今勉強している科目で「フランス文学概説」があるんだけれど、そのテキストを読んでいたら、ユイスマンス『彼方』が出てきた。

『さかしま』も少し出てきたけれど、以前読んだので、今回は『彼方』を読んでみることに。

 

私の場合、テキストを読むと魅惑的な作品がたくさんでてきて積読が増えるいっぽうなのだが…………。

 

彼方 (創元推理文庫 524-1)

 

この本、どうやら都内の図書館にはほとんど置かれてないようで…。かなりの奇書だからかな…笑。

中世の悪魔宗、神秘学、黒ミサ、キリスト教に対する冒瀆などなどが描かれている。わりと刺激的なことも書かれてあったし(…例えば、女の月経の血と男の精液を小麦粉で練り合わせたものを瀆神に使うとか…)、こういうのを好む読者は少ないのだろう。

私も特に好むわけではないけど!

 

ちなみに、大学の図書館に昭和41年出版のがあったので借りてみた。


 

 

『さかしま』では、主人公のデ・ゼッサントが退廃美と共に人工的な楽園の建設を試みていた。

 

一方で『彼方』の主人公デュルタルは、ジル・ド・レー研究と共に、人工的な地獄を組み立てていた。

両者共に、そこそこの知識人ではある、が、ハッキリ言えば、偏狭的で面倒くさい性格のオタクであろう!

 

 

ユイスマンスご本人。
ゼッサントやデュルタルの分身ともいえるようだ。
本書序盤、デュルタルの口を借りて当時の文学思潮をけっこう皮肉っていた。

 

 

ちなみに、デュルタルが研究しているというジル・ド・レーは実在の人物だが、かなりの変態!

元々は軍人であり、ジャンヌ・ダルクを助けたりして手柄を立てたけれど、ジャンヌ処刑後は表舞台から退き、豪奢な生活を送る。そのうちお金がなくなって錬金術をやりはじめ、その流れで悪魔礼拝に走って、さらにサド文学にも出てきそうな残忍卑劣な罪悪をやりつくし、最後は火炙りの刑となる。

この変態ジル・ド・レーが、童話や音楽にまで登場、様々な芸術作品へと広がっているかから、興味ぶかくはある。しかし、その影には何人もの子どもたちが快楽のための犠牲になっていたことを忘れてはいけない!

 

 

本書では、ジルが、快楽殺人者のような感じで小児を汚し殺すことが描かれてあるが、それだけにとどまらず、死体愛玩への官能、さらには孕んだ女性のお腹をさいて胎児をもてあそぶようなことも描かれていた。

結局は、姦淫と虐殺に疲れ果て、これ以上の悪徳へ突き進むことができなくなったという。そうなると、こんどは引き返して善に立ち戻っちゃったらしくて、悔悟の念が沸き上がっちゃってどうしようもなくなるという…。うーむ…、悪徳をつらぬけずに美徳を持ってしまったがゆえの不幸だろうか。

 

 

そして、ジル・ド・レー研究と共に、デュルタルの恋愛模様(?)も描かれていく。

お相手はシャントルーヴ夫人という、一見上品な女性であるが……

デュルタルは、なぜか夫人に好かれたもよう。陰気なオタクだろうけれど、彼の特異な知性に惹かれたんだと思う。

 

そしてデュルタルは、女性との経験はたいしてない人だと思うけれど、プライドは高く、心の中だけは偉そうである。臆病なくせに面倒くさい男なのだ。

 

おれは、相手がどんな女であっても、女というものは結局苦痛と退屈の飼育所だということを知り抜いている。女が善良な場合には鼻持ちならぬ愚物が多いし、また、健康がすぐれないとか、ときにはちょっとさわっても直ぐにはらむような、やりきれないものもある。

 

「知り抜いている」と偉そうなことを言っているが、シャントルーヴ夫人のほうが、かなりのうわてと見える。

色々な意味でデュルタルよりずっと経験値も高いし、悪魔的な事情に精通している。デュルタルは文献での研究による知識であるが、シャントルーヴ夫人は実経験による知識であると思われる。

しかも、注意深く読んでいると、身長もデュルタルより高いみたい。というか、デュルタルが小さいのか?

