立川流創設者の七代目立川談志さんの松岡克由(かつよし)さんです。 談志さんの生前、僕は9月くらいに、談志さんの噺を聴きに行きました。父・敏和と。 僕は噺「芝浜」を期待しましたが… よく事情が判っていなかった。 四つのパターンの噺「死神」を披露してくれました。
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My Fair Prisoners!?調書
囚人番号:202109040906
名前:小ゑん
懲役:75年
服役した刑務所:東京府東京市小石川区
音楽:ディキシージャズ、童謡、演歌、出囃子
映画:「夫婦善哉(めおとぜんざい)」(監督:木下惠介)
本:手塚治虫先生の漫画
罪:「落語とは、業の肯定である」と嘯(うそぶ)いた事
喜:立川流を創設出来た事
怒:噺の下手な噺家
哀:咽頭癌に罹り、声を奪われた事
楽:落語を演じている時
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エッセイ「小ゑん」さん
「小ゑん」は、3人兄弟の末っ子。甘えん坊で、いつも母親のおっぱいを吸っていた。
小学校では、勉強は苦手だったが、友達は多く、友達相手に、落語を披露していた。
中学校では、相変わらず勉強は苦手。でも、苦手だったが好きではあった。担任の女教師が好きで、だから勉強も運動も頑張った。
高校中退。そして五代目柳家小さん入門。 それからは、しばらく幸せな日々だった。
七代目立川談志襲名の前に、三代目古今亭志ん朝と五代目三遊亭園楽に抜かれた事が、生涯に渡り尾を引いた。
「これからはテレビの時代だ」と思い、日本テレビに「笑点」の企画を持ち込んだ。そして出来たのが「笑点」。初代司会者を三年間務め、同僚に託した。
1978年に、落語協会分裂騒動があり、その時に、「立川流」を創設。一番弟子が立川志の輔。志の輔には本当に感謝している。 ただ、立川流の噺家を寄席に上がらせない事を決めた奴、そいつの名前は明かさないが、永遠に許す事はない。
噺「芝浜」は、本当に大事にしていた噺。一番好きでもあった。 一度、完璧に出来た時が後年あり、それで「小ゑん」は勘違いしてしまった。それで死期を早めてしまった。
今は。ここ「学園Heaven」(亡くなった方々、大天使、天使達が暮らす場所)で、週に三日、高座に上がっている。「今はまだ完璧にはほど遠いよ」そういう「小ゑん」だった。(了)
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※この方も刑期を終えました。
名前の由来ですが、五代目柳家小さんの所での修業時代が、本当に幸せだったので、その時代の呼び名が「小ゑん」だった故の名前です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!