わが息子がお世話になっている、『エルマー学童くらぶ』(ちとせ・さくらの2か所で運営)は全国的にも珍しい、保護者運営の民営学童保育所施設です。毎月の保育料は保険料なども含めると、公的なものよりは高くなりますが、決して余裕のある経営ではありません。貸家をお借りしての運営で、建物の老朽化もあり、業務改善命令も出ています。そのための費用の捻出は大きな課題となっています。私は、この学童に子どもを預けたいと思い、この地区に家を購入したほどです。

 この『エルマー学童くらぶ』の名称は、名作児童書「エルマーのぼうけん」の主人公「エルマー」からきています。「エルマーのぼうけん」は礼儀正しく誰にでも親切なエルマーが、知恵と勇気と優しさで、まっすぐに進んでいく物語です。こんな子どもたちに育ってほしいという願いが込められています。創設者の方は20年ほど前、共働きで子どもを預ける場所がほしいとの思いから、この学童保育所を作りました。
 学校で過ごす時間とは違う放課後の異年齢集団の日々で、「放課後の家族」のように自然な形で、互いの思いや考えを尊重し、小さい子を思いやり、働くとは『はた(傍)をらく(楽)にすること』と考え、子どもの自主性を重んじた活動を展開しています。

 放課後のプログラムは特にありません。勉強しようが昼寝をしようが外で遊ぼうが、過ごし方は自由です。決して放任ではなく、自分の心に素直に向き合い、自分の考えた行動をとらせているのです。私はこれが「放課後の時間の正しい姿」だと思っています。

 長期休みの期間には、朝、子どもたちによる会議が行われ、その日どんなふうに過ごすかを話し合います。お昼は、当番を決め、当番がメニューを考えて作ります。もちろんそこには指導員さんが見守り、助ける指導が入っています。子どもたちが自分たちでやった、できたと思えるような指導をしてくれています。指導員さんたちは、朝から夕方まで子どもたちを預かる長期休みが一番大変だと言います。職業柄、その気持ちはとてもよくわかります。

 ちなみに今日のわが子は、朝、出かけるときに「今日お昼当番やるね。」と言って出かけました。迎えに行くと、ズボンと靴が違うものに。今日は庭の穴を掘って、池を作り、その水を最後は全部抜く、という作業に加わってそれに没頭したようです。夢中で作業するうちに、ズボンも靴もドロドロになっていたそうです(笑)春休みの宿題は理科のプリント1枚しか進まなかったと。お昼当番は?と聞くと「今日は譲った」と。どうしてそうなったのか聞くと、朝の話し合いで、掃除とお昼当番とで、掃除をやりたくないという1年生が多かったから、自分が掃除をやるほうに回ったということでした。ですから「そうか、譲ったんだね、えらかったね。」服や靴がドロドロになったことも怒りません。「面白かったね。『池の水全部抜く』みたいだね。」宿題が進まなくても、春休みの最後までに、自分で責任をとればよいと思っています。「じゃぁ、いつやるかをまた考えないとね。」とだけ言いました。

 こんな風に、日々の中で周囲とのバランスを考えて行動したり、低学年の子に優しくしたり、お手伝いをしたり、みんなで宿題に取り組んだり、思いっきり外で暴れてみたり、一人っ子の彼が家の中では学べない、たくさんの生活経験をさせてもらっています。学童がわが子を育ててくれているといっても過言ではないくらいです。

 夫婦共働きの核家族が増え、学童保育需要が増す昨今、学童の数が不足しているため、政府は学童保育の条件を緩めようとしています。指導員さんには、異年齢集団を預かり、見守りつつも支える専門的な知識が要求されます。子ども同士のトラブルなども、上手におさめる対応力も必要です。その質を落として学童をただ増やせばいいという考え方は少し違うのではないかと思います。
 また、活動のプログラムがすべて決められている学童もあります。勉強の時間、遊びの時間、遊びは部屋の中だけなど細かくスケジュールやルールが管理されているところもあります。それは本当の放課後の子どもたちの姿でしょうか?言われたことをやっていればいい、そこから外れることは許さない、そんな形でいいのでしょうか?塾や習い事でも忙しい最近の子ども。それ以外の時間もそんなに管理されなければいけないのでしょうか。そんな中でどうやったら自主性が育つというのでしょうか。

 教育や保育に力を入れられる社会でないと、子どもたちは健全に育つことができません。子どもたちの未来のために、日本の未来のために、保育園や学童保育所の質を落とすことなく支援する世の中にしてほしいです。