10月2日の夜中に母が亡くなりました。
昨年末に救急車で運ばれてから、入院と施設を行ったり来たりで、病院では辛い治療もありましたが、
母が延命を望んでいなかったのと、
できるだけ苦しむことなく、
穏やかに最後を迎えて欲しいと思い、
施設での看取りを選びました。
コロナで面会制限がありましたが、
制限を守らず、病院で決められた時間以上に長く面会したり、施設で決められた日数以上に面会に行ったりして、迷惑をかけていたと思います。
他の方もそうだったと思いますが、
いつまでコロナで面会が制限されるような日々が続くのかと、理不尽な思いを抱えていました。
病院や施設は、クラスターで大変だったのに🙏
9月28日、施設から、母が食べなくなったと連絡。
30日には、もう長くないと言うことでした。
コロナ禍で面会制限を徹底していた施設でしたが、
最後の最後はずっと一緒にいてもいいとの事だったので、ありがたかったです。
前日から施設に泊まりで、
翌明け方前に、母を看取ることができました。
夜遅くなると、
当直の2名の介護士さんだけになるので、
夜の施設は静まり返っていました。
広い静養室で母と2人きり、手を握って話しながら
ゆったりと過ごしました。
母は、ぼーっとしていましたが、意識はありましたし、目も開いていました。
耳は最後まで聞こえると言うので、
「ありがとう、今幸せだよー、ありがとうね」
と言いながら、、
母には、こうして欲しかったああして欲しかったと、
いろんな思いがありましたが、
それらが全部感謝の気持ちに変わっていくのを感じました。
亡くなる3時間ほど前に、
焦点を合わすことができなくなっていた
母の黒目に光が戻り、
ドアのあたりを凝視し、キョロキョロと見ているので
びっくりしましたが、
そっか、お迎えが来てるんだなと。。
母に「迎えに来てくれたねぇ。おばあちゃんかなぁ。。」と話したりしてましたが、
しばらくしたら、母はまた焦点の合わない虚な目になりました。
「お母さん、また会おうね」と、お別れを言いました🥲
顔は穏やかでしたが、
息がだんだん激しく荒くなり、そして、急に
変な呼吸音になったかと思うと、
一生懸命息を吸ってるのに、体に全然入っていないのがわかりました。
その時、母がとても苦しそうで、
手を握って「お母さん、お母さん」と叫ぶのが精一杯で、辛くて怖くて、
直視することができませんでした。😭
でも、これで逝ってしまうことがわかっていたし、
1人では逝かせたくなかったので、その場に留まりました。
20秒から30秒ほどで、
目と口が開いたまま息が止まっていました。
「あー死んじゃった‥死んじゃった‥」と
泣きながら介護士さんを呼びに行きました。
介護士さん達は、
お母さんの酸素濃度を測ったり脈を見たりしながら、
母の担当の介護士さんや看護師さんも
すぐに駆けつけてくれました。
そこから、少しミラクルなことがありました。
お母さんの酸素濃度がどんどん上がっていくのです。
98とかになりました。(笑
そして、脈も小さいながらはあると‥
ごくごく弱いけど、呼吸もしてるって。
いやいや、どう見ても完全に逝ってしまってるのはわかるのに、
名前を呼んで、一生懸命起こそうとしているのを見て、なんかおかしくなってしまって、
「お母さん、最後にミラクルすぎ‼️」と言ったら、みんなでちょっと笑ってしまいました。
お母さん、泣き笑いさせてくれてありがと🥹
介護士さんや看護婦さんが、
「よくがんばったねぇ」
と、体を拭いたり、保湿クリームを塗ったり、
とてもきれいにしてくださいました。
その間も、母を撫でたり優しく話しかけてくださって‥
「どんなお母様でした?」って話しかけてくださり。。
その光景が、あまりにも美しく、
悲しみと感動で胸がいっぱいになり、忘れられない
時間となりました。
母は、10ヵ月ほど、
病院や施設でお世話になりましたが、
私自身が、「神様すぎる!」と何度も叫ぶくらいに、
良い方ばかりにお世話になれて、本当にラッキーでした。
お母さんが小さくて目がクリクリして可愛いらしくて、
看護婦さんやリハビリの先生、介護士さん達に、
「可愛い😍癒されてます♡」
と言っていただき、
とても可愛がっていただいたようです☺️
私は、人が亡くなる過程と瞬間を、
初めて目の当たりにして
これまでの価値観みたいなものが、
大きく崩れたのを感じます。
今までもそうでしたが、ますます頑張れなくなったかも。。
ほわわーんと、今この瞬間を味わいつくす、
もうそれだけでいいような気もしてしまっています。。