宮田部長の送別会は昨日のできごと。なのに、もう何日も経っている気がした。

今日と明日は土日だから会社は休み。
助かった、と思ったけど、すぐにそれを打ち消す自分がいる。

たった2日で、この混乱した頭を整理するなんて──私にはそんな器用な真似はでき
ない。


昨夜のことをはっきり考えなければいけない。
そう思う自分もいて、しかしお互い酔ったうえでの行動なのだから、忘れてしまえ─
─そう思う自分もいる。


自宅に帰る電車に乗ると、急に現実世界に戻った様な気がしてきた。


通勤ラッシュ時の梅田駅は、降りた客で混雑していたが、今から電車に乗る客はまば
らだった。


座席に座ると、しばらくして電車が発車した。

ガタン──ゴトン──と規則正しい揺れが、眠気を誘発して。



瞼が自然に重たくなる。

薄れゆく意識の中で、ふともしかしたら、あれは夢だったのかも知れない──なんて
思った。







よほど疲れていたのか、自宅に帰り着いてすぐにベッドに横になった私は、そのまま
夕方まで寝てしまったらしい。



次に目が覚めたのは、携帯が鳴っていたからだった。

どこかで音がする──。


そう思って目を開けた。

今朝と違って、見慣れた私の部屋。


音はまだ鳴っている。

あっ、携帯の着信音。


そう気付いて携帯を探すが、見当たらない。


帰宅してから見た覚えがない──ということは、バッグの中だ。

起き上がってバッグを探す。
しつこいくらい、携帯は鳴り続けている。
メールじゃなくて電話が鳴るのは珍しい。


やっとバッグを探し当てると、中でディスプレイが光っていた。

画面に表示されていたのは見知らぬ番号。


出るかどうか躊躇していたら、先方は諦めた様だ。

しかし履歴を見て驚いた。
30分置きくらいに、すでに3回履歴が残っている。


思い当たることがなくて、間違い電話なのかと考えていたら、手の中で携帯が震え
た。
すぐに着信音が鳴って、先ほどの知らない番号がまた表示された。


「これ、出た方が良いかな。」

間違いなら間違いって言ってあげないと駄目だし。


独り言を呟きながら、通話ボタンを押した。


「はい。」


出た瞬間。


「良かった、焦ったよ。」

少し低くて甘い声。

聞いたことがある、いや、普通に話すより電話を通しての方が聞き慣れたこの声は─
─。


「あっ、ごめん。梶です。」


相手がホッとした様に名乗った。


そう、梶さん。
私が一夜を過ごした相手。
仕事中、内線など電話を通して話すことの方が、面と向かって話すことが多い。だか
ら分かったのだ。


昨夜のできごと、そして今朝の居心地の悪さを思い出した。

慌てて私は「梶さん!?…すみませんでしたっ」と謝った。


背徳感に潰されて勝手に帰ってしまった自分の行動を思い出す。
ホテル代は置いてきたと言え、納得して入ったのに一人で逃げる様に出てきたのは非
常識だったと後悔する。
「梶さん、あの─…」


すいません、と言うつもりだったのだけど。


「ごめんな。」


先に謝られた。
だけど、梶さんが謝る理由が分からない。


と思っていたら、「ちゃんと帰ったか心配になってな、山原に番号聞いてしまって
ん。」と梶さんが続けた。

一瞬、愛美ったら人の番号勝手に教えないでよ、と思ったけど会社の人だし、最後ま
で私と一緒にいた訳だから教えても仕方がないか。


「いえ、こちらこそ勝手に帰ったりしてすいませんっ!」


そこは謝っておかないといけない、そう思った。

電話の向こうで梶さんは笑った。


「かなりびっくりしたけど。とりあえず無事に帰ってるなら良かった。」

なぜ帰ったのか、何も問わない梶さんは大人だ、とそのとき思った。

どう接したら良いか戸惑って、かなり緊張していたのも笑う声を聞いて解された。


「そうそう、ホテル代。」

梶さんはまだ少し笑って言う。
その言葉にハッとした。

「あっ、もしかして足りなかったですか?」

1万円あれば足りるはずだけど──そう言えば金曜日の宿泊は割増だったはずだ。

私は慌てたのだけど、梶さんは電話の向こうで今度は大爆笑していた。


「あはははは─…悪い、笑ったあかんよな。でも──…ぷはははは、あかんわ。」

笑いの意味が分からなくて、私は携帯を持ったままキョトンとしていた。


しばらく笑った後、梶さんは「いや、ほんま梨──…鈴木さん、おもろいな。」と
言った。


鈴木さん、と言う前に“梨音”と言いかけたのを、私ははっきりと聞いた。


そして、突然“梨音、好きだよ”と梶さんに囁かれたのを思い出した。


抱かれたのは夢じゃない。だけど、その間に囁かれた愛の言葉は、その場限りのも
の。

しかし、甘い囁きを思い出して私は訳もなく切なくなる。


もしかして、私は梶さんのこと──?


