新年のご挨拶
新年あけましておめでとうございます。本年このサイトをよろしくお願いします^^/新年1月4日の投稿分で「和佐・木坂ラジオ」セレクトの投稿が終了しました。「和佐・木坂ラジオ」はYouTubeチャンネルで無料配信されているものから私個人が”良いな”と思った二人の対談をセレクトしてその内容をまとめ記事にして投稿してきました。次回からは、有料版の「和佐・木坂ラジオ」プレミアム対談のまとめ記事を投稿します。こちらは有料版なので、対談内容のまとめ記事のみ投稿になりますので、宜しくお願いします。尚、”和佐さん、木坂さん”に興味を持たれましたら過去のセミナーを集約したサイト(有料コンテンツ有)の「和佐木坂アーカイブス」を紹介しますのでチラッと覗いてみてください。次回からの投稿を楽しみに^^/最後に、木坂さんから新年のあいさつがありましたのでここで紹介させていただきます。木坂さんからのメッセージから”自分なりの思いを”考えて貰えればと思っています。ーーーーーこんにちは、木坂です。2026年になりました。「あけましておめでとうございます」などと安易な気持ちで言おうものならば、瞬く間に「大切な人を失って悲しみの中にある喪中の人に対する配慮はないのか!」と大炎上してしまいかねないコンプラとポリコレが支配する昨今、そんなん言ったらもう挨拶もできねぇよとぼやきながらの初メールになります。皆さまいかがお過ごしでしょうか。一昔前のタブーは野球と政治と宗教でしたが、今から考えれば随分とかわいいタブーです。野球も政治も宗教も、別に初対面の人と話す必要はないですから。しかし挨拶は絶対にします。むしろ絶対にしなさいと物心つく頃から何度も習ってきました。にも関わらず、です。挨拶に“ためらい”が生まれる時代。今我々は改めてこう問わねばならない時代に入っていると言ってよいでしょう。「挨拶の正解とは、どのようなものなのだろうか」と。「挨拶の正解」という、半ば冗談のようなことを、半ば真面目に考えなければならない時代。昨年末に行った飲食店で、店主始めスタッフの人たちが「最近の若いもんは・・・」という、古代ギリシア以前から定番となっている愚痴をこぼしていました。初めて来た客に対して愚痴っているのもどうなのか、と思いつつも、面白いのでうんうんと聞いていました。内容はよく聞くもので、令和の世代との分かり合えなさに絶望する類のものでしたが、やはり「何かを教えればモラハラと言われ、教えなければ怠慢と言われ、チャレンジさせればパワハラと言われ、簡単な仕事をさせればすぐ退職代行から電話が来る」という時代と世代にあって、僕らはどう生きるべきなのか。挨拶の正解を求める気持ちはすなわち、人間関係の正解を求める気持ちそれ自体に等しいのではないだろうか。それを僕らは求めなくてはいけないような時代になってしまった。そんなことを感じながら、年越しを迎えた2025年なのでした。そんなことを考えながらいつの間にか2026年を迎え、僕は自分自身に対して、あらためて思うのです。「そんなの知らねぇよ」と。人は、未知のものに囲まれると本能的に「正解」を求めます。周りが知らないものだらけだと不安だからです。少しでも安心したくて、正解を無意識に探し始める。それはその人が怠惰であるというよりも、知的に蒙昧であるというよりも、むしろ人間のDNAに刻まれた進化の痕跡であって、ある意味では古代人が遺したレガシーなのです。サバイバル。とにかく生物として生き残ることが唯一にして最大の目的だった時代。その時代の遺物を、我々は今でも大事にDNAの中に抱え込んでいます。僕らの脳と身体は、10万年前の生活に最適化されている、というのはアカデミズムの世界では常識ですが、そんな原始人が超高度な文明社会に生きていて、人類の知能を超えるAIを生み出し、共存しようとすらしているのです。ギャートルズは意味不明な大きさの肉でも食べているのがちょうどいい。なのに、それとはもうかけ離れた生き方を強いられている。周りは、知らないことだらけです。見たことのないものに囲まれ、しかもそれは毎日指数関数的に増えていきます。それに比例して本能的な不安は増すばかり。そりゃあ、解答集も欲しくなるだろうよ、と。僕はそう思います。だけど。