頃の僕は、このような論戦に突入すると自分の見解を持てず、ただただAさんとBさんのやり取りを右に左にと顔を向けながら、心の中で何度も「なるほど」と唱えていました。 

 

運転席にいる人は、助手席にいる人に比べて道を覚えられるという「ドライバーズ効果」で言うところの助手席に座っている状態でした。実に無責任です。

 

Aさんは、公平性や平等性を重んじる価値観の立場から、これまで頑張ってきた他の生徒の気持ちを案じて発言しています。う~ん、確かに、該当生徒はもっと早く気づけても良かったのではと思ってしまいます。


Bさんは、自分の過ちに気づくタイミングは人それぞれなので、本人が反省し、せっかく意欲を持ったときに教員が応援しなくてどうするのだという一人の生徒を大事にする価値観です。う~ん、確かに、生徒にはチャンスを与えたいとも思います。

 

こんな議論が年間を通じて数多くなされているのが専門学校現場です。


この例の議論で必要なのは、「生徒のため」という自分なりの定義です

 

僕がその議論に参加できなかったのは、自分にとっての「生徒のため」という定義を持っていなかったからです。自分なりの定義がないため、つまり、信念がないためその議論には参加することすらできません。

 

自分の考えの浅さに愕然としていました。もちろん教育に絶対解はありません。最近では「例解」という言葉まで使われています。

 

今回の例えの例解を示さないと読んでいる皆さんが気持ち悪いと思うので、今ではこういった議論をまとめる役割を担っている僕なりの定義をご紹介いたします。

「周囲の納得感をクリアしながらも、目の前の生徒を最も大事にする」

もし、先程の議論で例解を出すとしたら、次のような決着とします。Bさんに対して、次のように伝えます。

 

「生徒が面談で言っていたときの気持ちが本当かどうか、実習までに評価期間を定め、その期間無遅刻無欠席でいられたら実習に送り出そう。

 

それまで真面目に取り組んでいた他のクラスメイトには、その生徒が評価期間中、いかに挽回するために努力するか説明することで納得感を与えましょう。

 

このようなチャンスを与えることに、これまでの反省を生かしつつ前向きな取り組みができるように、該当生徒と面談で動機付けをしましょう」
 

この決着のつけ方が、教育業界での正解という話をしたいのではありません。つまり、この例え話のポイントは「生徒のため」を自分なりに定義づけ、信念を持っていないと、一つ一つの判断で根拠を言語化することができず、周りの人を納得させられないという点です。

 

僕は、「目の前の生徒のため」をとても大切にしますが、ある人にとっては、「将来の生徒のため」が大切かもしれませんし、「目の前以外の生徒のため」が大切かもしれません。

 

この「生徒のため」を、あなたの仕事に置き換えて、「お客様のため」と変換してみてください。あなたにとって、「お客様のため」とはどんな状態を指しますか?また、どんな「お客様」を想定していますか。

 

信念があれば、判断はブレない
 

あなたは仕事を「何のために」行っているでしょうか。「お客様のため」は会社にとってどういう状態を指すでしょうか。これらの問いに今すぐ答えられなくても大丈夫です。

 

かつての僕ももちろん、即答できるような信念は今ほど持ち合わせていませんでした。何より、人は問われるとその場は答えられなくても、答えを探し続ける特性を持つからです。

 

今節のまとめとしては、まずはあなたにとっての「お客様のため」、そして会社、または事業部にとっての「お客様のため」とはどういう状態を指すのか、言葉にしてみてください。

 

その言葉を何度も発信していると、いずれあなたの信念に変わります。

 

 アクション3

  あなたのチームにとって「お客様のため」とはどういう状態を指すのか言語化してください

 

 

 

人をまとめる役割を担う人は、共感の幅が問われる

プレイヤーから離れてしまうと、どうしても過去に失敗した気持ちを忘れがちになってしまいます。過去に失敗した経験は覚えているけど、その時に感じた「気持ち」は忘れてしまいます。

 