「もしもし?」


急に黙った私を訝しんだ様な梶さんの声。


「あっ、すいません。」


声を返したけれど、上の空だった。


そして、私は尚も話しかけようとする梶さんに、「ちょっと、来客があって」と言っ
て電話を切ろうとした。

「そっか…」

梶さんの声が少し落胆した様に聞こえたけれど、気にも留めず私は電話を切った。


昨夜から続けて起きるできごとに、自分の感情がついていっていない。


整理しなきゃ、と私は熱いコーヒーを淹れることにした。


インスタントでないコーヒーの香りは、人を落ち着かせると思う。
PCを起動させると、音楽ソフトを立ち上げてお気に入りのクラシック曲を流す。


ソファーに腰掛けてコーヒーを飲むと、頭に昇った血がサァッと引いて冷静になる。



私は3年前から独り暮らしをしている。
実家も目と鼻の先にあるが、父が再婚し夫婦水入らずで過ごしたいだろう、そう思っ
て家を出た。

母は私が大学2年のとき、男を作って出て行った。

だからと言って、私は不倫を悪だと思わない。モラルには違反しているが、恋に落ち
たら人間は愚かになり、周りが見えなくなるのかも知れないと思うからだ。

しかし、母は家庭を振り回し、家庭を壊して、子供を捨ててまで男を選んだのに、し
ばらくして帰ってきた。
父は大学教授で厳格な人。一度自分達を棄てた女を家庭に迎え入れることは許さな
かった。

男に遊ばれた、愚かな女。
私に目に、母はそう映った。

私は20歳を過ぎていたから、堅苦しくて真面目な父に飽き飽きする母の気持ちも、分
からないではなかった。経済力はあるが、派手を嫌い、家と職場の往復。
遊びを知らないから、判を押した様に毎日決まった時間に帰宅する。
だから母も家事をさぼることができない、と思い詰めてしまった。

父は帰宅してご飯を食べると、すぐに書斎に引っ込んだ。

母にとっての不幸は、子供が私1人で、私が父に似たことにあったのだと思う。
もし子供が他にいれば、母は手をかけることができただろう。もし私が母に似ていれ
ば、お互い分かち合えることがあっただろう。

しかし、娘の私にとって、善き相談相手は常に父であり、母ではなかった。

父に似て孤独を愛し、人付き合いが苦手な私は、寂しがり屋の母には理解できなかっ
たに違いない。

服を買いに行ったのに、本を欲しがる。
ご飯を食べると、何か言われる前に部屋にこもり勉強を始める。
そんな私を、母は子供らしくないと言って化け物を見る様な目で見つめることさえ
あった。

私は母に愛されていなかったのかもしれない。

だが、その分父は私が欲する愛情をくれた。


だから、その父が再婚を決意したとき、私は嫌な意味でなく今度こそ幸せな生活を送
れる様にと願って、独り暮らしを提案した。


母の一件以来、女の愚かさには敏感だった。
友人が遊ばれた話を聞いたりして、口では相手の男を責めて“あなたは悪くないよ”
と言うけれど、内心は軽蔑しきっていた。


その軽蔑すべき女に、私もなってしまったのだろうか。


梶さんとのセックスは、今までにない世界を私に見せてくれた。
だけど、溺れたくない、ハマッてはいけない──溺れた末に墜ちた母の姿を思い出す
と、心にブレーキがかかる。


しかし、軽蔑しきっていた女に、密かに憧れていた。ハマッて溺れて、棄てられて。
それでも、しばらくすると新しい男を見つける、その逞しさと冒険心に。


だから、酒に酔った勢いでブレーキを壊したかった。


しかし、やってみると私はやはり父に似て、遊べない人間なのだと知る。

どうしようもない背徳感。
それは、母の姿を思い出したから──だった。


私は男に遊ばれて、棄てられる様な女になりたくない。

だけど、私が想像するに、梶さんは女を遊びで抱き、棄てる男だ。


そんな男に抱かれたいと望んだ自分には、やはり母の血が流れているのだ。


そう考えると、汚らわしくて仕方がなくなった。







“梶さんから連絡があって、梨音の番号知りたいってことだったので、教えました。
なんか梶さん心配してるみたいだったから梨音に聞かずに教えちゃったんだけど…ご
めんね!

