脱力日記 -4ページ目

脱力日記

出口の見えない毎日に、

仕事に疲れたあなたにヒザカックン。



大学時代、バイト先に「パリ子」という友達がいた。

かなり仲良しだったはずなのに、どうしても本名が思い出せない。私の脳裏に浮かぶのは「パリ子」というトンチキなあだ名だけだ。
それはたぶん、シフト表にもバイトの連絡帖にも私的な手紙の文末にも、彼女がすべからく「パリ子」と署名していたからだと思う。
でも、このあだ名がつけられたエピソードだけはよく覚えている。
彼女はパリが大好きで(好きな理由は不明)、

「将来、女の双子が生まれたら、名前はパリとミラノにする」

とあらゆる場所で宣言していたら、なぜか「パリ子」と呼ばれるようになったのだという。
彼女はダンサーを目指していた。ダンスのレッスンに通う傍ら、私の勤める雑貨店で彼女もバイトをしていたのである。
根っからのラテン気質で、歌と踊りと酒が大好き。勤務中もいつもハイテンションであった。鼻歌を歌い、軽やかにステップを踏みながら商品を陳列するパリ子。そしてノリノリではたきをかけて、並べた商品をなぎ倒すパリ子。その動作は、まるでミュージカルを見ているようであった。

ある日、彼女に恋人ができた。話にまとまりがないパリ子の話を要約すると、某有名私立大学に通うブラジル人男性(20歳)、ということらしい。
以来、パリ子はバイトの休憩時間をポルトガル語の勉強に費やすようになった。私たちへのあいさつもお客さんへの「ありがとうございました」もぜんぶポルトガル語でゴリ押しするパリ子。彼女が何かするときの動機はいつもシンプルだ。彼女のそういう性格が私は大好きであった。

しばらくして「リサさんにもぜひ紹介したい」とせがまれて、私はパリ子とその彼氏に会うことになった。
待ち合わせ場所に現れた彼氏は、スタンドカラーのシャツにチノパンかなんかを着た日本人。知的な感じのする好青年であった。
アロハにストローハットの陽気なブラジル人をイメージしていた私は、肩透かしをくらう格好となった。
彼によると、10歳から18歳まで父親の仕事の都合でブラジルはサンパウロで暮らしていたという。私はパリ子の日本語の能力に疑問を抱かずにはいられなかった。

パリ子はいつも必要以上に明るく振る舞っていた。私が落ち込んでいるときも、持ち前の陽気さで励ましてくれた。
あるときなどは、「リサさん、私、指が6本あるの」などという衝撃の告白をカジュアルにやってのけたこともある。
子供の頃に切除手術を受けたものの爪だけはなぜか生えてくるのだ、と言ってヤスリでもくもくと「第6の爪」を削るパリ子に、私はどうコメントしていいかわからなかった。

そんな彼女だが、かなり複雑な家庭の事情を抱えていた。
踊っているときはいやなことぜんぶ忘れられるの、といつになく弱々しく笑うパリ子の横顔を、私は一生忘れまいと思った。なぜかはわからないけれど、そう思った。

その後、パリ子は浦安のねずみランドに就職が決まり、バイトを辞めることになった。
私は彼女へのはなむけに、自分で録音したピアノの伴奏に乗せて1曲披露することにした。
彼女と最後のシフトを組んだ夜。閉店後の店内で私は精いっぱい歌った。演目は日本歌曲の「落葉松」。なぜこんなしんみりした歌をチョイスしたのか、自分でもよくわからない。たぶん目前にせまっていた歌のテストの課題曲だったからかもしれない。手抜きしてすまん、友よ。

感動して興奮したパリ子がどんどん音量を上げるので、閉店後の店内に轟音の「落葉松」が流れることとなった。まけじと声をはりあげる私。歌の終盤、力尽きて歌詞を間違え、挽回できぬまま歌は終了。

「本当にありがとう」と言葉少なく礼を述べたパリ子の微妙な顔つきも、私は一生忘れない。

その後、しばらく経ってパリ子からはがきが来た。
「パレードでミッキーといっしょに踊っています。幸せです。ぜひ一度遊びにきてね!」

今ではまったく連絡先もわからないパリ子。連絡先どころか、本名すら思い出せないパリ子。幸せでありますように。
大学時代、T沢さんという女性がいた。

T沢さんのことはぜんぜん友達ではなかったにもかかわらず、よく覚えている。
T沢さんといえば、シャネルである。全身シャネル。バッグもスーツもアクセサリーも、ことごとくシャネル。一説では、家のスリッパから飼ってる猫にいたるまでシャネル印、という噂まであった。

そんな彼女は、大学生でありながらクラブのママでもあった。
そんな2足のわらじなんてアリか? と当時の私はいささか疑問に思ったものだ。

ある日のこと。学校併設のしょぼい喫茶店で、私は同じクラスのYさんとランチを食べていた。
Yさんの派手な交遊録を聞いたりしていると、T沢さんがやってきた。YさんとT沢さんは仲良しらしい。「ここ座っていい?」とT沢さん。動揺を隠せない私。
間近で見るT沢さんは美人なのかそうでないのかよくわからない感じの人であったが、タダ者ではない雰囲気を十分すぎるほどに醸し出していた。毎朝、学校に来る前に美容院でセットしてくるというT沢さんは、大人っぽい、いい匂いがした。

