masaeのブログ癌と今日も生きてる

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母が最後に書いた記事で【別荘から】の内容の通り、

年明けより緩和ケア病棟へ入院しておりました。

 

このブログを始めて、

たくさんの人に出会えて

私たち家族では救うことのできなかった

心の面でのサポートをしてもらえたこと

本当に楽しそうに嬉しそうに

会うたびに話してくれました。

 

そんな皆様へ

 

このブログで出会えたみんなのおかげで

最後は笑って過ごすことが出来ました。

病気が見つかってからは治療に耐えられず

死にたいと思ったこともあります。

それも乗り越えて楽しく笑って過ごしてこれたのは

ブロともさんのおかげです。

ありがとうございました!

 

せん妄が始まる前に

家族や友達など、ありがとうを絶対に伝えたい人に対しての

メッセージを預かっていました。

 

これより先は、

母が入院してから最後の日を迎えるまでの記録です。

 

 

 

 

 

クリスマスより少し前に

余命宣告を受けたため、

緩和ケア病棟が空き次第入院することになっていました。

 

余命3カ月

 

私たち家族はどうすることもできない

この悲しみに耐えられそうになかったのですが、

母が「私はこの人生生きてきて本当に楽しかった。

最後は笑って過ごしていたいからみんな笑顔でいて(*^^)v」

その言葉通りに残りの時間を過ごそうと決めました。

 

 

そしてすぐに病棟に空きが出たと連絡が。

しかし最後になるかもしれないお正月は

絶対に家で過ごしたいと言っていたので、

病院にわがままを言い

年明けすぐに入れてもらえるようにしました。

 

緩和ケア病棟は、病院なのに本当に別荘のような環境で、

くそジジイの事でイライラすることもなく

家事をしなくてもなんでも出てくる

体も心も休める場所であると言っていました。

担当医に

「絶対に退院したくないから元気になっても家には帰りたくない!」

と訴えていたくらいです。

 

薬のおかげで、入院前は痛みでどうにもできないほどだったのですが

痛みをほとんど感じることもなく、

食事もきちんとできていました。

 

 

入院して半月くらいがたった時、

担当医からあと1週間の命かもしれないと突然の告白がありました。

 

なんだか会話もうまくキャッチボールが出来なくなっていて

突然変なことを言い出したり、

幻聴・幻覚が出てきていたりしたので、

検査をしてもらいました。

 

結果はがんの進行によるせん妄というものでした。

日に日に焦点もあわなくなり、

食欲もなくなり、体も起き上がるのがやっとというほどでした。

 

しかし、母の生きたいという気持ちが強いおかげで、

奇跡の復活が起こったのです。

 

焦点もあってきて、食欲も出てきて

会話も普通に出来るようになったのです。

 

担当医や看護師さんたちもみんな驚いていました。

「こんなことは今までに見たことがない。

医者として言っていい言葉ではないが、正直何が起きているのか分からない。

ご家族が毎日会いに来てくれていて

笑顔が絶えない毎日を送られているお陰としか…

僕だちだけではきっとこうはならなかった。」

先生の言葉を聞いて

毎日通ってくれていた弟には感謝しかありませんでした。

 

実は、そんな状況を3度繰り返しました。

どれだけ生命力の強い母なのかと本当に驚いたし、

もっともっとと願わずにはいられませんでした。

 

3月にはいってからは

ほとんど寝たきりの状況になり、

少しずつ食欲もなくなっていき、

また会話のキャッチボールもうまくできなくなってきたりしていました。

私の長女の入学式までは絶対に生きたい!