梶さんと、何かあったの?
また話、聞かせてね。”


梶さんとの電話の後、コーヒーを飲みながら携帯を見ると、愛美からメールが入って
きていたことに気付いた。

時間を見ると、たぶん梶さんから電話がかかって来たすぐ後くらい。


愛美は、私と梶さんが何をしたのか、知っているんだろうか。
真っ直ぐ帰ったと言っても信用されないだろうか。


メールを返そうと思ったけど、なんて書いたら良いか文面が思い付かなかった。


はぁ──…。


深いため息が出た。

訳の分からないことは考えないにこしたことはない。

だけど、梶さんの気持ちが知りたくて、梶さんのことばかり考えてしまう。


一夜限りで割りきったはずなのに。

「──…嫌じゃない。」

そんなことを言ってみる自分が恥ずかしくて、私は上げた顔を再度臥せて呟いた。


「…っ、ごめん。」


梶さんは、私を優しく抱き寄せる。


だけど、謝られるのは嫌だ。
梶さんは悪いことをしていない。酔っ払った上の戯れ事でも、私は自分で望んだのだ
から。


「謝ることじゃないです」


私が言うと、梶さんは「違うよ。」と答えた。


「ちょっと、梨音の反応が可愛い過ぎて、調子乗ってしまった。意地悪やな、俺。」


恥ずかしいこと、言わせて。


そう囁いて、そのまま私にのし掛かる。


「えっ──…」


一瞬分からなかったけど、あぁ、と思う。


梶さんは自分のSっ気を出し過ぎた、と思ったんだ。

私はMだし、憧れの梶さんが相手。
意地悪された方が盛り上がるのだけど。


「シャツ──…脱がしてくれる?」


梶さんは、自分が着ているシャツのボタンを、片手で器用に外して、囁く。


「えっ…あっ─…」


はい──と頷いて、手を伸ばす。


ボタンが全て外されたシャツは、少しずらすだけでするりと落ちていく。

指先に、何も纏わない、滑らかな梶さんの肩が触れる。
逞しく、美しい裸体に思わずゾクリとする。


裸が綺麗なのは、女性だけじゃないんだな─…ぼんやりと考えた。


「もっと、触って。」


撫でる様に触れていると、梶さんは私の右手を取って、自身の厚い胸板にあてた。


「ほら──俺もドキドキしてる。」


確かに、手のひらには滑らかで厚い胸の感触の下からドクン、ドクンと少し早い鼓動
が感じられる。


「俺を、抱いて」


梶さんは、もう1度私の腕を掴むと、自分の背中の方に回る様に持っていき、それか
ら、顔を近づけて囁いた。


そして、おもむろに私の秘所に手を伸ばした。


「──…俺な、梨音──鈴木さんのこと、ずっと好きやってな。
─…だから抱きたい。

一回限り、の関係で終わらせたくないねん。

梨音の気持ち、考えてやれなくて申し訳ないけどな。

誤解はされたくないから。


今、こうして俺に抱かれてる梨音が愛しくてたまらない…」



突然の言葉に、思わず私の身体から力が抜ける。


すぐ真上にある梶さんの顔を、私はキョトンとした表情で見つめていたらしい。


梶さんは、少し照れた様に「そんな見つめられたら恥ずかしいやろ…」と笑った。


私に何も考える時間を与えようとしていないのか。

もしかしたら──いや、そんなはずはないと思うのだけど──なんだか、梶さんは私
から拒否の言葉が出ないか怯えている様に見えた。


少し慌てた様に彼はわざと私の身体に固く屹立した己を押し付けてくる。


「あんまり梨音が可愛いから…ほんまは止められへんねん…」


その圧倒的な質量に私は驚いた。
だけど、身体は中途半端な愛撫で燃え上がり、押し付けられた梶さんのモノを欲し
がっている。


疑問符だらけの複雑な心中とは正反対に、身体はまっすぐ快楽だけを求めている。


「───…好き、だよ。」

そう囁くと、そのままの姿勢で梶さんは私の足を大きく割り、モノの先を秘所にあて
がう。

先ほどの愛撫で溢れ出した愛液で、秘所はまだしっかり濡れそぼっている。

だけど、感じるその質量に私は恐怖した。

少ない経験の中でしか比較できないが、明らかにいままで受け入れたことがないと思
うほどのサイズだ。
秘所は入り口が狭い。
梶さんの大きなモノを一気に受け入れることなんて出来ない──…。


