大学時代、バイト先に「パリ子」という友達がいた。
かなり仲良しだったはずなのに、どうしても本名が思い出せない。私の脳裏に浮かぶのは「パリ子」というトンチキなあだ名だけだ。
それはたぶん、シフト表にもバイトの連絡帖にも私的な手紙の文末にも、彼女がすべからく「パリ子」と署名していたからだと思う。
でも、このあだ名がつけられたエピソードだけはよく覚えている。
彼女はパリが大好きで(好きな理由は不明)、
「将来、女の双子が生まれたら、名前はパリとミラノにする」
とあらゆる場所で宣言していたら、なぜか「パリ子」と呼ばれるようになったのだという。
彼女はダンサーを目指していた。ダンスのレッスンに通う傍ら、私の勤める雑貨店で彼女もバイトをしていたのである。
根っからのラテン気質で、歌と踊りと酒が大好き。勤務中もいつもハイテンションであった。鼻歌を歌い、軽やかにステップを踏みながら商品を陳列するパリ子。そしてノリノリではたきをかけて、並べた商品をなぎ倒すパリ子。その動作は、まるでミュージカルを見ているようであった。
ある日、彼女に恋人ができた。話にまとまりがないパリ子の話を要約すると、某有名私立大学に通うブラジル人男性(20歳)、ということらしい。
以来、パリ子はバイトの休憩時間をポルトガル語の勉強に費やすようになった。私たちへのあいさつもお客さんへの「ありがとうございました」もぜんぶポルトガル語でゴリ押しするパリ子。彼女が何かするときの動機はいつもシンプルだ。彼女のそういう性格が私は大好きであった。
しばらくして「リサさんにもぜひ紹介したい」とせがまれて、私はパリ子とその彼氏に会うことになった。
待ち合わせ場所に現れた彼氏は、スタンドカラーのシャツにチノパンかなんかを着た日本人。知的な感じのする好青年であった。
アロハにストローハットの陽気なブラジル人をイメージしていた私は、肩透かしをくらう格好となった。
彼によると、10歳から18歳まで父親の仕事の都合でブラジルはサンパウロで暮らしていたという。私はパリ子の日本語の能力に疑問を抱かずにはいられなかった。
パリ子はいつも必要以上に明るく振る舞っていた。私が落ち込んでいるときも、持ち前の陽気さで励ましてくれた。
あるときなどは、「リサさん、私、指が6本あるの」などという衝撃の告白をカジュアルにやってのけたこともある。
子供の頃に切除手術を受けたものの爪だけはなぜか生えてくるのだ、と言ってヤスリでもくもくと「第6の爪」を削るパリ子に、私はどうコメントしていいかわからなかった。
そんな彼女だが、かなり複雑な家庭の事情を抱えていた。
踊っているときはいやなことぜんぶ忘れられるの、といつになく弱々しく笑うパリ子の横顔を、私は一生忘れまいと思った。なぜかはわからないけれど、そう思った。
その後、パリ子は浦安のねずみランドに就職が決まり、バイトを辞めることになった。
私は彼女へのはなむけに、自分で録音したピアノの伴奏に乗せて1曲披露することにした。
彼女と最後のシフトを組んだ夜。閉店後の店内で私は精いっぱい歌った。演目は日本歌曲の「落葉松」。なぜこんなしんみりした歌をチョイスしたのか、自分でもよくわからない。たぶん目前にせまっていた歌のテストの課題曲だったからかもしれない。手抜きしてすまん、友よ。
感動して興奮したパリ子がどんどん音量を上げるので、閉店後の店内に轟音の「落葉松」が流れることとなった。まけじと声をはりあげる私。歌の終盤、力尽きて歌詞を間違え、挽回できぬまま歌は終了。
「本当にありがとう」と言葉少なく礼を述べたパリ子の微妙な顔つきも、私は一生忘れない。
その後、しばらく経ってパリ子からはがきが来た。
「パレードでミッキーといっしょに踊っています。幸せです。ぜひ一度遊びにきてね!」
今ではまったく連絡先もわからないパリ子。連絡先どころか、本名すら思い出せないパリ子。幸せでありますように。