写真、全部じゃないけど
軍艦島がらみはこれでおしまい。












実際に島の中でみて回れる範囲は限られてる。

次の船が接近してきたので足早に戻りますアセアセ
仕方がねーから、自己チュー猿も乗船猿






ここからは海上から軍艦島をゆっくりと観て。


これが所謂『軍艦島』として出る角度かな?




居住用の建物は基本、渡り廊下みたいな物でそれぞれの棟が繋がってるんですって。

島では居住区が1番風の強い西側にあって
船着き場、炭鉱入口、事務所は風の当たりにくい東側にあると説明され、石炭の為の島なんだと力説してました。





学校があったり病院があったり病人を隔離する建物があったり神社もあった。

そんな説明を受けながら島を離れました。



元は近くのなんとか島が最初に炭鉱として明治の時代から使われていたらしく、その後にできたのが、この軍艦島なんだそうです。
(時系列が間違ってたらごめんなさい)


時代が石炭から石油へ大きく動き始めた戦後、日本の中でこの軍艦島は最後まで炭鉱として活躍したそうです。

島内は電化製品の普及率が本土に比べてとても高かったようです。いい生活してたんですね。


1941年(昭和16年)大東亜戦争(太平洋戦争)が開戦されたころ世界3大海軍としてイギリス、アメリカに次いで世界第3位のと言われていた日本海軍。
一般的には『零戦』と呼ばれる戦闘機が日本の優れた技術力として有名ですが実際には船。所謂、造船技術は相当に高いレベルだったのも事実。有名な航空母艦赤城、加賀、信濃。戦艦大和と、この長崎で誕生した世界最高峰の戦艦武蔵など。結局その性能を存分に発揮する前に沈んでしまいましたが…。
もし、日本に油田があれば(小さな油田はありましたが)歴史は日本は全く違う方向え進んでいたんでしょね。

零戦にしてもガソリン、航空母艦、戦艦にしても重油と燃料が石油原料に変わってきていたのに日本にはその石油が無かった。
『石油で負けた』と各所によく書かれてます。



今回は自分達の知り得ない時代の流れを一部みる事ができたような気がします。


2015年に世界遺産にもなったし観光としてオススメのスポットでした。



では最後に題名にもなっていた『ああ♪ぁーぁ♪』
https://youtu.be/0EwDqz3r9j0
もう、こうなると
勢いと惰性の交差で更新酔っ払い

写真全部アップしますグラサン
































続く…






天候にも恵まれましたニコニコ



そして
上陸クラッカー






上陸するとちょっとした広場になっていて
いかにも地元って感じのおっちゃんが
得意気に説明してくれる。


















あれっ?
哺乳動物はここにいないはずなのに
猿がいた猿




しかも人間から奪ったスマホ使ってるにひひ










丘の上にあるのが貯水タンク

途中からは海底に水道管を通したことで使われなくなったそうですが。

それまで水は船で運んで貯めていたので当然、量にも限りがあって貴重で相当大変だったと。
炭鉱から出てきた作業員は服のまま大きな浴槽に入り汚れを落として、順に浴槽をかえて服を脱いで汚れを落としていた。
と、地元のおっちゃんが熱く語ってました。

へぇー





こっちの丘の上に建ってるのが幹部社員の社宅だそうです。他の一般社宅より広くて、立地条件もいいらしい。










もういいかと思ったけど…続く と思う