そうすると部下が不安や心配の声を口にしたときに、乗り越えた後の自分しかいないので共感することができません。


書き出す習慣がない人は過去に失敗した「経験」すらも忘れているので、何で部下がつまずいているのか想像ができません。

 

そして成功体験や、過去の不安を乗り越えた後のキャラクターしか持ち合わせていない上司には部下は相談がしづらいのです。そのため、以下に挙げる例の中でどれだけ思い当たる出来事があるか思い出してみてください。

 

⑴新入社員時代に苦労した出来事
⑵他者から認められなくて焦っていた年次
⑶取引先や外部企業を怒らせてしまった経験
⑷逃げたくなるような出来事から実際に逃げてしまった経験
⑸保身のために嘘をついてしまったような卑怯な真似

大なり、小なりこれらの5つの項目に対して経験を持つ上司は、同じような失敗をした時の部下の内面を受容できます。

 

受容した上で共感し、ただし相手の為に助言を行います。大なり、小なりという点がポイントです。必ずしも大きな失敗でなくても構いません。

 

すぐに思い出せない人には僕の例を紹介しますので、ヒントにしてくださいね。

どんな失敗でも人に共有できる勇気があるか

 

1、新入社員時代に苦労した出来事


僕は入社時、パソコンが全くできませんでした。どれぐらいできなかったかというと、初めて先輩にした質問が「セルの結合って何ですか?」というレベルです。今思えば、当時の先輩社員はとんでもない人が入ってきたなと思ったことでしょう。

 

それなのに、報連相も苦手でした。僕が考えて分からないのに、先輩に聞いたって分からないだろうという傲慢な考えを持っていました。またはどう質問したら、どこでつまずいているのか明確に言語化できるのか、分かっていないときも相談ができませんでした。


そして、何より計画性がありませんでした。計画を立てるには、その先のタスクがイメージできている必要がありますよね。でも新入社員ではどうしても必要なタスクが浮かびません。先輩に聞いても断片的に教えてくれるだけで、そもそも全体の絵図を描けていない僕にはちんぷんかんぷんでした。


これらの経験から、人にパソコンの技術がなくても、一般常識がなくても、報連相が苦手でも、計画性がなくても、根気強く向き合うことができます。そして、自分もそうだったとひどいエピソードを胸を張って言うことができます。だから変われるよ、という一言を忘れずに伝えられるのです。

 

2、他者から認められなくて焦っていた年次

 

人をまとめる役割を担う人は優秀な人が多いので、部下が他者から評価されないことに対して不安を口にしたときに共感できない人が多いです。

 

「そんなの気にしていたってしょうがないじゃないか」と正論で返してしまう人が多い印象です。誰もが前に進む力を自ら生み出せるわけではありません。その前提があれば、この不安を口にする人の気持ちに寄り添うことができます。


幸いにも僕には、この焦っていた経験があります。主任や課長に昇進する時は同期入社の中でも一番早いグループに入ることができました。

 

しかし、部長に昇進する時は僕より一年早く昇進する同期が3人いました。今節の冒頭にも記載していますが、過去の失敗の「経験」よりも、その時に感じた「気持ち」を覚えている方が大切です。僕は正直に悔しかったし、焦ったし、環境のせいにしそうになったことを覚えています。
 

部下が「昇進」という出来事以外でも、周囲の社員が手にした機会と比較して焦った時には共感ができます。これらの経験と気持ちを踏まえ、前を向く大切さを正論以外でも伝えてあげることができます。
 

もし自分に「昇進の遅れ」という出来事がなければ、過去の同級生との比較で焦った話でも構いません。いずれにしても、その時に感じた気持ちを自覚しておくことが必要です。

 

乗り越えた後の自分で向き合わない

 

3、取引先や外部企業を怒らせてしまった経験

外部企業を怒らせてしまった時、若手社員はどう思うでしょうか。社歴を重ね、動じないことが増えてくるとつい忘れがちになります。

 

