2月の第1週、土曜日。自宅から車で30分ほどの場所にある市民スキー場へ行く。1年ぶりのスキー、といっても僕の使っているのは長さが60センチほどのFUNSKI。ストックも入らない手軽なもの。急なスロープでもターンはしやすいし、転倒なんてめったにしない。(ただし油断はできない)結局、朝10時から夕方の4時頃まで滑ることになる。帰り道。けだるい疲労感に包まれながら、車の中は穏やかな空気だ。外はもうすっかり暗くなり、見事に横殴りの暴風雪。後部の座席では、スヤスヤとお気楽なのが一人寝ている。そう言えばこんな体験は遠い昔にあったなぁと思い出す。それは僕が後ろで眠り、運転席には父親がいる、そんな風景。状況は決まって少し暑くるしい車内なのだ。ああ、繰り返している。そんな実感。だから後ろで眠っている子の心理状態や気分までよくわかる。カーステレオから流れてくる、ボブ・マーリーの『CATCH A FIRE』。1973年作品。タフ・ゴング/アイランドレーベルからの第1作。Concrete Jungle」「Slave Driver」「400 Years」「Kinky Reggae」と淡々と続くリズムが実によくこのシチュエーションに溶け込んでいる。真冬の、夕方、車の中、心地よい揺らぎ、暑苦しいくらいの空気。あのキングストンのはずれにあるトレンチタウンの雑踏には、毎日毎日働いても、明日が見えてこない生活があった。自分の力では何も変わらない、変えられないいらだち。抜け出す出すことのできない息苦しさ。「列車を止めてくれ、ここから抜け出したいんだ、現実から、今すぐに」と叫ぶ「Stop That Train」。どこまでも抜けるような裏打ちビート。力を抜きながら、踊るようにハッピーに。力づくでどうにかなるもんじゃない。だから魂を揺さぶり、奮い立たせ、目覚めさせ、暴力ではなく、自らが気付くまで叫び続けるのだ。それがレゲエの真髄。車のスピードと心地良い揺れ、疲労感と暑苦しい車内。真冬のレゲエは特別に優しい。












まだ完全に溶けあっていない、混ぜ始めのスープ。  ストーンズの1965年に発表された『OUT OF OUR HEADS』はそんな印象のアルバムだ。吟味された一つひとつの具材。その中に自慢のスパイスや意外な隠し味を追加しながら時間をかけて煮込んでいくほどに、やがてオリジナルの味わいや深みが増してくる。 3作目に当たるその時点ではまだまだ粗削りではあるが、骨太なストーンズの原型が感じられて面白い。メンバーのそれぞれが純朴な表現法でありながらも、リアルで強いロックメッセージを投げかける。チャック・ベリーやサム・クックなど、多大な影響を受けたミュージシャンの作品を取り上げ、そしてミック&キースのオリジナル曲も含め全12曲、29分36秒の世界。全米ヒットチャートNO.1を記録したプラチナアルバムであり、2ヵ月後に発表されたUK盤も好セールスを記録した。個人的にはUK盤の方が好きだ。アルバムとしての一貫性が感じられ、彼らのやりたい方向性がより鮮明に見えてくる気がする。そして何よりあの「HEART OF STONE」が収録されている。ミックの切なくシャウトする声や、溢れ出る豊かなギターソロが素晴らしい、永遠のミディアムナンバー。この時点において、以降40年以上にわたりロック界の頂点を極め、なおも転がり続ける存在であるとは、誰が予想できただろう。ストーンズという濃厚なスープは今もその旨味を増しながら、凝縮されたロックエッセンスを堪能させてくれる。

