しばらくするとYさんがどこかに行ってしまい、私はT沢さんと2人でテーブルに取り残された。全身シャネルでキメキメのT沢さんとジーパン&スニーカーの私には、無論、共通の話題など、ない。
おもむろにバッグから日経新聞を取り出し、読み始めるT沢さん。

「日経なんか読んでるんだ」。

いたたまれなくなり、無難な質問を浴びせてみる。

「こういう商売は若さだけじゃつとまんないからね」。
「ですよね……」となぜか敬語になる私。

その後、T沢さんは六本木の家賃80万円のマンションに住んでることや、彼氏が年上でちょっと怖い人であることや、早く自分のお金で自分の店を持ちたいという夢(≒野望)などをほのめかすと、金色に輝く瀟洒な腕時計をチラッと見やり、「そろそろ行かないと」とつぶやくのだった。
そしてバッグから今度は携帯電話を取り出した。当時(10年前)、まだ携帯は高価で珍しい存在だったにもかかわらず。そして何処かヘダイヤルすると、

「あ、すみませんけど、国立音大正門前までタクシー1台」。

と言い、ピッと電話を切る。そして振り向きざま、私に向って

「乗ってく?」

授業があるから、とかなんとか言って断ったけれど、本当はどこに連れて行かれるか怖くて仕方がなかったからである。

つい先日、私も30歳にしてようやく日経新聞を取り始めた。T沢さんに遅れること10年余り。その差は大きいのか小さいのか。

ピアノを専攻していたT沢さん。成績優秀者しか出られないコンサートに毎年出演するほど、彼女のピアノの腕は確かなものだったという。
今もピアノを続けているのだろうか。自分のお店は持つことができたのだろうか。
ともあれ、彼女が奏でるピアノの音色が悲しいものでありませんように。
目が覚めたら、牛乳が床にこぼれていた。

寝てる間に、けとばしてこぼしたらしい。
牛乳およそ500mlは、すっかりカーペットに吸収されて、
すでに半ば乾いている。

意識が覚醒するとともに、はっきりと漂うものすごい臭気。
くっさー。なんだ、きみは。
かつて飲み物だったとは思えない、明らかに体に有害っぽい臭い。
ちょっとした異臭騒ぎである。

洗剤を含ませた布で拭いてみたが、まったく効果なし。
ああ困った。いま宇宙人が私の部屋にやってきたら、

ふだんの地球はこんな臭いじゃないんですよ

と言い訳しないとな。
っていうか、どうすんだこの臭い。
マジくせえ。
負け組とか勝ち組とかいうだろう。

「女性」という枠で考えると、私はたぶん負け組だと思う。
30代で未婚・子ナシの女性を負け犬と呼ぶのが、ちょっと前に流行ったが、
私なんてまさにそれだ。
あの本を読んだとき、この著者は私のことを見て書いたんじゃないかと本気で思ったぐらいだ。

先日、如実にその事実を実感するできごとがあった。
仕事柄、深夜にコンビニに行くことが多いのだが、
私はまっさきに男性誌コーナーに直行するのが習慣になっている。
それで「フラッシュEX」(エキサイティング)とかを立ち読みしてるわけだ。
で、袋とじのグラビアを見ようとして、
隙間から指を入れてのぞいたりしていたのだが、
その視線の先に、とてもキレイな女の人がいた。

その人は、女性誌コーナーで背筋をしゃんと伸ばして「SPUR」を読んでいた。
で、本を閉じるときちんと元あった場所に戻し、
颯爽と私の横を通り過ぎていった。

彼女が通ったあとの、かぐわしい香水の残り香をかぎながら、
私の敗因はこれだ、と思った。

勝ち組になるために、とりあえず立ち読みする雑誌から変えていこうと思います。
いきなり「SPUR」はアレだから、「通販生活」とかからトライしてみよう。

ささやかな一歩。
今さらながら「ヨン様」の話題。

私のおばあちゃんはもうすぐ80歳なのだが、とても新しモノ好き=ミーハーである。
当然、昨今の「ヨン様フィーバー」についても周知である。
そんなばあちゃんから、先日問合せの電話があった。

「最近人気のヨン様いう人、ペ・ヨンジュンっていうんやろ? あれ、本名はなんていうのかい」
「ペ・ヨンジュンが本名だけど」
「いんや、“ぺ”って何かの略なんやろ?」

どうやら“ぺ”をイニシャルかなんかと勘違いしたらしく、
ばあちゃん的には“M・ライアン”とか“M・ジャクソン”と同様、

P・ヨンジュン

と認識していたのだ。
そのばあちゃん方式でいくと、「林家ペー」は「林家P」だ。林家プロデューサー?