人を怒らせてしまった時の焦りや、不安。「大丈夫、大丈夫」と気持ちを軽くしてあげるのは大事ですが、何で大丈夫なのかまで言ってあげたいですよね。
 

僕は一年目の時に取引先の方にメールを送る上で、記載する相手の社名を誤りました。「◯◯・◯◯株式会社」のところ 「◯◯◯◯株式会社」で送信。

 

当校との関係性が深い企業様だったため、先方は僕の上司に注意。企業様は企業名を大事にするものだと教わりました。その時は「直接僕に言ってくれればいいのに」とか、「そこまで言う必要があるのか」という気持ちになりました。

 

でも完全なる僕の落ち度なので、すぐに消化して学びに変えました。むしろ、僕に直接言えない程度の信頼関係であったと思い知らされました。

 

ここで大事なのは、相手の言っていることが正しくても、僕の心の初動のように、「直接僕に言ってくれればいいのに」など本質以外のところで揚げ足を取ろうとする心理が働くことを自覚したことです。この自覚のおかげで後々、人の気持ちに基づいた助言ができるようになります。

心の動きを自覚できると、人の心を汲み取れる

 

4、逃げたくなるような出来事から実際に逃げてしまった経験

 

人をまとめる役割を担う人は、困難に立ち向かう精神力を持つ人が多く、この経験を持つ人は少ないです。でも引き出しの一つとして実際に逃げてしまった経験と気持ちを持ち合わせていると、部下が部署の異動を希望した時に寄り添ってあげられます。

 

「この先も続けたほうがあなたの為」という正論しか持たないマネジャーだと、部下が相談しづらく、退職の道を模索し始めることも珍しくありません。実際に逃げてしまった経験を仕事上で思い出せない人は、大なり小なりの精神で過去の体験から紡ぎだすことをお勧めします。

 

5、保身のために嘘をついてしまったような卑怯な行為

これは特に仕事上で思い出せない人が多い項目かもしれません。

 

世間的には、嫌悪される類のものだからです。でも、もしかしたら部下にこのような特性を持つ人が現れるかもしれません。

 

その時に「理解できない」とあしらってしまうのか、どう自覚していけば変わっていくことができるのかという道を示すのか、多くの人に後者の精神を持ってもらうためにも、弱い人の心の動きを知っていてほしいです。

 

虚偽の報告や嘘の返答は、分解すると誰もが陥りかねない感情の動きや環境に要因があります。

・上司や後輩にできない人と思われたくない


・自分がイメージしている自分と、周りが抱くイメージに差を生みたくない


・そんなことも知らないのかと思われたくない

自分の弱さを素直に見つめ、その弱さを周りに見せることができる精神性は、それを見せても自己を保てる強さと自信からきます。

 

その自信を得る前には、誰もがこのような思考に陥りやすいということを上司は理解しておくと、部下の内面の成長にも寄与できます。

 

今節のまとめとしては、第一節で述べた「闇」を、具体的な場面にまで分解し、「経験の共有」だけでなく、「感情の共有」までおこなえるよう自分の体験を書き出すことをお勧めします。

 

アクション2

  本節で示した一~五の場面で、自分に共感できるエピソードがあるか書き出してみましょう

 

 

 

自分を愛するには、ルーツを許す

 

人の価値観は、幼少期の家庭環境に端を発すると言われます。そのため、まるで家庭環境で培った価値観、性格、考え方の癖は変えられないと考える人が多いです。


「人の本質は結局変わらないからな」

 

人を育成する役割を担う人が、このようにつぶやくことを何度も耳にしたことがあります。伝えても伝わらなかった時のいらだちから発せられる言葉です。


 同じような体験を持つ人は、この言葉に共感し、人を育成する側の悩みを共有し合います。僕も同じような言葉を言いたくなる場面は何度もあったので気持ちは理解できます。でも、人の育成に長年携わってきた僕は、次のような結論を持っています。

 

「人はいくつになっても変われる」

 

きっと理想論だと言う人もいると思います。でも、仕方ありません。

 

どうしようもなかった人格を磨き、伝え方を工夫し、苦悩を抱えながら人と向き合ってきた僕は、何度も変われた人を見てきました。にわかには信じがたいと思います。

 