夏でもなく、冬でもない季節

夕方

虫が飛んでいる 車の騒音が聞こえる

何か苦い味がするような、埃っぽい街

湿度はいつもより高い 空気は普段より重たい

そう、じめっとした不快指数の高い状態

東南アジアの、下町の昼下がりのようだ

特に切羽詰ったことはない

暇といえば暇だが、それ以上でもなくそれ以下でもなく

不満もなければ満足もしていない

見えているのか見えていないのか

意思はどこにも存在していない
ただいつまでもこんな状況に甘んじてはいられないのは

わかっている

ちょっとの刺激があれば、ちょっとの後押しさえあれば

きっと世の中が違って見えてくるはず

これだけで終わるはずがない

そんなことはあり得ない

変わるはずだ、変われるに決まっている

10代であろうが、50代であろうが関係ない

危うく忘れそうになっていた

1974年作品、四人囃子『一触即発』
この1枚で日本ロックが生まれた
始まりが、クライマックス
35年ぶりの、この鬱陶しさが懐かしい








部屋の中から1本のカセットテープを発見した。1977年に発表された、四人囃子の3作目のアルバムだ。フロントを務めていた、ヴォーカル&ギター森園勝敏が脱退した直後の第1弾作品『PRINTED JELLY』。当時は誰もが期待と不安の入り混じった気持ちでこの発表を迎えたことだろう。ふたを開けてみると、よりハードでPOPな仕上がり。親しみやすい曲調と細部まで凝ったアレンジが、一筋縄ではいかない彼ららしさを醸し出していた。30年以上の歳月が経ち、今改めてフラットな気持ちで聴き直してみても、一曲一曲の緻密さとソリッドなサウンドにワクワクさせられる。当時新メンバーの佐藤ミツルは、実に自然にバンドサウンドに溶け込み、違和感も無くリラックスして自分を表現している様子が聴き取れる。あふれんばかりの豊かな声量と歯切れの良いギターワークが心地良いし、またキーボードとの掛け合いも絶妙だ。そして岡井大二の‘ラディック,ドラムセットが相変わらずのびのびと唸ってくる。楽曲の全体アレンジはベース佐久間正英が中核となって作り上げているのだろうか。けっして‘普通,には収まらないのが四人囃子流。聴いている方も油断できないスリル感が味わえる。アルバム全篇どこを切りとっても、彼らのROCK魂が満ちているのだ。このアルバムが発表された翌年、札幌の真駒内アイスアリーナで四人囃子を見た。意外にもリッチー・ブラックモア率いるレインボーのコンサートでのオープニングアクト。(レインボー目的の多くのロック小僧達は、野次を飛ばしながらそっぽを向いている風だったが)四人囃子ファンにはたまらない素晴らしい演奏を披露してくれた。高らかに歌い上げていた「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」のミツル氏の声やイントロのあのギターフレーズを僕はいまだに忘れられない。1974年に発表した『一触即発』から『ゴールデンピクニックス』(1976)そして『PRINTED JELLY』(1977)までの、約4年間の彼らの活動はあまりにも鮮烈だった。







カントリー&ウエスタンでデビューして以来、ロカビリー、歌謡曲、ROCK、フォーク、ときにはアシッド・ジャズと、流れのままに身を任せ、縦横無尽に音楽を楽しんでるムッシュかまやつ。その活動スタイルも、バンド、単発ユニットと、国内外の多くの仲間と垣根なくコラボレートする。吉田拓郎、タワー・オブ・パワー、ジェイムス・テイラー、小西康陽、ユーミン、トータス松本、今井美樹に布袋寅泰、小山田圭吾といった世代を超えたミュージシャンから愛されるキャラクターなのだ。今年70歳の日本音楽界の大御所、重鎮だが、決してそんな言葉は似合わない。あくまでも現役シンガー/アーティストであり続ける。僕にとってはやっぱり‘とぼけた顔してババンバーン,のあの「バン・バン・バン」のイメージが最も強い。1967年スパイダースの曲として発売され、以来40年以上経つ今でも色褪せない名曲。この曲を聞くとゾクゾクッと血が騒ぐのは決して懐かしさではない。単純に曲の持つ圧倒的なグルーヴ感のせいだ。