 

 

ジル・ド・レーはじめ、一連の悪魔主義を研究をしているデュルタルは、シャントルーヴ夫人に何度もお願いをして「黒ミサ」に連れて行ってもらったんだけれど、どうやらデュルタルは、この「黒ミサ」を見て、ひいちゃったみたい。

彼はこの分野の研究をしていたっていうのに、実際に目の当たりにしたら刺激が強すぎて無理だったのかな…?

いったい、あの女の生活は、どのような泥沼の底をくぐってきたのだろう

 

 

それにしても、この黒ミサの光景、読んでて、笑っちゃうくらいヤバかった‥‥‥。

狂乱の嵐! 神への冒瀆に続いて、すさまじいヒステリーの疾風!

 

ミサで使う「聖なるパン」があるけれど、このパンに浸み込ませた「液」がヤバいのである。いわゆる、体内から分泌される様々な「液」である……。

それは、黒ミサを取り行っている、ドークルという破戒僧によって汚され、湿ったパン…ゲロー

そのきたない塊にむしゃぶりつく者たち…ゲロー

パンを嚙んでは吐き出して、それを自分の手足になすりつけ、あるいは女達にくばっていた。女たちはわめきののしりながらその噛みかすを口へ押しこみ、またはそれを瀆すために押しあいへしあいした。

パンを腿の下に押しこんだという女もいるけど。。。

ちょっとちょっと女さん!、どこに押しこんでんの…滝汗

 

現実にこんな光景見ちゃったら、トラウマだわね…不安

しかも、この場には児童もいるんだからね……

 

匂いも相当なもので…夫人は、

「昔の魔術師の夜宴の匂いですわ」

「ですわ」じゃないでしょー!

 

このミサに興奮しちゃったらしい夫人、場所をうつして、デュルタルをおそっちゃったみたい。。

ちなみに、夫人の下着の中から例のパンの一部が出てきたのだった……滝汗

 

 

コッペパンメロンパンコッペパンメロンパン

 

 

その後のデュルタルは、夫人と交際できなくなってしまいました。

夫人の方から何度も手紙はきたものの無視をきめてます。

事実、夫人に心かき乱されていたし、あんなに研究熱心だったのに…。やっぱり実際に経験するのと、文献を読んで妄想を膨らますだけっていうのは違うのでしょう。

 

それでも、強がりで面倒くさい、そして臆病なデュルタルは、、

昔、若くて元気旺盛だった自分には、女という女がおれのことを馬鹿にしやがったが、気持ちが落ちついてきたいまでは、かえっておれのほうから女を馬鹿にしてやる立場になった。

と、飼っているネコさんに向けて話しかけておられました。

 

猫しっぽ猫あたまニャ‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

低気圧頭痛発令中~🌀キラキラ

最近、読んだ本をまとめてなかったのでまとめておきます。

色々読んだ気がするけれど通読したのは少なかったみたいなので、7月と8月と一緒にしました。

 

映画は(記憶が曖昧だけど)7月に2作品観ただけでした~。

でも、来月早々『箱男』を観に行く予定♪ 今、原作読んでるとこ♪

 

 

読んだ本


椿姫 (新潮文庫)椿姫 (新潮文庫)

高級娼婦のマルグリット。19世紀パリの高級娼婦って億ほど稼いでいたらしい。ただし、毎日のように饗宴を催す上に装いも華やかにしていなければいけないから、出費も凄まじい額。こういうな女性は、お遊びの恋愛ならまだしも本気の恋愛なんて縁のないはず。でも年下の男性の正直でまっすぐな気持ちにやられてしまい、恋に落ちてしまう…! 行末は…もちろん…😢
読了日:07月05日 著者:デュマ・フィス


告白 中 (岩波文庫 青 622-9)告白 中 (岩波文庫 青 622-9)

こちら読んでね💗→ルソー『告白』第二部① & ルソー『告白』第二部②
読了日:07月20日 著者:ルソー

 