それじゃあ生きてることにはならなんのですよ。人間として生まれてきたからには、人間として人生を全うしたい。少なくとも僕はそう思うわけですが、じゃあ人間として生きるというのはどういうことなのか。それは「自分の人生という物語を自分自身の手で書くこと」だと思うのです。別の言い方をするならば、「自分の人生に、その意味を自分の手で与えること」だと思うし、さらに別の言い方をするならば「自分なりの解答集を作っていくこと」とも言える気がしています。先にも言いましたが、ある種の解答集を求めることは、本能です。これは良いも悪いもない。勤勉も怠惰もない。ただ人間とはそういうものだ、というお話であると僕は思っています。ですが、ひとつだけ決定的に重要なことがあります。それは、「人の解答集をカンニングして勘違いするな」ということです。僕にとっての正解は、地球上の誰にとっての正解でもありません。この地球に80億人の人がいるとしたならば、人生に必要な解答集は80億冊なわけで、その中身は全てバラバラです。僕の解答集を盗み見ることがあったとして、ラッキー、とばかりにそれを真似したとしましょう。あなたの人生はどうなるでしょうか。以前、クリスティアーノ・ロナウドが言ってました。「ロナウドを作るレシピは存在するし、教えることもできる。しかし、それをやりたい人間なんてこの世にいないだろう。」いいですか、今お話ししていることは、わかりやすくするためにやや大げさに話していますが、今の世の中に蔓延っている真に誤った考え方です。「誰かが自分のために作り上げた解答集をカンニングすれば、私もその人みたいにいい思いが(楽して)できるはずだ。」こんな馬鹿げた話が、多くの人たちに信じられている。そしてそれをビジネスにしている人たちがいる。僕に言わせれば、ほとんど霊感商法です。繰り返しになりますが、大事なのは、「自分だけの解答集を自分で作ること」です。これが人間として生きるということであるし、すなわち「幸福に生きるということ」だと僕は思います。ですから、僕がかれこれ20年やってきているセミナーや教材というのは、僕の解答集を切り売りするようなものではありません。そうではなく、受講生がそれぞれの解答集を作れるように、お手伝いするものです。「木坂のセミナーは抽象的で難しい」とか言っている人が昔からいるようですが、その人たちは僕の解答集の断片を売ってほしい人たちなのです。自分で自分の解答集を作る努力を放棄して、つまり自分自身として生きることを放棄して、誰か凄そうな人の解答集をカンニングして、人生イージーモードで行きたいぜ、と思っている人なのです。「解答集」を期待していたら「解説集」がやってきた、みたいなことですね。その意味で、僕のセミナーは「難しい」のではなく、ちょっとした「作業」を求めていると言えます。「やり方は教えましたので、自分で解答集を作ってみてください」と。それなりに「大変」なことはあるかもしれませんが、決して「難しい」ことはないでしょう。特に最近のセミナーを受講してくれている方にはそれが実感できていると思いますが、もちろん世の中、受講していない方の方が多いわけですから、その辺の話をこのメルマガでもしていこうかな、なんて思ったりしております。いやー、それにしても、ものすごく久々にメルマガを書いていますね。より一般化して、ものすごく久々に不特定多数の人に向けて、文章を書いているなという気持ちでいます。徒然草的に、その時思うところを書いていこうかなと思っていますが、大きなテーマとしては今話したように、「自分だけの解答集を作る」「自分の人生に自分で意味を与える」「自分の人生を自分として生きる」みたいなことを中心に据えて、ざっくばらんに言えば、「不安や虚しさではなく、安心と生き甲斐を両手に幸福に生きる」ためのヒントになりそうなことを書いていければなあと思っています。どのくらいの頻度で、どのくらい続くかわかりませんが、いろんな事情でセミナーに来れない方はそのエッセンスとして、セミナーを受講してくれている方はよき復習材料として、お役立ていただければ幸いでございます。それでは、第一号はこの辺で。また近々お送りいたします。気持ちとしては。ありがとうございました!木坂ーーー