この一週間の朝は、けっこう涼しくなってきている。

とはいえ、40~50分程度の散歩でも家にたどり着くと結構汗ばんでおり、まだまだ朝のシャワーは欠かせなかった。

が、今朝は久しぶりの雨

散歩に出るのはあきらめて、ゴミの収集車が来る時間を見計らってのゴミ出し。

玄関を開けた瞬間、出た言葉は“寒いッ!の一言。

スマホを開いてみると今朝の気温は19℃

どうりで、半袖姿だと寒いわけだ。

 

やっと咲き始めた白い彼岸花(曼珠沙華)黄色いおしろい花

 

さて、何が原因という特別な理由はないのだがこの数日、いっこうにブログを更新しようという気になれない。

タイミングを逃してしまうであろうことも頭では理解しているのだが、約束をしていた死刑廃止論を語る気にもなれない。

なんだ、お前の死刑廃止に対する想い入れはその程度の安直なものなのかという批判に対しては、返す言葉がない。

ただ、ただ、頭をたれるのみ。

 

こちらは黄色い彼岸花(曼殊沙華)

 

とはいえ、申し訳程度に要点だけも列記しておく。

〇 死刑を下す判断基準は時代によっても、国によっても異

  なっている。

  ここまでなら懲役刑、ここから先は死刑という絶対的な

  基準などというものがあるわけじゃない。

  現在において、OECD加盟38ヵ国の中で死刑を制度

  として持っている国は米国韓国日本のみ。

〇 もし刑を執行した後に冤罪だったことが明らかになれ

  ば、取り返しがつかない。

  死刑の宣告者、実行者自らが殺人を犯したことにならな

  いのだろうか。

〇 被害者家族感情という言葉が使われることがある。

  だが、本当にすべての被害者家族の総てが死刑の判決を

  望んでいるのだろうか。  

  死刑を宣言する責任の重さを被害者家族に転嫁している

  だけなのじゃないか。

〇 罪を犯した者には社会に適合できなかった弱さがあるの

  は間違い無いのだろう。

  ならば、そのような犯罪者を生みだしてしまった社会

  (ぼくたち)の側には何の罪もないと言えるのだろう

  か。

 

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買い物に出かけていた二人(長女と次女)が、小倉駅前で偶然に出会った“山本太郎とおしゃべり会”

その記念の写真を撮らせてもらったという。

 

 

そう、ぼくは今も「山本太郎れいわ新選組」をチョットだけ積極的に応援している。

そのこと知っている娘がラインで送ってきてくれた写真。

もっとも、娘たちがどこの政党を支持しているのか、ぼくは知らない。

 

静岡地裁は9月26日、殺人罪で起訴されている袴田巖さんに対して無罪の判決を下した。

その無罪判決を受けた個人の名を事件名として使うのは適切ではないのかもしれない。

が、袴田巌さん1968年9月の一審の死刑判決から釈放された2014年3月までの46年間にもわたって死刑囚として収監されている。

そうした事実を考えると、その一連の出来事こそは袴田事件と名付けるしかないように思える。

 

 

一審判決からこの度の無罪判決までは56年間

ぼく自身はこの事件の詳細についてはマスコミで報じられている以上のことを知る由もない。

また有罪率99.9%と言われる検察の取り調べに対しても語り得る知識も言葉ももっていない。

が、改めて彼が死刑の判決を受けた1968年から今日までの56年間をわが身に照らして考えてみた。

 

袴田さん死刑の一審判決を受けたのは1968年の春

その年にぼくは親元を離れて北九州の大学に入学している。

その大学ではベトナム反戦運動反公害運動などにかかわりながら7年かかって卒業。

1975年に就職し、1993年にはその会社を退職し、富士市の会社に単身赴任で再就職。

その会社をも2006年に再び退職し、一年間を無職として過ごしたのちに、藤枝市の会社と業務提携という形でお手伝いをしたがそこも2011年に契約を解除して帰ってきている。

その後は仕事にもつかず、好き勝手なことをさせてもらって今日に至っている。

これでやっと1968年から数えてのぼくの56年間

この間に結婚をし、二人のと、二人のも授かっている。

 

 

袴田さんはぼくにとってのこれらの年月を来る日も来る日も“死”の恐怖と向かいあいながら過ごして来られている。

それがどれほど残酷なのものだったか。

そしてまたお姉さんは、世間の眼と闘いながら弟を励まし、その無罪を信じて戦ってこられたという。

その心情たるや、ぼくなどが想像しうるレベルをはるかに超えている。

ただただ、検察が控訴をしないことを願うのみ。

 

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もともと、ぼくは死刑廃止論者

今回の報に接してそのことを記そうと考えていたが、その想いは次回に譲ろうと思う。

その理由は、ぼくのブログとしては長くなりすぎるから。

 

今日のぼくのブログ記事は独断と偏見に満ちている。

とはいえ、いまのところその考えを改める考えはまったくない。

では、何に対する独断と偏見なのか?