新訳 サロメ (角川文庫)新訳 サロメ (角川文庫)

あらためて読んでみると、「お前に口づけしたい!」って何回いってるんだろう。何が何でもヨカナーンと口づけしたいサロメ…。そして最後の構図は、やっぱり…エレンとミカサ(進撃の巨人)が頭をよぎる‥‥‥。
読了日:08月09日 著者:オスカー・ワイルド


悪女入門 ファム・ファタル恋愛論 (講談社現代新書 1667)悪女入門 ファム・ファタル恋愛論 (講談社現代新書 1667)
なるほどと思う部分と、ちょっとうなずけない部分と(ユイスマンス『彼方』のイヤサントはファム・ファタルとは言えないでしょう?)、何とも言えないファム・ファタル論だった。でも面白かった。

読了日:08月09日 著者:鹿島 茂


告白 下 (岩波文庫 青 623-0)告白 下 (岩波文庫 青 623-0)

こちら読んでね💗→ルソー『告白』第二部③
読了日:08月13日 著者:ルソー


砂男/クレスペル顧問官 (光文社古典新訳文庫 Aホ 3-2)砂男/クレスペル顧問官 (光文社古典新訳文庫 Aホ 3-2)

砂男』の最後の狂乱がよかった。しかしどうやらオペラでは狂乱しないみたいだね~残念。でもいつか『ホフマン物語』みてみたい。
読了日:08月23日 著者:エルンスト・テオドール・アマデウス ホフマン
 

 

 

観た映画

■ルックバック

『チェンソーマン』の藤本タツキ先生作品の映画化。押山清高監督。前にネットで原作読んでてよかったから観に行ったけれど、映画も大変よかった。キャラクターに魂が入って動き出した感じ。最後のほうは、映画館内でも鼻をすする音が聞こえてきた。映画が終わって周りを見渡したら、ある男性が眼鏡をはずしてハンカチで目をぬぐっていた。

どんな形であっても、自分の中にある消化できなかったものを消化するために作品を作り上げることができる人ってすごいなあ。

 

入場者特典は原作のネームだったよ~🥹!

 

■シャレード

シャレード デジタル・リマスター版 [DVD]

スタンリー・ドーネン監督。オードリー・ヘップバーン作品をたくさん観たいと思って。お金持ちの男性と結婚した女性が身に覚えのない陰謀に巻き込まれるというサスペンスだけれど、ユーモラスでもあり楽しく見られた。パリの風景やオードリーが装うジバンシーなど贅沢だった。

 

 

 

上品なファッションが多かった。おいしいジェラート食べたい🍦

 

 

以上です!

 

 

ちょっと近況気づき

10月の新学期からは担当授業数を増やすことになり(教師の人手不足…)、大学の試験もあり、11月には日本語関連の試験もありますオエー

なんんだか忙しそうな予感だけれど、それでも、自分の時間は取らないとイヤなので、できるだけ余裕持って好きなことも色々し続けたいな~🧘📚本コーヒー🍫ピンクマカロン🛀♨💆映画🎬🌹もみじ香水アイシャドウハイヒール🚅ロゼワイン🎶‥‥‥

 

 

お読みいただきありがとうございましたハート

台風が心配ですが、お気をつけてお過ごしください台風

 

 

有名な思想家、ジャン=ジャック・ルソーの『告白』を読んだ~食パン

長くなったけれど、今回で最後にしようと思う。

そして今後は『告白』の続きだという作品、『孤独な散歩者の夢想』も読んでみたい音符

 

ルソーには、『人間不平等起源論』『新エロイーズ』『社会契約論』『エミール』などなど、数々の有名な著作があるけれど(読んでないけど)、今回、自伝である『告白』を読んだことによって、今後、これらを読むときの一助になると思う(いつか…)。


今回は岩波文庫の、ジュネーブ草稿に基づいたもので読んだ~(『告白』はジュネーブ草稿、ヌーシャテル草稿、パリ草稿の三つの稿本がある)。


 

 

本書は、

第1部、第1巻~第6巻(1712~1741)

第2部、第7巻~第12巻(1741~1765)

