私は、両親からされたこと・植え付けられた価値観と、
その価値観の延長線上で必死に戦ってる自分に終止符を打つことを決めました。
最近、子育てでこどもに対する自分の振る舞いや
メディアなどで自分の半生を語る機会も増え、
そして全力で挑戦してるからこそ見えてくる自分の課題がたくさんあり、
課題の元をたどれば両親だったりすることから
ずっと両親にされたことを無意識・潜在的に考えるようになり、
「よくない行動」「きっといますべきではない・すべき必要がない行動」に
現れていた。
現れていたというより、その行動がやめられない状態というのが適切かもしれない。
例えば、その「よくない行動」の一つが、
毒親関連の本を読み漁ること。
もう、今は離れて生活してるし、
「親の価値観ではない自分の価値観で生きるという選択」が
できるはずなのに。
なんか毒親関連の本を読みまくってくる。
なんでだろう、なんでだろうってずっと思っていた。
少し限界をきたしてきたので、
土曜日に、催眠療法・イメージワークを受けてみた。
そして、日曜日に改めて咀嚼。
その大きな気付きは、
私は、両親が大好きだから、赦したかった。
両親が私にしたことを赦したかったけど、理解できなかった。
なんでそんなことしたんだろう?そんな言い方したんだろう?
なんで私が自分をいらない存在なんだ、好きじゃないんだって
幼少期に思うほどのトラウマ的な想いを与えたのだろう。
赦したい。大好きだから愛したい。でも、理解できない。
理解できないから、理解するために毒親の本を読もう。
そして、私が同じことを娘にしていないか。
自分ができることはやっている。けど、これで本当に大丈夫なのか。
それも心配。もっと客観的に現状の子育て考えるためにも
毒親、そしてされたこどものことを理解しよう。
そしたら、自分の抱えてるモヤモヤを少しは理解できるかもしれない。
そういう思いがあったのかもしれない。
だってさ、不安じゃない?
自分の娘には、自分がされて嫌だったことをしたくない。
一方で自分が無意識的にしてるのではないか。
同じ想いを、自分が気づかずさせてしまったらどうしよう。
何をしたらどう育つのか。こわい。
そんな思いもあったかもしれない。
じゃぁ、直接自分の両親に聞けばいいのでは、って思うかも知れない。
それこそ、闇の中だ。深みにはまっていく。
実は、これまでも何度も聞いた。
けど、「覚えてないわよ」と一蹴されたことも。
事実、覚えてないかもしれない。
でも、これまでの両親とのやりとりのなかで、
一部「私が悪かった」と思ってるのではと伝わる節もあった。
私は長女なので、アナタに随分苦しい思いをさせたかもしれないと、
言われた気もする。
でも、その言葉の真意もわからないし、
聞けば聞くほど、深みにハマって回答はない。
どちらかというと、自分の求めてる”解答”はないって感じかな。
今、私ができる唯一のこと。
復讐ではない。唯一の親の呪縛から逃れること。
それは、「自分の正しい、自分のありたい自分を毎秒毎秒”選択しつづけること”」
今は少し自己イメージが歪んできている。
そして、自分のイメージしている顕在的な自分を、
潜在的な自分が否定してるから、体調に現れたりしてきている。
自分の自己イメージを自分でしっかりつくる。
そして、その自分の有りたい自分でいつづけるために、
毎日毎秒選択し続ける。
そして、もちろんそうなれなくてもいい。それも私だから。
そんな自分も受け止める。
その、受け止めて自分を癒やしていく行動のすべてが輝いている。
こどもの子育てに関しては、
10歳〜12歳ごろで、親元から離してあげたい。
自分は意識してなくても、親の価値観を無意識的に汲み取らせて
しまう気がするから。
私も、留学して親元離れて自分の価値観というものを見つめ直した。
それをしてあげよう。
そして自分がその時に大事なことを一生やっていけばいいから。
こどもはしっかり親の愛を受け取ってくれる。
表面では、両親のことをないがしろにする態度がでるかもしれないが
両親のことが大好きなんだ。それは揺るがないんだ。
だから安心して、子育てしていいよ、わたし。
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先日受けた、催眠療法の中ではインナーチャイルドに会いに行って
ちっちゃいわたしを癒やした。
その際に約束した。ちいさいわたしと。
「自分の面白そう・知りたい、という興味関心に忠実に生きる。
そして面白い・なるほど、わかった!で満たしてあげる。
「今」それができないときには、私の大いなる自分と、ちいさいわたし、
そして今のわたし3者で、どうしていこうか作戦会議してきめてあげる」
奇しくも昨日は終戦記念日。
私とグレーな毒感強めの両親と、心の終戦記。