それは松下政経塾出身の政治家を、ぼくはまったく信用していないということ。

では、もう少しその独断と偏見の話を続けてみよう。

 

 

松下政経塾に関してはこちらをどうぞ。

 

第一期卒塾生・野田佳彦氏(立憲)

 

Wikipediaによると、その研修カリキュラムは。

政治学・経済学・財政学などの専門的なものから、茶道・書道・座禅・伊勢神宮参拝など日本の伝統に関する教育自衛隊体験入隊・武道・毎朝のジョギングなど体育会系なものまで幅広く用意されている。

のだそうだ。

これを中道右派の育成カリキュラムと呼んで良いのかどうかは、ぼくには分からない。

いや、いや、そもそも中道右派という言葉そのものが何を意味しているのかぼくにはよくわからないのだが。

 

第5期卒塾生・高市早苗氏(自民)

 

これまでに卒塾生の中から53名の国会議員を出しており、その第一期生には野田勝彦氏(立憲)が、第五期生には高市早苗氏(自由)がいる。

片方は立憲民主の新代表になり、もう片方は(現段階では)自民党の総裁選に立候補をしている。

ほかにも、維新国民そしてN国等の政治家もおられるようだ。

もちろん無所属の方も。

 

これは2020年の資料なので、必ずしも現在の所属のものではない。


 

これらの政治家の多くが属しているそれぞれの政党は、

・ 原発推進

・ 消費税増税

・ 日米地位協定の存続と国内における米軍基地の容認

・ 憲法改正

などを主張し、そのなかには靖国神社への公式参拝を公約に掲げている政治家もいる。

そして、自らを中道右派という耳障りのよい言葉で飾っているのではないか。

 

久々に“政治”というテーマに記事を書いた。

 

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(今日の別冊付録)

報道特集・沖縄と少女暴行の動画。

9月29日(日)12:00終了

 

 

 

先週の第三土曜日の午前中は“子どもの寺子屋”、そして午後は“ふれあいキッチン中間食堂”があった日。

寺子屋の方はこれまで来ていた中学生は既に卒業し、来ているのは小学生(6~7名)のみになっている。

かろうじて宿題には手を付けているが、それ以外はほとんどゲーム機などで遊んでいるだけ。

まァ、それでも子どもたちの居場所作りぐらいの役には立っているだろうとの想いで続けている。

 

写真には写っていないが、この日のメインメニューはハヤシライス。

この日に用意した食事は60食。

 

そして、フードバンク北九州ライフアゲインさんからの差し入れのお菓子

 

翌日の日曜日の朝は久々の

そのため先月末から再開している散歩に出かけなかったので、その歩数はわずかに177歩

もっとも、室内ではスマホを持ち歩くことなどないのでその分の歩数はカウントされていない。

午後は博多に住んでいる次女が帰ってきてわが家の二階の部屋の整理整頓と不要物の選別

もともと二人の娘が使っていた部屋だが、二人ともが家を出たあとはまるで物置小屋

かろうじて今はその一画をぼくが使っているのみ。

老夫婦二人の生活では食事を摂るスペースと寝室があれば、それで十分ことたりる。

 

カミさんの実家の近くにわが家の墓地がある。

花は買ってこなかったが、オヤジとオフクロにお彼岸の挨拶。

 

で、昨日の月曜日は朝早くに家を出てカミさんの実家へ。

前日の整理整頓で出た大型ごみの収集日がカミさんの実家ではその日に当たっていたため。

6時過ぎに家を出て、片道1時間50~50分のドライブ。

なんとか収集時間に間に合わせることができ、その後はお彼岸のお墓参り

帰って来るとお蕎麦を食べに行かないかとカミさんと次女が誘う。

いつものことながら、ぼくに断わる理由はない。

ところが、出かけた先の最初の一件目は満席

二件目は電話を入れたが応答がなく、お休みだろうと断念。

すこし離れたお蕎麦屋さんに行くことに。

 

お蕎麦はまだ出てこないが、店主推薦の日本酒3銘柄の飲み比べ。

お刺身だけではなく、その後に出てきた鴨のロースも申し分なかった。

 

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(今日の別冊付録)

ぼくは幾つかのネット・ニュースに眼を通しているが、そのうちの一つにアルジャジーラ(日本語版)がある。

アルジャジーラとはカタールのドーハに拠点を置くテレビ局のこと。

 

 

そのアルジャジーラの事務所を、イスラエル国防軍(IDF)が22日に強制捜査をし、45日間の閉鎖命令を下したという。

 

 

ぼくが何を語ろうと、所詮は無力で無責任なものでしかないという自覚は持っている。

だが、世の中で今何が起こっているのかということに対して“絶対に眼をそらさないぞ”という最低限の想いだけは失いたくない。

 