音楽界に大きな足跡を残しながらも、今なお休むことなく突っ走り続ける彼がたどり着いた先は、ブルーズだった。ムッシュかまやつ&ブルーズ・ザ・ブッチャ―。永井ホトケ隆(Vo.G)との出会いが再び彼の本能を目覚めさせた。アルバム『ROCKIN’withMONSIEUR』を聴くと、その解釈ぶりに、さすがムッシュ、といった貫禄を感じる。原曲イメージを大切に守る、という発想は毛頭無い。大胆なアレンジはどこまでも自分流。「Satisfaction」でさえそうだ。レイドバックしたスローテンポに堂々のブルーズプレイ。若者のハングリー精神も、時を経ると、人生を謳歌しているゆとりに変わる。半世紀以上に渡り音楽を続けてきたとは、こういう事だったんだと感慨深く聴き入る。「Be-Bop-A-Lula」に始まり「Walking The Dog」「Rock Me Baby」(このアレンジもまた大胆不敵!で見事)「Bom Bom」ラストの「Kansas City」に至るまで、ムッシュよくぞここまでやってくれた!といった爽快感が伝わってくる。録音も50年代モノラル一発録リといった風。(実際2日間でレコーディングしたそうだ。)このあたりも徹底したブルーズの臭いを漂わせる。このアルバムを聴き終えた後、僕は思わずT-BONE WALKERの40年代のベストトラック集を聴いてしまった。つまりこういうことなのだ。ムッシュの発信していたことは。自分たちの歓びを、同世代のみならず、20代、さらにはティーンエイジャーに至るまで、しっかり体感してもらい、さらに古き良き音楽に触れるきっかけを投げかけていく。その姿勢や思いが音楽の裏側から確かに伝わってくるのだ。あるインタビューで彼はこう語っている。「僕が本当のブルースと出会い、しっかり向き合ったのは60代になってからだ。本当に楽しいし、勉強のやりがいがある。この年になってまたやりたいことが出来た、っていうことがとても嬉しいんだ」。彼の生き方にぶれはない。どこまでもまっすぐな自然児であり続ける。

センスがいい、とはこういうユニットを言うのだろう。ギター、作曲、アレンジの宮内和之とヴォーカルの国岡真由美。二人が核となり、バンドメンバー、エンジニア、マニピュレーターまで含めた音楽集団。音楽に取り組むコンセプト、発展のさせ方も当時として斬新だったが、クラブ系のダンサブルなサウンドも実にクールで、しかもスピリットを感じる。それはこのフロントに立つ二人のキャラクターが醸し出す世界観だ。個性を極限まで削ぎ落とした、涼やかで流れるようなヴォイスは、サウンドの一パートとしての役割をきっちりと担い、一方ギタリストとしての宮内の魂が、説得力を持って一曲一曲に食い込み、ギターの音色、フレーズ、タイミングも冴えわたる。さらにそれらを包み込むキーボードアレンジがICEサウンドを独自のものに演出し、普遍的な小宇宙を描いていくのだ。冷たさと熱さ、無機質感と人間的な味の絶妙なバランスが、ICEの根幹に息づく存在感なのだろう。また93年『ICE』から『Speak Low』(2007年10月)に至るまでに発表された、どのCDアルバムのジャケットデザインは、気負いがなく、さりげなく思いが込められている上質なものだ。明確なテーマのもとに作られたアルバムカラー、メッセージが自然と発進されている。特に『ICEⅢ』(1994年)『We're In The Mood』(1996年2月)そして『SOUL DIMENTION』(1996年11月)。ボーカルの国岡真由美がユニットの顔として、その方向性を象徴的に表現する。一見ニュートラルで、プレーンなイメージだが、だからこそそれぞれのコンセプトにシンクロした表情を多彩に描く。都会の喧噪、倦怠、うねりだす雑多なエネルギー、ささやかな夢、一筋の光。音、ビジュアル、ファッション、メッセージ、そしてユニットのアイデンティティ、全てに一貫した【ICE】ワールドは、先を急ぐように次々と、多数の作品を世に送り出し、2007年12月ユニットの要、宮内和之の死、という悲劇に襲われる。それ以降、温め続けた彼の精神を再び復活させ、今年11月、国岡真由美をコアメンバーとした【ice】として活動を始める事となった。この確固たるブランドは時代を超越して、また新たな風を吹かせてくれるにちがいない。


晩ご飯に家族で餃子を食べていた。大きな鉄板を食卓テーブルの真ん中に置き、じゅうじゅうと豪快に焼いて食べる。BGMは、SANDIIの『Tiki Tiki』(2001年)。ハワイアンとクラブミュージックがミックスしたような奇妙な音だ。さらに続けてSANDIIの『MARCY』(1990年)。いい雰囲気のアルバムだが、餃子の世界とはほど遠い。

ちなみにSANDIIは実に不思議なアーティストだ。年をとってもコケティッシュな魅力はいまだ衰えず。「グッバイモーニング」で1976年にYAMAHAの世界歌謡祭グランプリを獲得して以来、世界を股にかけ活動を行う。サンディー&サンセッツでワールドツアーを行ったり、アジア、特にマレーシアでの絶大な人気、アルバムの受賞、自身のルーツであるハワイアンをベースとした音楽活動《ライフワーク》、モントルージャズフェスにも出演したりと、実に多彩な才能をまき散らす。またサンディ、サンディ・アイ、サンディ・オニールなどその都度、名前も変えてしまう、などこんな独自の光を放っている女性ヴォーカリストは日本でも珍しい。

