つい数日前、国語の時間に担任の先生からとても感動する話を聞いた。

 

 

私が担当している障がい児は、小学3年生だ。

私は、彼に一日中付き添っている。

当然、授業も一緒に聴いている。

 

 

ある国語の時間、教科書の中の物語を、場面ごとに

「誰が、何を言っているか、それは行動か、

様子を書いているか、を読み解く。」、という授業をしていた。

いわゆる読解力を養う授業だった。

 

 

先生は、「分かった人は手を挙げて、言ってみて。」、と言ったが誰も手を挙げなかった。

すると先生は、

「手を挙げないのは、みんな分からないの?

それとも、分かっているけど、間違っているかもしれないことが恥ずかしいの?」

と児童に尋ねた。

 

 

みんな、だんまり。

教室はシーーンと静まり返っていた。

 

 

先生は、「みんな、恥ずかしいと思うところを間違っています。

恥ずかしいのは、『間違っているかもしれない』と思うことです。

それで手を挙げられない方が、よっぽど恥ずかしいです。」

みんな黙って聞いていた。

 

 

「学校は、色々な新しいことを勉強するところです。

分からなくて当たり前です。

それが恥ずかしいのではなくて、『間違うこと』を恥ずかしいと

思っていたら、勉強できません。」

 

 

「クラブ活動でも同じです。何度も練習して、できるようになるんです。

何度もバットを振って、何度もボールを投げて、何度もボールを蹴って、

上手になっていきます。」

 

 

先生は、間違ったからと言って怒ったことがありますか?

先生は、みんなに間違っているかもしれないけど、勇気を出して

自分の意見を言えた人を、『よく言ったね。』と褒めたはずです。

今まで怒ったことはありません。そうだったよね?

間違うことは恥ずかしくないです。すごく良いことなんです。」

と言った。

 

 

私は、心の中で拍手した!!

担当の子供の顔を見ると、真剣に聞き入っていた。

そしておずおずと、手を挙げた。

周りの子供たちも、徐々に手を挙げだした。

 

 

先生は、「みんな凄いね。自分の考えを言える人はすごい人です。」と、

笑顔で嬉しそうに子供たちに語り掛け、次々と当てていった。

それを黒板にすべて書き記していった。

 

 

次第に、「我も我も」と手を挙げ、発表するという状態になり、

活気のある国語の授業になった。

最後の方では、子供たち同士で意見交換したり、「僕はこう思う。」

「それは違うと思う、だって○○と書いているから、○○ということだ。」と

激しく論戦を繰り広げる場面もあり、子供たちの変わりように驚いた。

 

 

何度も書くが、私たちの脳神経は、その時の体験と感情とともに記憶されて、

ほぼ9歳までに90%が作られてしまう。

この時に作られた思考パターンが、生涯にわたってその人の人生を

決めてしまう。

まさに今、私たちが考えていることや体験して感じることは、この時期に記憶された

思考パターンを使っているのだ。

 

 

この子たちは、この先生に良い影響を受け、

「失敗は怖くない。失敗は素晴らしい」という、

いわゆる天才が考える思考パターンを体験したのだ。

そして、「それは楽しい、嬉しい」、という感情とともに記憶されたと思う。

どうぞこのまま、この思考パターンが定着し、この子たちの生涯で重要な決断時に

舵取りできますように、と祈るばかりだ。