から成っており、ルソー死後に発表されたもの。


けっこうボリュームあるので、なかなか通読する機会はないと思うけれど、あとで自分で見返したときに、だいたいの流れが(大雑把にでも…)分かるといいなと思いながらまとめたつもりにっこり

もしおかしなとこあったらコッソリ教えていただけると幸いです🙇


 


第1部、過去記事↓

 

  

第2部、過去記事↓

 

 

ルソーをお供に、色々な喫茶店やカフェに行ったなぁ~コーヒー

 

 

 

 

  たったひとつの恋とベストセラー

 

前回も少しだけ触れたが、ルソーいわく、「全生涯ではじめての、たったひとつの恋」をした相手がいる。ドゥドト夫人である。

ヴァランス夫人もテレーズも、ルソーにとって大切な愛する女性ではあるが、恋愛的なものではなかったみたい。

 

やっぱり、昔から結婚と恋愛って別なんだろうか…。個人的なことを色々思い出してしまった………。ルソーのように告白文を綴ることはしないけど~。

 

なお、ルソーはこの時(1757年)45歳くらいなので、ドゥドト夫人の方がずっと若いけれど、すでに30歳近くで特に美人ではないという。でも、いきいきとした表情で愛くるしいご夫人だとか。

人を嫌うような心をもってはいなかったのだ。ここがわたしとよく似ているので、それで大いに彼女に熱中してしまったのかもしれない。

 

結果的に、この「たったひとつの恋」は、実ることなくルソーの片思いで終わるんだけれど、この感情から『新エロイーズ』が生まれたのかもしれない。もちろんそれだけではないだろうけど、片思いのさなかに執筆していたわけだし、、だからきっと、当時の恋心が少なからず反映されていると思う…!

なお、『新エロイーズ』は『ジュリー』というタイトルで書かれている。恋愛物語。

 

わたしは燃えるような恍惚のうちにこの小説を書いたのだ。〔…〕青春のかすかな記憶と同時に、ドゥドト夫人が存在しなければ、わたしが感じ、えがいた愛は、空気の精への愛でしかなかったろう。

 

この著作は、ルソーの著名な友人たちが色々な場所で噂をしていたことにより、出版前からかなりの評判となっていた。特に、パリではこの出版がまちきれない様子だったとか。

そして、1761年の出版後、ベストセラーとなる作品となった!

 

しかし、これはフランスだったからベストセラーになったもので、もしルソーの故郷であるジュネーブで出版されていたら、誰一人読み通すものはいなかっただろうとも述べている。

 

 

  ベストセラーからの逮捕状

 

『新エロイーズ』で、世間での成功をかちえていったルソーは、続けて『社会契約論』、さらに『エミール』を書き上げる。この『エミール』が大問題となる。

 

「宗教そのものを攻撃する本」として、著者であるルソーが非難されることとなったのだ。

噂は負の方向にどんどん広まっていく。が、当の本人は、なにも責任なんてない、非難されることなど何もないと、はじめのうちは落ち着きはらっていたようだ。

公衆、ことに高等法院はわたしの落着きにいらだっているらしかった。数日ののち興奮はおそろしいほどになり、威嚇は目標を変えて、直接わたしに向けられるようになった。高等法院では、本を焼くくらいではだめだ、著者を焼くべきだ、と公然といわれるのが聞かれた。

「著者を焼く」滝汗

 

結果、逮捕状が出されてしまった…ガーン

『新エロイーズ』ベストセラーからの急転直下‥‥‥!

ここからは、もうとどまるところを知らず、さすがに落ち着いてなんかいられなくなったルソーは、故郷ジュネーブへ逃げることに。

 

しかーし!