そういえばばあちゃん、たしか“D”のことを「デー」、“T”のことは「テー」っていってたな。
基本的なことはまちがったままでも、きっと人は長生きできる。
うちのばあちゃんがいい例だ。

これからばあちゃんを呼ぶとき、
敬意をこめて「ばあ」は、「Bird」の発音で呼ぶこととしよう。
こんな記事を見つけた。

『スペースシップワン』、賞金獲得に向けた飛行1回目を実施。

いよいよ宇宙旅行が現実味を帯びてきた。
私としては、この手の記事にとても関心が高い。なぜなら、

月の土地をもっているから。

せっかく土地を持っていても、行かれないんじゃ意味がない。
先日は、月へ行くエレベーターの記事にも興奮したが、
これでまた憧れのムーンライフに一歩近づいた感がある。

月の土地を手に入れた経緯はまた別の機会に書くとして、
とりあえず1エーカー≒3000円程度だったことだけ明記しておく。
しかし、とまどいを覚えるほどの低価格。
大丈夫なんだろうか。
あとで権利が無効になったりしたら困るなあ。
浮気ってやつがあるだろう。

定義はよくわかんないが、おおむね
「特定の恋人がいるにもかかわらず、ほかの複数の異性(同性の場合もある)とも
恋愛関係または性的な関係を結ぶこと」
じゃないかと思われる。

する側にもされる側にもなってみて、わかったことがある。
なにが人をいちばん傷つけるっていえば、
自己保身からくるちょっとした嘘だ。
浮気したら、誰だって「やましいことしちゃいました、てへ!」とは言わないだろう。
そういう自己保身や誠意のなさがいちばん人を傷つける気がする。

よくも悪くも、人間は変化する生き物である。
そりゃあ魔が刺すこともあるだろうし、心変わりもするだろう。
そのとき下手に身を守ろうとするからおかしなことになる。
ようするに「情報の開示」と「誠意ある謝罪」と「再発防止への努力」が
大切なんだと思う。

なんか不祥事を起こした企業の弁明みたいになってしまった。不本意。
私はといえば、ウソが下手な上、謝罪も得意なほうではないので
最初から浮気なんてしない、というスタイルを貫いている。

ウソつくときまで相手に甘えちゃいかん。
責められて苦しむときだけケチになるのもいかん。

恋愛に関してはいろいろ言いたいことはあるが、
今日はこのへんで。
人間の大事なところには毛が生える、とかいうだろう。

頭とかまつげとかワキとか性器のまわりとか。
なんか大事なパーツの周辺にはたしかに毛が生えている。
進化の過程で「全身毛むくじゃら」から「ピンポイントに毛むくじゃら」
へと変化していった、とかいうじゃないか。

たしかに、子供の頃は性器周辺は無毛地帯だった。
使用頻度があがる年頃(思春期)になると
毛が生える、というのは理にかなっているわけだ。

それにならって考えると、年を取るごとに頭の毛が減っていくというのは
いったいどういうことだ。
年を取ると、頭はあんまり大事じゃなくなるということなのか。
いや待て。
年を追うごとにどんどん眉毛が伸びていく
村山富市・元首相なんかのケースはどう判断すればいいのか。

そういえば、高校で化学を教えてくれていたS先生(ご年配)には
ものすごく立派な耳毛が生えていた。
S先生の耳の穴の中は、白髪のまじった毛でふさふさだった。
あれはなんだったんだろう。
そんなS先生は、素肌に直で白衣を着て授業していた。
そして、喉のあたりから定期的に「……ッカハ!」という珍妙な音を発するのだ。
なんだか、そこはかとなくメカっぽい雰囲気。

ひょっとしてあの耳の中の毛は、リセットボタンだったのではないだろうか。
ひっぱると、機能が停止するのだ。
ウインドウズでいうところの「ctrl+alt+delete」。

そうなると、たしかに大事な部分ではある。毛が生えてしかるべきだ。

毛の話からはじまって、思わぬところへ着地。
っていうか、毛が生えるメカニズムの謎についてはなにひとつ解決しないまま終わる。
今日はもう寝ます。
知人に聞いた話。

知人・Kさんが勤める会社の社長さんにはズラ疑惑がある。
しかも、よせばいいのに“ズラじゃないですよ”的パフォーマンス
までわざわざしている、とのこと。その方は月に一度、

「そろそろ床屋にでも行くかな」

とか言い、翌日はきまって

ちょっとだけ短くなったズラ

を装着してくるという手の込みよう。
失った髪の毛への情熱ってやつは。私にはまだわからないが。
さて、その社長さん、先日ゴルフに行ったそうだが、
ズラがずれたままプレーしてしまったらしく、
翌日出社してきたときは、生え際に約5ミリ幅の白い線ができていた。

「いやあ、すっかりゴルフ焼けしちゃってさ」

なんてイノセントに微笑む社長と、曖昧に半笑いでごまかす社員たち。
リーダーたるもの、リアクションに困るボケはしちゃいかんだろう。
っていうか、これで容疑は固まった。もう“疑惑”なんて言葉はいらない。

ズラ疑惑社長 改め ズラ社長。
もちろん、昇格人事。