昨日、友人とコーチングの在り方について話していると、コーチングも占いみたいなもんだから、見せ方を「占い」としてやってみたら?と言われた。


コレは、私にとっては目からウロコでした。


コーチングは、怪しい。

けど、占いは、信じる。


この違いを考察すると

コーチングは、確かなものです!だけど、実際受けてみないとわからない!


私の意見です。

占いは、不確かものです!だから、実際受けてみないとわからない!


という入り口が異なっている。

ココはとても重要で、ハードルの低さが占いにはある。どうせ、当たらない。当たったら、スゴイ!ってなる。

このハードルの低さを設定出来ているからこそ、人は惹かれて、何となく当たってるところを見つけて、ハマっていく。


だって、

地上波のテレビや大衆の雑誌にも

占いって、ふつうに存在している。


コレってスゴイ事だなと思う。


不確かさが生む、インパクト。

不確かな人生だからこそ、確かなものは、受け入れ難いし、逆に不確かなもの程

妙な本当ぽさがある。

ましてや、当たっても八景、当たらぬも八景。

というのが、更にハードルの低さを演出している。


人生の構図と、とても似ている。


だからこそ、人は惹かれるんだなと。

そして、コーチングというのは、なかなか

ハードルの高いものになっている。


コーチングって、確立された手法らしいけど、なんか怪しいという出口が怪しいで終わってしまう。

このデザインを変えない限り、今後もコーチングは、世間一般で広がらないと思う。



占いは、受ける分には、いいですが

やる分には、少し抵抗はありますが

これだけで、日本の文化に根付いているのは、鼻っからの怪しさとバカバカしさ。だけど、なんか、信じてしまうという人間の心理をとても突いているツール。


占いから学べる事は、とてもある。


売れてる芸能人みて、大した事ないと言っている人の様に、占いを馬鹿にはしたくない。

売れているからには、広まっているからには、そこには、キチンとした理由がある。


人の気持ちは、複雑だし

ただ、ゴールは、確実さが欲しい。


ハードルの低さから出るインパクト。

コレは笑いも同じだし、人が欲する所だと再確認した昨夜でした。



新しいコーチングを考えよう^_^