ジュネーブでも逮捕状が出されてしまい、しかもその逮捕状はめちゃくちゃなことが列挙されていたという。故郷にも戻れず…ガーン

あることないことどんどん広がってしまう情報…。世間ってこわい‥‥‥不安

 

 

  落ち着かない生活

 

ここに、かの闇の仕業がはじまる。以来八年のあいだ、わたしは、この闇のうちにとじこめられ、どんなにもがこうとも、そのおそるべき暗黒を見とおすことができないのだった。

わたしの破滅をもたらした人々は、公衆を彼らの陰謀の共犯者にしてしまって、しかも公衆はそうなっているとはつゆ知らず、その結果を見もしない。

まさにその通りだと思う。

現代も同じで、ある情報だけに焦点が当てられて世間の目にさらされると、世間はその部分しか見ない。しかも、焦点化された情報を元にどんどんストーリが勝手に構成され、それが一人歩きをし、その人物とは程遠い人物を作り上げてしまう! そうなることこそが誰かの陰謀だったとしても、世間はそんなこと知るはずもなく、周囲の人間とうわさ話に花を咲かせ、くだらぬ時間を馬鹿みたいに楽しんでいる…! そしていつかその話題も忘れ去られ、その人がどうなったかなんて見向きもしないのだ。

 

このようにして、逮捕状がジュネーブとフランスで出された。

それでも、有名な著作を残したルソーには、親身に世話をしてくれる人物も現れ、住むところなど世話してくれたりする。

しかし、そのうち、噂を聞きつけた人たちによって石を投げられたり窓を壊されたり…。テレーズも気の毒…。

 

そのあいだも、どんどんと悪口雑言が印刷され続けたらしいが…。

ルソーは、この世間の狂乱はいつかさめ、事態は好転すると考えながら、自分を陥れた陰謀にかかわった「敵」を妄想する。

これまでの手紙を集めて検証するが、いくつかの手紙が盗まれているという。さらには、自分の著が盗作されたという(妄想によるもの)。

そしてとうとう、この『告白』を書く仕事にとりかかる。だから、この作品は自己弁論のような形にも見えるのかも??

 

 

  祖国を捨てて

 

故郷ジュネーブでは、この不法な処置に講義してくれるものは誰一人あらわれない。同胞から見捨てられたと思ったルソーは自ら祖国を放棄する決心をする。

 

その後は、サン=ピエール島に落ち着き、しばらく平和に暮らすこととなる。

この島をえらんだことは、わたしの平和を好む趣味、孤独で怠惰な気質に合っていたので、わたしの一ばん熱中した甘美な夢想の一つにかぞえることができる。〔…〕この島に閉じこもって人間との交際を断ちたかった。

このように、ひたすら無為に身をゆだねるために静かな孤独を求める。

孤独の無為は、自由で自分の意志によるものだから、魅力的なのだ。

 

しかし、それも長くは続かないのであった…。

二十四時間以内にサン=ピエール島および共和国の全直轄領・属領から退去し、以後ふたたび立ちもどらないよう、従わなければ極刑に処する、

‥‥‥むちゃくちゃ!ゲロー

 

結局、『告白』は「この人殺しの国をたった」というところで終わることとなる。

自分を迫害し陰謀の渦へと陥れたという元凶については、はっきりとは明示されずに終わってしまった。

そして最後に、「いつかその気力がでたら、第三部を書こうと思っている」とも書かれてあるが、第三部は書かれなかった。このときは1765年、ルソーは50代前半。

 

ひとまず、ここで『告白』は終わるが、まだまだ、ここから何年か生きるから、ルソーの生涯がこれで終わりというわけではないのだった~。

 

 

  その後・・・

 

岩波文庫下巻の最後にある、「『告白』以後のルソー」を読むと、ルソーが考えているほど世間は大げさではなかったらしい‥‥‥?

ルソーの逮捕を本気でのぞんでいたわけではなかったらしいし、警察も逮捕にふみきる気はなかったようだ。迫害の陰謀組織なるものは、存在しなかったとはいえなくとも、この程度だった。

などと書かれている。……真顔

 

そして、ルソーが絶交したという元親友、哲学者ディドロは、ルソーに対して「もし訪問してくれたら大変嬉しい」と好意的だったりする。

 

事実、サン=ピエール島を出て、フランスのストラスブールに到着すると、なぜだか歓迎されている‥‥‥。続いて訪れたイギリスでも歓迎を受けている‥‥‥。

もしかしたら、ルソーの被害妄想によるものも大きかったのかもしれない。どうなんだろう…🤔

 

頭の上の天井には眼があり、まわりの壁には耳がある。いじわるで油断もスキもないスパイや見張りに取り囲まれて‥‥‥

 

 

※※

 

 

なんて濃くて忙しく、偉大な(そして面倒くさい)人生…!

