韓国の各家庭に「族譜(チョッポ)」となるもの、置いていることをご存知だろうか。梶山秀之の小説を読んだ者なら、あっ、あれか、ということになる。大雑把に言えば、家系図である。韓国でも金、鄭、李、朴などの姓が多いが、金にしても金海金氏、慶州金氏など地名を頭につけて、様々に分かれるのだ。家が火災になっても、金銭よりも、この続譜を持ち出す位、重要なものなのである。その系統図は多分、李氏朝鮮時代は遡るだろう。
さて今村家にも明治憲法ができて以来の戸籍謄本が私の時代まである。「島根県海士郡海士村村九壱七番屋敷」と書かれ、今村仙一郎 安政壱年7月7日生まれが最初だ。どうも漁師の網元だったようである。家系図は、やたら分厚い。島根県海士というと、隠岐島である。それから電話帳ほどではないが、いろんな人物、先祖の名前が出てくる。1度、老年で落ち着いたら続譜を書いてみよう、と思うのだが…。
作家の五木寛之先生とお話した時、私の祖先が隠岐だと言うと意外な顔をされた。今村姓が多いのは九州である。五木先生も福岡県八女市の御出身だ。私は目鼻立ちがソース顔で、今、いい様に言われれば俳優の阿部寛似なんて言われることも少なくないが、やはり九州の南方系の顔である。昔、海賊、山賊がいて、今村家は南方から隠岐にたどり着いた海賊民族ではなかったろうか。
隠岐島は島前、島後に分かれる。島前は海士町、島後は隠岐の一番大きな街、西郷がある。
五木先生の見解は島前、島後は全く風習が異なるという。2島群はむしろ、朝鮮半島より本土、松江藩に敵対心を燃やし、隠岐は孤立した国。島後に、その意識が強く、ここは相撲の発祥、気が荒い者が多かった。一方、島前は気質が穏やかで商才に優れて、今の北朝鮮から中国に位置する渤海と交易をしていたという。五木先生から、その話を聞かされて、今もその気質は同じで、なるほど、と思ったくらいだ。
さて、今村家の家系図に話を戻そう。死去の原因は病死、老衰だけでない。「竹ノ島で遭難、水死」の者もいる。「竹ノ島」は、そう、竹島(韓国名・獨島)である。少なくとも明治時代だから日韓併合後の可能性も否定できない。が、明治時代は紛れもなく、竹島は隠岐島の1部、島根県に属していたと言える。
今、竹島は日本の隠岐の漁師たちが「いるか」の缶詰工場を作っていたという話は有名だ。また漁師が漁船から上陸して一服している写真も残存している。
現在も竹島は隠岐群島の1部分である、という認識は、隠岐の人、島根県民、日本国民は変わっていない。だが竹島で隠岐の多くの漁師が韓国人に虐殺されたという話も残る。韓国で、「今村さんの先祖は、どこですか?」と韓国人の問いに対し、「隠岐島」と答えると「じゃあ、慶尚北道だ」という韓国人もいる。隠岐島も韓国の領土?と考えている人もいるから、戸惑ってしまう。今、竹島に行こうと思ったら、1度、韓国に入国して浦項から船で欝陵島、さらに船で行かなければならない。昔、今村家の先祖は竹島に何度も上陸したと思う。隠岐島史をじっくりと読んでみたい気もするのだ。
祖父は神戸で3番目に大きい造船所を設立者スタッフで、役員だった。この祖父から隠岐を出ている。が、今も海士には今村姓が多く残るのだ。「今村さんの家のルーツは?」と聞かれると、勿論「日本国島根県隠岐郡海士町」と答えるが、「群の1部は大韓民国慶尚北道鬱陵郡という地名もある」これも、また事実である。
李承晩ラインの前に日本の敗戦後、マッカーサーが竹島を日本漁船が近寄るのを禁止した。これからおかしくなっている。韓国は新羅時代、竹島を韓国領土と主張する。日本では奈良時代ではないか。どのように実証できるのか。日韓の領土問題…隠岐の漁師は嫌韓派だ。漁の網を平気で破って魚を持っていく。日韓漁業協定もクソもない、というのが隠岐の漁民の声だ。
李明博・前大統領が竹島(獨島)に上陸してから、日本の風向きが変わった。某芸能プロダクションから「韓国人歌手のチケットが売れない」と電話で悲鳴をあげてきた。紅白歌合戦も東方神起、KARA,少女時代と3組の韓国人歌手が出場した翌年、誰も選ばれなかった。韓流ドラマを自制している局もある。サッカーの試合で韓国人選手が「獨島は我々の領土だ」とスケッチブックにハングルを書くのは勝手。それにしても日本は我慢強い国だ。駐日本韓国大使館前で大極旗(韓国の国旗)を燃やせばどうなるのか。駐韓国日本大使館の前で日章旗を焼くように。
もっと、李氏朝鮮時代、徳川時代を検証してほしいが。。。