予備試験・司法試験へのメンテ

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“Therefore do not worry about tomorrow, for tomorrow will worry about itself. Each day has enough trouble of its own.” -Matthew 6:34

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(4-17)予算行政説では、予算の拘束力について予算そのものに根拠を求めることはできず、租税等財政関係の諸法律にこれを求めることになる。

○「予算行政説によると、予算はあくまでも行政行為であって、議会に対する意思表示にすぎないのであるから、予算に拘束力を認めることはできない。」(肢本解説)
単なる行政行為である以上、法的拘束力は予算以外に求めるほかない。

佐藤P535~予算の法的性格 
 予算の法的性格については、明治憲法時代に訓令説(予算は天皇が行政庁に与える訓令であるとするもの)にはじまったが、やがて予算行政説ないし承認説(財政処理権能は本来的に行政と解し、予算は議会が政府の行政計画を承認する意思表示とするもの)へと展開した。
これによれば、予算それ自体は法的性格を有せず(予算は政府に対する拘束であり、議会と政府との間に効力を有するにすぎず、国家を拘束し、国家と国民の間に効力を有する法律と異なる)、予算の法的拘束力は財政関係法律によって生じるということになる。

 この説は日本国憲法下でも主張されたが(美濃部達吉)、既にみてきたように、国会をもって国政の中心に据え、財政処理権の源泉を国会におこうとする憲法の理念・構造にそぐわない。そして、政府の行為は同時に国家の行為であって、政府に対する拘束と国家に対する拘束とを区別すべき十分な理由があるか、直接一般国民を拘束するものではなく国家機関を対象とする規範であるとしても法規範であることを妨げないのではないか、等々の疑問がある。
 
 こうした批判・疑問の上に成立したのが、予算は法律ではないが法律と並ぶ法的性格をもった国法の一形式であるとする予算法形式説(予算法規範説)で、日本国憲法下で通説的地位を占めてきたものである。もっとも、法律と異なる独自の「法形式(法規範)」とされる「法」の性質は必ずしも明らかにされず、その拘束力の根拠は結局法律である財政法に求めているふしの説もある。この点、予算は法律であるとする予算法律説はすっきりしており、上述のように日本国憲法上そのように解する余地もあり(小嶋、吉田、杉原)、また、諸外国でも予算を法律として扱っているところも少なくない(例えば、アメリカ合衆国憲法1条9節7項は「法律で定める歳出予算」というように規定している)。