ただ、人が変われないと信じると、変われないと思っている人の苦悩は増すばかりです。だから、日々苦悩しながらも人と向き合い、ときには「人は変われない」と弱音を吐きたくなる全てのリーダーに、前向きな力を取り戻すべく僕の体験を共有したいと思います。

 

そのためには、とても勇気がいることですが、まずは僕のルーツから紹介する必要があります。少し僕の話にお付き合いください。


闇を闇として自覚せず、理想の自分でありたかった

 

僕は男だらけの3人兄弟の末っ子として生まれました。長男と次男とは8歳、7歳と年が離れ、家族の中では一番弱い立場でした。物心ついたときは、長男と次男の喧嘩。長男の母親への反抗が日常的にありました。時に、長男が母親に手を出すことさえありました。


僕は、少し場の空気を読めない母を好きだったので、末っ子ながら自分が話し相手にならなければと思っていました。そんな母に長男が手をあげます。身が引き裂かれる思いでした。できることなら母をその暴力から守りたかった、でも8歳離れている自分には、力も勇気もありません。それが悔しさを倍増させました。

 

父は典型的なサラリーマン。帰りの時間も遅く、夜遅く帰ってくると、すぐに2階の自室に入ります。仕事のストレスからか、何か大声を発しながらティッシュ箱を壁に投げつけている音が聞こえます。


僕は1階で寝ていたので、その音が聞こえるたびに耳をふさぎました。自分の涙で枕を濡らすなんて当たり前でした。子育てを放っていることの罪悪感から、日曜日はキャッチボールに誘ってくれる父だったけど、僕はどんな会話をすれば良いのか分からないので、その時間すら苦痛でした。


そんな父と母はあまり会話をせず、母が時折話しかける言葉に、父が否定するか、うむとだけ言います。そんな関係でした。少なくても僕にはそう映っていました。

 

長男と次男は僕が生まれる前はいつも行動を共にしていたらしいけど、僕が物心ついてからは二人が一緒に行動するのを見たことがないばかりか、ろくに会話をするところも見たことがありませんでした。同じ中学校に進んだあたりから関係がぎくしゃくし始めたようです。


ところが、長男も次男も僕には優しかったのです。一緒に遊んでくれたし、やんちゃな二人の破天荒な武勇伝を聞くのは楽しかったです。

 

時代はビーバップハイスクールの全盛期、長男の高校での進級が危ぶまれ、進級の可否の連絡を兄と一緒に黒電話の前で待つなんてこともありました。


兄は二人とも180cmを超える身長を有しました。見た目も恰好良かったので、家ではいろんなことがあるとしても、僕には同級生に自慢できる兄達でした。

 

よくお兄さんは二人とも格好良いよねと言われていました。でも、その二人がよく喧嘩する、間に立たされる僕は、まだ小さい心の器が張り裂けそうでした。

 

家族みんなが仲良くあってくれよ、それが僕の魂からの叫びでした。なまじ、個々では僕に対して愛情を注いでくれます。ただし、その当人同士は仲が悪い、その不思議なパワーバランスで、毎回僕は板挟みになっていました。

 

愛されていたぶん、まだマシなんじゃないかと言う人もいるでしょう。実際そうなのかもしれません。でも当時の僕は、とにかく家を出たかったのです。

 

全員との関係を絶てれば良かったのですが、特に母親を見捨てることはできません。全ての間に立つのは幼少期の僕には重かったです。当時の僕は5歳にして伴侶という言葉を知っていて、早く伴侶を得て、自分の家族を作るんだと決心していました。

家に居場所がないと思った人間は、違うコミュニティに居場所を求める

家が落ち着くような居心地の良い場所では無かった僕が、居場所を作ろうとしたところ、それは学校でした。 

 

今のようにSNSが無かったので、オンラインに居場所を作ることはできず、とにかく学校で居場所を求めました。学校にいる僕は、家での性格を変えることができます。家では引っ込み思案だとよく言われました。

 