けれども、読んでいるにつれ、真実か妄想か判断できなくなってくる感覚になった。


あ、ルソーとテレーズは、その後の1768年に正式に結婚したとのことハート

 

 

これで、『告白』についての大体の内容と少しの所感を終わります~。

ここまで読んでいただいた方、もしいらっしゃいましたら、ありがとうございましたひらめき

 

読みが浅いところなどあるかもしれませんので、あらかじめお詫びしておきます。

 

 

 

 

 

 

 

有名な思想家、ジャン=ジャック・ルソーの『告白』を読んだ~パフェ

あとからなんとなく思い出せるように、第2部の続きをまとめておこうと思う~メロンパン

 

 

前回の記事はこちら↓

 

 

本書は、

第1部、第1巻~第6巻(1712~1741)

第2部、第7巻~第12巻(1741~1765)

から成っており、ルソー死後に発表されたもの。

 

 

第1部は幼少期から青年期、第2部は壮年期以降が書かれていて、ありのままをかいたというルソーの自伝。

これこそは自然のままに、まったく真実のままに正確に描かれた唯一の人間像、このようなものは、かつてなく、また今後もおそらくないであろう。

「まったく真実のままに正確に」とあるが、やはり振り返ってみるには記憶の曖昧さもあったようで、のちの研究者たちがルソーの文を訂正してくれている。

第二部後半になってくると、周囲の人間関係の悪化(「敵」という言い方をしている)、人々からの侮辱や攻撃、挙句の果てには逮捕令からの亡命、加えて体調不良、悩みは深くなり被害妄想も出てくる。

 

ルソーの中では自分の人生を「真実のままに正確に」書いたのだろうが、注釈によると「これはルソーの妄想である」「ルソーの記憶違い」との記載が増えてくる。

しかし、これだけ濃ゆ~い人生だったら当然だとも思う。記憶をたどるのに、手紙などが大きな手掛かりになったようだが、すべての手紙に日付など記載されているわけでもないし、紛失しているものもあるだろう。むしろすごい記憶だ~!

 

 

久々"bills"行った🥞🥙
 
 
 

前回は、運命の女性テレーズと出会ったところまで書いた。

テレーズに関することから書こうと思う。

 

 

  当時の孤児院とルソーの子

 

1746~1748年(大まかに革命前の18世紀)のパリの風習って乱れている印象があるけれども、例えば、、、

レイプしたりされたり、妻がよそで子ども作っちゃったり(その逆も)、快楽を求めて享楽的な生活に身を沈める等々、とにかく色々な事情で「人目をしのぶ出産」というのが多発していたもよう。…ぐすん

じゃあ、生まれてきた赤ちゃんはどうなるのかというと、、

孤児院にいちばんたくさん子供を送りこんだものが、いつもいちばん賞賛されていた。

賞賛って…💧と、呆れるような話だけれど、こういうのはあたりまえの話題だったみたい。…ぐすん避妊も中絶もないとこうなるのかな…

 

そんな悪習にルソーも染まったのだろうか。ルソーとテレーズとの間の子どもも、

これがこの国の習慣なのだから、ここに住む以上はそれに従っていいはずだ、

と、ためらいもなく赤ちゃんを孤児院におくったという。…驚き

 

もちろん母親となったテレーズはこれに反対したけれど、ルソーの強い意志によって泣く泣く従うしかなかった。

二番目、三番目の子どもも孤児院へ。その後二人も同様。つまり、全部で五人の子どもが生まれたことになる。…大泣き大泣き大泣き大泣き大泣き

 