そして見事に餃子に合わないこの音楽は家族の猛反対を受け変更。続いてマイルス・デイヴィスの『スケッチ・オブ・スペイン』に。これが合うわけない、ということはじゅうじゅう承知済み。単にこのアルバムを聴きたかっただけなんだ。もちろん家族のブーイングを受け、即撤去となる。もうそろそろ決めようかと思い、取り出したのは『木村くんと有山くん』(1999年)。憂歌団の木村充揮氏と有山じゅんじ氏によるジャパニーズ浪速ブルースのアルバムだ。1曲目の「あなたも私もブルースが好き」で完全に空気が馴染んだ。餃子ならば、これくらい泥臭く、庶民感覚あふれた生ギターの音色が似合うに決まっている。よしよし一件落着か、と思いきや甘かった。「そう言えばアレいこう!アレ!」と家族が急に身を乗り出し、あっけなく次のリクエストへ。『ぼちぼちいこか’08』(2008年)だ。大阪名物くいだおれ太郎が、店の閉店に伴いお役御免になったあの事件。太郎の行く末はいったい・・そんな折に発表した有山じゅんじと上田正樹のミニアルバムだ。(これについてはブログ2008.10.23「くいだおれ太郎」ご参照)大阪ラグタイムブルースの決定的名盤だが、この1曲目を聞きたいというのだ。「俺の借金全部でなんぼや」だ。この歌、周りの悪友達から金を借りて、少し返してまた借りて、競馬やって、酒飲んで、パチンコやって、あれやって・・という調子でいくらになったいくらになったと、ひたすら叫び続けている曲なのだ。この曲をかけはじめると、餃子どころではなくなった。それぞれが頭の中で計算をし始めたからだ。途中でわからなくなって、聴き返す。そしてもう一度。またわからなくなる。今度は電卓を取り出し計算が始まる。またわからなくなってもう一度。もう席に座ってられない。立ち上がり、CDプレーヤーにかぶりつくように電卓を打ち続ける。「このおかまのごろーちゃんから借りるところがおかしい・・」などと言いながらもういちど。そんな繰り返しをしながら結果はついにわからずじまい。しかしなぜか餃子はきれいになくなっていた。

アーティスト同士のコラボレーション。偶然の出会いが奇跡を生む。それを偶然というのか必然というのかはわからないが。‘出会い,が神によって決められている道であるならば、運命という言葉で片付けられるのだろう。そしてこの世の何もかもがその繰り返しなら、未来はバラ色に決まっている。だから僕たちはポジティブに、アグレッシブに動き出さなければならない。良い運命を、自ら生み出していくために。歴史がそれを実証している。

ビル・エバンスとスコット・ラファロ、マイルス・デイヴィスとギル・エバンス、ジョージ・ハリスンとラヴィ・シャンカール、エリック・クラプトンとボブ・マーリィ、マイケル・マクドナルドとドゥービーブラザーズ、ビル・チャンプリンとシカゴ、などなど枚挙にいとまがない。そんな中のひとつ、エラ・フィッツジェラルドとアンドレ・プレヴィンもまた、音楽史上に残る出会いと言える。

アンドレ・プレヴィンというと僕自身‘ラプソディ・イン・ブルー、アメリカ人、指揮者,という印象が強かったが、実は、ドイツで生まれ、ロシア人の家庭に育ち、フランスに移り、後にアメリカで市民権を得る、そんな環境が彼の音楽の素地にもなったのだろうか、ジャズ・映画音楽・クラシック界をベースに、作曲家、音楽監督、ピアニスト、指揮者と、どれも超一級品の実績を残す、とてつもない人物だった。だからエラ・フィッツジェラルドとの出会いも、彼の広範な音楽家活動のプロセスにおいて、出会うべくして出会った、輝けるひとコマだったに違いない。