店員さんに話しかけられても家族の前ではうつむいていました。

親戚に話しかけられても一言、二言で会話が終わります。よくある光景でした。


でも学校の僕は違いました。家での自分を変えたくて、とにかく明るかったのです。救われたのは、そんな明るさを友達も受け入れてくれたことです。

 

無理した明るさだとしても、思春期の友達は気づきません。ただ、明るい仮面をかぶった性格は、苦境に立たされることがあります。小学校、中学校でも同様な場面でした。それは人前で何か発表する機会を与えられることです。


人前で発表することがとにかく苦手でした。緊張したし、失敗を恐れました。同級生の目が気になりました。照れたり、真剣に臨んでいないフリをして、失敗したときの伏線を張ろうとしました。小学生の頃は、音楽の時間に人前で歌を歌うために、一人で前に出されただけで泣くような人間でした。


今思えば、あのとき失敗を恐れていたのは、そして泣いていたのは、何かとてつもなく恥ずかしい失敗をして、居場所を失うことを恐れていたんだと思います。また、友人をなくすことを恐れていたのだと思います。


中学でバスケ部に所属し、多くの友人と関われたのは僕のような性格の人間にとって良い経験でした。それはたくさん友人ができたからという意味ではありません。

 

多くの人と接することで、キャラクターが定まらない自分の内面と向き合うことができたからです。明るいのか、強気なのか、優しいのか、冷徹なのか、とにかくいろんな僕がそこにいました。
 

家族の絆を取り戻すきっかけは、自分が家族を、環境を許すこと

前に出るべきときに、自分は一歩引いてしまう、それに反して積極的に手を挙げられる同級生をうらやましい目で見ていました。文化祭でステージに立った時に明るく振る舞える同級生を眩しく見ていました。

 

そんな自分の弱さ、自分の意気地の無さを家庭環境のせいにしていた僕が、高校生の時に家族を受け入れる転機になった出来事が起きました。長男の結婚です。結婚自体というより、それは長男の結婚式での出来事がきっかけでした。


長男の結婚式に、次男が余興で歌を歌う場面がありました。人前で歌を披露できる次男のハートも眩しかったけど、長渕剛さんの『乾杯』を歌う前に放った次男の一言が、会場の空気だけでなく、家族の空気を変えました。今でもはっきりと覚えています。

「これでやっと俺の肩の荷が下りる。〇〇さん(奥さんの名前)、うちの兄貴をよろしくお願いします」

そう次男が言い放つと、長男が微笑んでいる様子が見えました。心なしか、口元の動きから「何言ってんだよ」と嬉しそうにつぶやいた気がしました。

 

中学に上がる前に、よく一緒に行動していた二人に戻った気がしました。僕が知らなかった絆が、時を越えて二人を結び直したのです。


その日以来、長男と次男が二人でお酒を飲むことも増えていきました。僕は高校生ながら、失われた時間を取り戻すかのように接近する二人を微笑ましく見ていました。

 

家族の関係が少し好転したことで、僕も学校での在り方が少しずつ変わっていきました。人の顔色ばかり気にしていた中学時代から、実は人の目を気にするからこそ、人の気持ちに配慮した交流ができるのではと発想を転換するほどまでになっていました。

 

この頃に、少年ジャンプで『ルーキーズ』が連載されるようになり、私の夢はいつしか先生になることを目指すようになりました。教科は主人公の川藤先生と同じ国語。

すぐそこにあったのに、気づけていなかった大事なもの

長男の結婚を機に、少し家族らしさを取り戻した中で、自分の家族の見方ががらっと変わる瞬間が訪れます。僕は社会人になり、全国規模の大手学校法人に勤めるようになっていました。 

 

国語の教員ではなく、私学で、しかも配属先は専門学校分野。教科指導よりも人間教育をしたかった僕にとって、まさにやりたい仕事でした。当時は今ほど働き方にうるさくなかった社会ということもあり、とにかく仕事ができなかった僕は、週3で職場に泊まっていました。 

 