さすがに五人もの子を、単にパリの悪しき風習に従って孤児院へ入れたわけではなく、別の理由もあったようだ。

テレーズは優しくて心のきれいな女性であったが、その家族がよくなかったようで、こんなことが書かれていた。

こんな育ちの悪い家族に子供らをまかせて、彼らよりももっと育ちが悪くなったら、と思ってぞっとした。孤児院の教育の方が危険がずっと少なかったのだ。〔…〕どれよりも強い理由はこれだった。

‥‥‥なんと言っていいのか、、、とにかく、ルソーはこのように考えていたみたい。

 

それに対する後悔は‥‥‥、苦しんだとは書かれてあるんだけれど、、、正直あまり感じなかった気もした。もちろん、この書は感情にうったえかけるものではないだろうし、事実を書いているだけだからなのかもしれないけれど。

それでも、最後には子どもを捨てたことに対する言及が出てくるのかと思ったけれど、11巻で少し触れていた程度で終わった。

 

ちなみに11巻は1762年、ルソーはもう50歳くらいだと思う。

懇意にしていたある夫人(リュクサンブール夫人)がルソーの子を引き取りたいとの好意を示したのだ。

結局、子は見つからなかったのだが、そのことを特に残念だとは思わなかった。

この子の消息を知っていたらよほど不愉快だったろう。もし孤児院の情報のおかげで、どこの子かわからぬ子をわたしのだとしめされたとしても、ほんとうにそうなのだろうか、別の子とさしかえられたのではなかろうか、という疑いが、わたしの心を苦しめ、わたしは、自然の真の感情を、そのすべての魅力のままにあじわえなかったろう。

当時のパリは、色々な体制がぐちゃぐちゃしてそうだし、こういうことも少なくないのかもしれないけれど…。

 

見も知らぬ子どもから長く離れていると、父性愛や母性愛は弱められ、ついには消滅する。そして、ひとは、手塩にかけた子を可愛がるほど乳母にあずけた子を可愛がりはしない。こう考えてくると、この一件の結末は情状酌量されるだろう。

「情状酌量」?…絶望

 

その後、このように付け加えてはいる。

捨子というそもそもの過失はより重大なものとなろう。

これが子を捨てた後悔なのかな?

あるいは、ここに真実を書いたことが後悔であり懺悔であるのかもしれない。

これ以降は、特に子どもに関する記載はなかったと思う。

 

このように、「児童の福音書」とも呼ばれる教育書『エミール』の著者が、子どもを次々と捨てたことが暴露されていた。

 

 

  名声と破滅

 

ルソーと親しくしていた友人の一人、ディドロ(哲学者)がいる。彼のススメによって、ルソーはある論文をアカデミーへ応募した。見事入選する、がっ!

そしてこの瞬間から、わたしは破滅してしまったのである。これ以後のわたしの生涯とさまざまの不幸は、すべてこの錯乱の瞬間の必然的な結果なのだ。

大切な友人であったが、彼との仲はのちに不和になる。

 

ディドロとは特に親密で、ルソーにとって尊敬と信頼における人物であったため、彼については裏切られただのさんざん書いている。一方で、ディドロはルソーのことをどのように考えていただろう。嫌ってはいない気もする‥‥‥。

 

その後も、多くの人との出会があり、親しくなっては不和になる。裏切られ、陰謀や策略にはめられたとのことで、相手は「敵」となる。

 

一方で著作は話題となり、名声を得ていく。その流れにしたがって、社交界でも話題になり、さらに多くの人たちとの交際が始まる。そんな中である女性(ドゥドト夫人)に恋もする‥‥‥。

 

 

  懐かしのヴァランス夫人

 

親しくしていた友人(ゴフクール)が、ジュネーブへ行くとのことでルソーを誘った(ちなみに、ルソーはジュネーブ人)。これがきっかけで、故郷へ帰ることとなったルソー。

ところで、この友人も結局は下劣な男だったらしい。テレーズを誘惑したとか…。

 

なお、このときにジュネーブで「祖先の宗教」へ改宗する。つまり、以前、ヴァランス夫人の影響でプロテスタントからカトリックへ改宗したが、再びプロテスタントに戻ったということ。詳しくはこちら→「改宗」を御覧ください…!