『NICEWORK IF YOU CAN GET IT/ELLA FITZGERALD AND ANDRE PREVIN DO GERSHWIN』は、1983年、ニューヨークのスタジオで録音された。「A FOGGY DAY」から「THEY CAN'T TAKE THAT AWAY FROM ME」まで。卓越した技術力と、何もかも知り尽くした大人の人間力が混じり合った、円熟のインタープレイが楽しめる。猥雑さや俗物的なカオスは自然に風化され、後に残ったエキスだけが豊かな光沢を放つ、我々に寄り添ってくるような作品だ。本物の持つ柔らかで繊細な手触りを楽しめる、上質なベルベットのような世界。深みはあるが、聴き心地が、さらりと清々しさすら感じるところが凄い。







この曲に出会えたのは高校生の頃だ。まだまだ世の中の仕組みも社会の構造も、もちろん人生の機微もわからずに、受験戦争という切ない原体験だけが唯一の心の礎となっているような時期。自分の将来の道を暗示しているような曲。実感はないが、妙に親近感を覚え、心の中でうなづいている自分がいた。1979年に発表されたブレッド&バター『Late Late Summer』のオープン二ング曲「あの頃のまま」。

学校を卒業してそれぞれの道を歩き始めた同期の友達と街のターミナルでふと出会う。奴はネクタイを首に巻き、板についたスーツ姿。僕は日焼けした足を出した短パン姿。そう、当時と何も変わっていない。彼は相変わらずだなぁと羨ましそうに語るが本心はどう思っているのだろうか。しあわせの形にこだわらずに、人は自分を生きていく。自分のために、自分自身のために。僕はあの頃のままさ、と淡々と歌う。

この曲が発表されてから、ちょうど30年が経つ。ブレッド&バターはまさにこの歌を実践している。数年前に札幌の小さなライブハウスでステージを見た。少ししわの増えた岩沢兄弟は、少年のように美しい、甘酸っぱいハーモニーで「あの頃のまま」を歌ってくれた。その後いっしょに打ち上げをしながら、今の音楽、これからやりたいことなどを嬉しそうに話す。今でも湘南の海は彼らを優しく包み込み、真っ青な空と、眩しい太陽、澄んだ空気と、そして気心の知れた仲間達に囲まれて、日々過ごしているのだ。それだけで充分幸せだから。いやそれがいちばんの幸せだから。音楽を真ん中に据えた、軸のぶれない生き方が、貴重な時の流れを何よりも豊かな世界に作り出していく。「Monday Morning」「ピンクシャドゥ」「If」「マリエ」「I Just Called To Say I Love You(特別な気持ちで)」「Fine Line」「Remember My Love」。ほら、彼らの一曲一曲が何よりの証拠だ。

初めて聴いたのは『GOOD PAGES』。

とにかく陽水を一度聴いてみたいという思いから、真っ白いジャケットに惹かれて、当時発売されていたこのベスト盤を選んだ。中学生の頃だ。針を落として一気に聴いた。夢中になって聴いた。とにかく聴いて聴いて、1曲1曲が体中に沁み渡るほど集中して聴いた。切なくなり、愛しくなり、ワクワクさせられ、強く胸を締め付けられた。そのうちに、特に好きな曲だけを繰り返し聴くようになった。「闇夜の国から」「あどけない君のしぐさ」「いつのまにか少女は」「夢の中へ」・・。そして最後まで残ったのは「能古島の片想い」だ。なぜこれほどまでに淡い、繊細な恋心を、こんなにリアルに感じ、表現していくことができるのか。‘気持ち,という実体のない存在を、一編の詩とメロディに焼き付け、歌に昇華させ、ドラマを描き上げる。音楽という手段なくしては実現できない行為だ。心の内側に潜むたったひとつの真実を、月明かりや波のざわめき、通り過ぎる船、一つ一つの情景の中に投影させ、はがゆいほどの、やりきれない気持ちを埋め込んでいく。「能古島の片想い」には、誰にでもある、いつの時代にも変わらない、永遠の真実がそこにある。だから時を越えて訴えかけてくる。

それ以降、僕は『二色の独楽』(1974年)、『招待状のないショー』(1976年)と彼のアルバムを聴き続け、ここで‘陽水熱,は終わった。というよりも、この3枚で燃え尽きた、と言った方が近い。その証拠に、あまりに強烈過ぎたその数年間の記憶は、40年近くたった今でも、1曲1曲の歌詞やメロディはもちろん、声の吐き出し方や、かきむしるようなギターのカッティング、ドラムのフィルインまで鮮烈に頭の中に刻み込まれているのだから。