そう言っていたので、あと少しもう少しだけ頑張ってと

心の中で願っていました。

 

せん妄がひどくなっていき、

「家に帰りたい!」

と夜中に泣き叫ぶ日が続いていたそうです。

看護師さんも困り果てていて、

昼夜逆転した生活になってしまっていました。

昼間に私たちが訪れても寝ていることが多かったです。

家に帰りたいのが本心だったのか

今でも分かりません。

叶えてあげられなかったことではありますが、

そこに関してはこの選択で間違っていなかったと

きっと分かってもらえると思っています。

 

せん妄が今までは1週間くらいでよくなっていたものが

まったくいい方向に向かっているのが見られなくなり、

逆に会話すらできないような状況になっていきました。

だんだんとすべての筋力が低下していっていたようです。

 

3月半ばには寝たままで、こちらから話をすれば

「うん」と答えてくれるだけになってしまいました。

このころも昼夜逆転していました。

病院に行っても寝ているので、

身の回りのことをして、しばらく寝顔をみて帰る、

そんな日々の繰り返しでした。

 

母からしたら誰も来てくれない、

そう思ったらしく、夜中に看護師さんに愚痴っていたそうです。

 

なので、週末はギャオスたちを連れて

夜遅くに訪問して起きている時間に顔を見せたりもしました。

でも、ほとんど覚えていなかったようです。

 

最後の一週間は目を開けることもほとんどなく、

声をかけるとかすかに返事をしてくれる程度でした。

 

「週末を乗り切れたとしても来週は…」

と宣告されたのは3月24日土曜日でした。

 

余命三カ月と言われそろそろ時期だと言えば

それまでなのですが、

奇跡を何度も起こしてきた母なので、

もう少しもう少し、もしかしたらまた元気になってくれるかも

そう願いました。

 

月曜日を迎え、体の変化はなし。

 

火曜日も同じ。

 

水曜日、おしっこの量が減っている。

 

これはよくないサインだと以前担当医より聞いていましたので

とても不安に思いました。

 

木曜日、昨日よりおしっこの量が減っている。

しかもこの病棟にきて初めて弟がこれない日です。

 

母が誰かに連絡を取りたかったのか、

まだ動けていたときにスマホを持ち出し

ふるえる手で何度もパスコードを打ち込んでいたようです。

完全にロックがかかってしまい、ストアへ行き初期化してもらわないと

使えなくなっていました。

その担当を弟がしてくれていたのです。

雪の日も欠かさず毎日来ていたのに

この日だけ…。

 

金曜日の朝弟から

「病院から電話があった。血圧が下がってて良くない状況だからすぐに来てほしい。」

と連絡をもらい、ギャオス達をいそいで保育園へ送り出し病院へ向かいました。

 

病院へ着くと、くそジジイと弟がすでに到着していて、

看護師さんから「たくさん声をかけてあげてください」

と言われました。

なんで?いつも通りじゃダメなの?

そんな疑問がよぎりましたが、

母の顔を見たらすぐに分かりました。

 

いつもよりも穏やかな顔をしていて

息も弱くなっていたので

本当に病気になる前の母に戻ったようでした。

 

手を握っていると

母の目から涙が流れました。

驚きました。

表情は変わっていないのですが、

こちらの声が届いているようでした。

 

家族全員がそろってから30分ほどたったとき

その時がきました。

 

スーッと深呼吸をするように

静かに最後の呼吸をして

そのまま再び呼吸をすることなく

脈が静かに止まりました。

最後に手を握っていたので息を引き取る瞬間を

この手で感じることが出来てよかったです。

 

母は最後はかおりとまことの手を握って

「じゃあね」

そう言って天国へ行くんだと話していました。

 

私には「じゃあね」って言っていたように思いました。

それからだんだんと表情が変わっていき、

まるで笑っているような表情に変わったのです。

 

病院スタッフもみんな驚いていました。

完璧ではなかったですが、

最後に母の願いをたくさん叶えてあげられて本当に良かったと

顔をみて思うことが出来ました。

 

まだ、ひょっこり会いに来てくれるんじゃないか

病院に行けばそこに寝ているんではないか

そんな思いが無くなりませんが、

きちんと受け入れ私たち家族も前へ進んでいこうと思います。

 

長文読んでいただいた方

本当にありがとうございました。

ブログのおかげで母は最後まで

あきらめることなく頑張れました。

 

私たちもいつかは天国へ行く日が必ずきます。

その時にはまた母と再会して

たくさん話がしたいですね(^^)