また、有名な著『人間不平等起源論』はジュネーブ到着前に書きあがったとのこと。

 

 

ジュネーブは懐かしのママン(ヴァランス夫人)の家がある地。以前はルソーと共に住んでいた家でもある。

私はママンに再会した‥‥‥ああ、何というありさま! 何という落ちぶれよう! 彼女の昔の美質が、どれだけ残っているのか。これがボンヴェール師が昇華してくれた、かつての輝かしいヴァランス夫人だろうか。わたしの心はどんなに痛んだことだろう!

ヴァランス夫人は貧困の中で生活していたのだった。

このルソーの言い方は、個人的になんだか気にはなる。。。

 

しかし、そんな中でも彼女のやさしさが見えた…泣くうさぎ

彼女に残っている宝石類といえば、小さな指輪だけしかなかった。それを指から抜きとると、テレーズの指にはめたのだ。

 このとき、夫人はテレーズに初めてあったはず。


ルソーは、ヴァランス夫人の身の上を嘆いたが、テレーズへの愛着があったため夫人に何をしてあげることもなく(ちょっとお金を渡したが)、去った。これに対しては、「生涯に感じた後悔のうち、もっとも強く、もっとも消えにくい」とのこと。

 

なお、12巻(1764年)に、夫人の死について書かれている。

女性のうち、母のうちで最善のひとの死であった。彼女は、すでに齢をかさね、その上病弱と貧窮に苦しんで、この涙の谷間を去り、この世でなした善のなつかしい思い出がその永遠の報いである。

しかし、この部分の注釈を読むと、ルソーはまちがえているようで、夫人が死んだのは1764年でなく、1762年だと冷静に突っ込まれていた。。

 

 

※※

 

 

今回で終えようと思ったけれど、ルソーの人生がモリモリで、書いておきたいことが色々出てきてしまい…すべて書ききれませんでした~💧

ということで、うまくまとめられるか分かりませんが、、、次回で終わりにします~!

 

お読みいただきありがとうございました🙇

 

 

 

 

 

 

 

 

今、仙台にいます…!!

 

 
 

 

関東は台風がきていたもよう台風

こちらは、ときおり雨がぱらついたり、

晴れたり曇ったり☔🌤️

 

 
 
 

 

仙台から15分くらいの多賀城という所にある、

すごい図書館へ行ってみました~📚️

 

 
 

1F~3Fまで本がびっしりびっくり

 

本屋さんやカフェやレストランなどか

併設されてて、一日中いられそう。

 

ここに何泊かしたい~笑

 

 
金魚や神秘風景の写真集を見ました📖
 
 

 

で、さらに15分ほど電車に乗って、

松島にも行きました。

瑞巌寺や円通院よかった。

 

初めは雨だったけど、

その後は晴れたり曇ったり。

 

 
 
雨の円通院。
地面が濡れてるのもまたよき。
すぐに陽がさしてきた。
 

 

 

お天気雨🌞☔からの~、
晴れ🌞!
 

 

 

 
気温はそんなに高くはないけれど、
湿度がすごくてムンムンしてました💦
 
 
真夏の薔薇~ハート
雨露がのった薔薇が綺麗だった赤薔薇ピンク薔薇
 
 
円通院は「バラ寺」としても
しられているそうです🌹
 
 
蓮も。
 

 

写真たくさん撮ってたら
たくさん蚊に刺されてた…🦟

 

 
 
鬼灯。ホオヅキ。
雨上がりの円通院、よかったな~にっこり
 
 
松島の島々も綺麗だった~。
まさにこんな👇️感じでした。
 
    

島々や千々に砕けて夏の海

芭蕉

 

千々に砕けた島にひとつひとつ

名前がついていました。

 

船に乗りました…!

 
松島といえば牡蛎🦪ということで、
大きすぎる牡蛎せんべいを食べてみました~
そして、仙台といえば冷し中華スイカ
あ、牛タンも。
あ、ずんだも…
 
 
 
残暑厳しい日々ですが
お気をつけてお過ごしくださいカキ氷