スポーツ系の専門学校であったため、職場にシャワールームもあり、何よりコンビニエンスストアに行けば予定外の宿泊であっても、ワイシャツや、パンツ、靴下まで購入できました。


出勤というよりも、職場で仮眠をしただけで、既に職場にいる、そんな日々を過ごしていると、小学校の頃にあれだけ嫌だった父の帰宅が、何だか違った視点で見られるようになりました。

 

様々な苦悩と戦いながらも、社会で務めを果たしている格好良い大人に変換されました。今なら小学生の時の自分に、父親がそこまで向き合えなかった気持ちも分かる気がします。


何より、池袋で一人暮らしをする折には、家具の配置や、清掃なども手伝ってくれて、社会に出る息子を少し誇らしげに送り出してくれる父親でした。

 

そんな一面もあるんだと驚きましたが、もしかしたらもともとそういう性質を持っていたのに、壁を作っていたのは僕だったのかもしれません。


その思いが決定的になった出来事があります。僕の小さい頃の写真をまとめたと連絡があったため、久しぶりに実家に帰った頃、その頃には僕も社会でだいぶ揉まれて、自分の弱さや自分のできていないところを素直に見つめられる強さを持てるようになっていました。


実家に帰って、たまにしか会えなくなった両親は、僕が家を出た時の記憶より少し年老いた気がしました。

「2階にアルバムがあるよ」

大して興味もなかったけど、そこまで言うならとかつての僕の部屋に向かいました。今では猫の部屋と化しています。本棚からアルバムを手に取りました。

 

思えば、4、5歳の頃の写真は見たことはあったけど、自分が0歳児の頃の写真を見るのは初めてかもしません。そこには、たくさんの僕の写真が載っていました。しかも、どの写真にもマジックで手書きが添えられています。


「〇〇年〇月〇日 パパが初めてお風呂に入れる」
「〇〇年〇月〇日 パパが抱っこするけど、少し嫌がる」
「〇〇年〇月〇日 初めて外に連れ出してパパが嬉しそう」


母親の字でそう書かれていました。衝撃でした。こんなにも愛されていたなんて知りませんでした。アルバムを見た当時、僕は30歳。そんなになるまで、母親が父親をパパと呼んでいた時代があったなんて知りませんでした。

 

そこには父と母が仲睦まじい頃の記録。そして、仲睦まじい夫婦の元に産まれた赤子。幸せそうな家族の姿がありました。そのアルバムを見ながら、僕は涙を止められませんでした。
 

物心ついたときの家族への葛藤。家族同士のいさかい。板挟みにあっていた時期。両親のろくに会話しない関係。その全てを受容することができた瞬間でした。

 

でも、受容したからといって、すぐに自身の性格を変容できるわけではありません。しかし、僕は家族という自分の闇を克服できたことで、人の闇と対峙できるようになっていきました。

 

人によっては、そんなことぐらいで闇と呼ぶなという人もいると思います。実際、専門学校で出会う生徒達は、もっと難しい家庭環境を抱えている人も少なくありませんでした。
 

でも、闇の浅さ、深さについて論じるつもりはありません。僕が自身の経験から得たものは、人が蓋をしてしまいたくなるような過去について自分自身で受容できたとき、初めて人の弱さと向き合える強さを身につけられるということ。いつまでも家庭環境のせい、人のせいにしていては得られない強さです。

 

人が変われる可能性をあきらめない

 

これまで記載した体験から、「人の可能性をあきらめない」というのが僕の信念になりました。この信念に基づいて取り組んだ数々の気づきを、これからこの本ではあなたに共有していきます。

 

自分の闇を克服した人間は、人の闇と対峙できる

 

まずはあなた自身に、人の闇と対峙したときに、消し去りたいような過去の失敗体験で、今では受容したことを自己開示できるような、「闇」はありますか。

 

今節のまとめとしては、人に共有できる「闇」を見つめ直しておく、ということです。そうすると、同じように苦しむ部下と出会ったときに、きっとあなたがその部下の力になることができます。

 

アクション1

  人に共有できるほど、克服できたコンプレックスを書き出す