今日のブログは10年前の昨日の過去記事の再掲。

といっても、元々のタイトルは「世界8ヶ国の大人と一緒に遊んだ」だった。

この記事を書いたときには英会話サークルを作っていた時の出会い(8ヶ国)を念頭に置いていた。

が、今読み返してみると、日本語教室のお手伝いの話(6カ国)も記していた。

さらには、日本語教室にはモンゴルから相撲留学に来ていた高校生も二人いたので、「大人」という言葉も削除した。

ということで、タイトルは「世界14ヶ国の人と一緒に遊んだ」に代えた。

今は英会話サークル日本語教室からも手を引いており、もっぱら小中学生の学習支援2件のみ。

過去記事の文章を少し化粧直しをしているのは今まで通り。

 

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世界8ヶ国の大人と一緒に遊んだ

2014年9月19日付

 

大人の英会話サークルを作っている。
もちろん少しぐらいは英語を話せるようになりたいとの思いもあるのだが、会社人間だったぼくがただのオッサンに戻るための修行の場でもある。

さらにはボケ防止も目的。

メンバーのほとんどは60歳代
昨日、その英会話サークルJICA九州に来ている外国からの研修生とを市の中央公民館にお招きして交流会を実施した。

年に一回、このような交流会を持っている。

今回で3度目。

           まずは輪になって自己紹介から。

 

福岡・中間市に住むぼくたちが日常的に英語と接する機会などは、ほぼ皆無。

(2024年の近ごろでは、路上やコンビニなどで外国から来ている人を見かけることが多くなったが)
だから、旅先などで英語圏からの旅行者とおぼしき人を見つけては、無謀にもつい話しかけてみようなどという気になってしまう。

まあ、その延長上の発想だと、気楽に取り組んでいいる。
もちろん、英語圏の人ばかりとは限らないのだが。
白人か黒人を見ると英語を話すのだろうという先入観が、ぼくたちにはある。
恐らくは、アメリカの影響?

            そして折り紙に挑戦。
    ぼくが昨日、家でり紙のお勉強をしていたのはこのため。


来られた方々の国は、アフガニスタンドミニカ共和国エジプトイラクパキスタンパラグアイフィリピンスーダン
それぞれの国からの合計8名
その8名プラス、付き添いのJICA職員4名
全員が医療関係の研修員で、高等教育を受けておられる。
とうぜん英語は話せるはず。
が、国名を見てもわかるようにフィリピン以外では英語を公用語としている国は一つもない。
なかには、いくら聞き返しても(実際にはそんな失礼なことはしなかったが)、とてもじゃないが英語を話しているのだとは思えない人もいた。
もちろん、当方の英語力のつたなさは棚に上げての話。

          折り紙と「兜」を被って記念撮影。


人によっては一割程度しか聞き取れない人もいた。
にもかかわらず、交流会は驚くほど和気あいあいとした雰囲気の中で進行し、2時間ではもの足りなかった。
ぼくたちに国籍や肌の色思想や宗教、そんなものを話題に語り合えるほどの語学力はない。
経済的な損益上の駆け引きなども、もちろんない。
人と人とのもっとも原始的なレベルでの出会いの場。
そんな空間においては、人は皆「いい人」に成ち得るのだということを改めて実感。
何よりも、いい歳をした大人たちが、無邪気な子どものような笑顔をしていた。
もちろん、ぼく自身も率直に楽しませていただいた。


       各自、漢字で書いた自分の名前を手本にお習字。


いや~、毎回どうなることかと思って臨んでいる交流会。
まさに案ずるより産むが易しとはこのこと。
どうして、このような関係をそのまま国家間民族間宗教間に拡大できないのだろうかとの素朴な想い。
などと、考えるぼくの脳ミソはきっと単純で稚拙なのだろう。
“金が敵の世の中”という諺(ことわざ)は、ワールドワイドに当てはまるということなのだろうか。


            お習字の成果を発表。

  向かって右のオジサンはぼくたちの仲間で80歳を超えている。

 

(ココから先は日本語教室の話です)
とまれ、その夜は日本語教室

日本語教室はマンツーマンでの対応で、ぼくのお相手はフランス人の男性。
その教室には、中国台湾モンゴルカナダベトナムシェラレオネの人たちも来ている。
彼ら彼女らは仕事や勉強のために日本にきており、お遊びの場ではないが、それでも今回の交流会に似た雰囲気はある。

モンゴルから来ている高校生は、相撲取りになることが目的で日本の高校に留学してきている。

シエラレオネから祖母が住む日本に帰ってきていた中学生は事情があって両親が住むシエラレオネに帰ることができなかった。
二日間で15ヶ国もの人とお話をするなんて、とてもじゃないがぼくたちの子どものころには想像だにできなかったこと。
やはり、地球は狭くなっている。

 

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つい最近、日本語教室で知り合いだった女性とお会いした。

モンゴルからの留学生の話をすると、覚えていて二人の内の一人は相撲部屋に入れたという。

が、しこ名番付などは知らないと。

ぼくも直接の担当ではなかったので顔までは思い出せない。

 

カミさんの実家(豊前市)に行った帰りに寄った畑の冷泉

一人100円で自由に好きなだけ冷泉の湧き水をいただける。

二人で行くと200円

ということで、ぼくは駐車場に泊めた車の中で待機