2013/03/11
あれから二年がたって、東京では何事もなく暮らしているけれど心のどこかにはいつもあの日があった。
奇跡的に俺の近い親戚に犠牲者はいなかった。本当に奇跡としか言えないほど、地元はぐっちゃぐっちゃになってた。
高校卒業まで暮らしていたあの風景は跡形もなく。
あるはずもない瓦礫や流れてきた車、船、家。
その地域は漁師などの職業の方が多くて日頃から海と共に生きて海を心から愛している人が本当に多かったんだ。
そんな海に裏切られたのかなとも思ってしまった。
当時、東京にいる俺は何か出来ないか、何が出来るのか。そんな事を考えた。
節電、募金。出来る事はなんでもやろうと思った。
そんな事で何になってるんだとも思ったけど、日本中の人がやったらすごい力になるんだと信じて続けてこれた。
あの日、親父と弟は海まで数十mの現場で仕事をしていた。
ラジオをきく習慣があったからすぐに津波の情報がはいり高台に避難したけれど高台からは地獄絵図をみている様だと話してくれた。
母親は海から離れた会社で仕事をしていて津波の影響はなかったが、自宅には姉と祖父がいて、介護施設には祖母がいたので気がかりで近づけるまで車で家に向かったそうだが余震や津波の恐怖で家に向かう橋を渡れなかったと言っていた。
祖母いた介護施設は本当にギリギリで一つの土手が生死をわけていた。
家にいた姉と祖父は二階に避難していて間近に津波に襲われていた。これ以上水位があがったらどうしようかと考えていたそうだ。
夜は暖房もなく、外からは時折車のクラクションが鳴り響いて恐怖とその車に乗っている人がどうか助かる様にと祈り朝を迎えた。
寝たきりの祖母がたまたま施設にいく日だったので2人は素早く二階に避難できたようだ。
偶然。そんな事が重なって俺の家族は助かった。
二日間連絡が取れず、自分の無力さを感じていたし実家は間違いなく被災しているのがわかって本当に長い時間に感じた。
家族は俺なんかよりももっともっと価値のある人間なんだから俺が死ぬから助けてくれと、今思えばおかしいがそんな事を考えていたしまった。
数日後俺はバスで実家に帰ったけど、親戚の顔も見れて本当に安心したのを覚えてる。
昨年末は卒業式ぶりに同級生と会い相変わらずの馬鹿話をした。
被災後はいつ食べれるかわからないと言って食料をたらふく食べて逆に太ったというプチ情報をもらった。
今日はあれから二年。
いまだに行方不明の方がいる事、原発の件。
解決していない事の方が多いかもしれないがなんとか早急に対処してほしい。
たくさんの犠牲が出た事をほんとに悔しく思います。
これからもやれる事をやります。
そして忘れちゃいけない事だから俺たちのずっと下の代にもつたえていかなきゃなと思いました。
まだまだ、書ききれないけど仕事に戻ります。
黙祷。
2013/03/09
営業職なんてくそくらえ!
って事でパーマかけてます。
ほぼほぼ美容師さんのお任せで。
めっちゃくるくるになってGMに呼び出しくらったらって考えると本当にちびりそうになってるよ\(^o^)/
今日はねぇ9mmのライブだもん(´・_・`)
そのあと渋谷に行く予定なのよん!
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