私は怯えているのに、梶さんはモノの先端を、私の秘所に擦り付け、愛液で濡らす。

頭では怖いと感じているのに、身体はそれさえも快感と捉えて、

「…あんっ…はぁ…」

と、かすかに喘ぎ声が漏れた。


そして、彼自身が私の中に侵入してきた──。


先から裂く様な侵入に、私はまるで処女の様に身体を強ばらせた。

そして、思わず梶さんにしがみつく。


「くっ──…狭いな…」


梶さんが少し眉間に皺を寄せて喘いだ。


一気に貫こうとせず、じわじわと中に入り込んでくる。

「そんな─…締め付けて…」

苦しそうな表情に、私はそそられる。


だが、たっぷり愛撫されて濡れそぼった場所は、思っていたよりすんなり梶さんを受
け入れた。



ズンッ──…。


最奥まで侵入した瞬間、私はたまらず、一際高く喘いだ。

その衝撃に、身体が弓なりになる。


「くっ…だから──…締め付けんなっつの…」


梶さんの、珍しく余裕のない表情。


「─…ヤバイな…」


見たことのない、その表情を、私は喘ぎながらも『愛しい』と感じた。


己を深く沈め、梶さんは私の腰を腕で掴むと、激しく腰を振る──。


気持ちが良くて、私は自分でも意識できないけれど、締め付けが余計きつくなったみ
たいで。

「はぁ…あんっ…梶さんの…おおき…んっ…あぁ…」


眉を寄せ、目を閉じて快楽に声をあげる。


「もっと──…もっと感じて…」


梶さんはそう呟いて、私の足を大きく広げさせると、さらに深く己を沈める。


「あっ、やぁ…はぁん…」

口から唾液がいやらしく垂れて、だけど拭うこともできず、私はただ喘ぐ。


「マジでっ──…ヤバイ…コントロール出来ないぐらい…」


焦った様に梶さんは、“気持ち良い”そう言って、私を抱き締める。


そんな彼の顔を見て、私は一層愛おしく感じる。


「はぁん……」


酒と、梶さんに与えられる激しい快楽のせいで、意識を失いそう。


朦朧とした頭に浮かぶのは、幸せと不安。


この快楽は、夢──だろうか?


明日の朝になれば、何もかも終わってしまう。


悲しいけれど、これは一夜限りの遊びに過ぎない──。


朝になれば、終わってしまう──…。



遠くで、梶さんの声が聞こえた。



「…梨音………もう離さない…」




──私は─…。





「あぁん………いっ……」



「…俺も………」





梶さんの精が、避妊具ごしに私のの子宮深くに放たれた瞬間──。



今までに感じたことがない、絶頂に達し───そのまま、意識を失った。









閉じた瞼の上に、眩い光を感じて、そっと目を開けた。


何か、とても良い夢を見ていた気がする。


ぼんやりと目に入る景色に、違和感を感じた。


「あれっ──…ここは─…」


声に出したつもりはなかったのだけど。


「姫のお目覚めやな。」


隣から誰かの声がして、何かが髪に触れた。


「えっ──…!?」


目を見開いたが、私の前には壁が広がっているだけ。
ハッとして、顔だけを背中の方に向けると─…。


「おはよ。」

梶さんがニッコリ笑っていて。

その顔を見た瞬間、今の状況を思い出した。


「──…オハヨウございます」

なんか気まずい。


「つっ─…」


勢い良く起き上がると、頭が痛んだ。
昨日の飲みすぎのせい、だ。


「大丈夫か?」


覗き込む梶さんの顔は、憎らしいくらい爽やかだ。


「あっ…はい。」


頷いてから、肌寒さに気付いた。


それから、ふっと下に目をやって───…。


「きゃあっ」


シーツを引っかぶった。


「あははは、朝から笑かしてくれるな。」


梶さんの大笑い。


私は何も着ていなかったのだ。


「そのままで良いのに。」

梶さんの言葉に、「まだ酔ってるんですか?」と冷たく返してやる。


だって、梶さんはホテル備え付けのバスローブをちゃんと着ているのだ。


はだけた胸元から覗く男らしい鎖骨と熱い胸が目に入って、思わず目をそらした。


夢の様な昨夜のできごとを思い出したから。



私はシーツを身体に巻き付けて立ち上がった。


そしてバスルームに向かう。



熱いシャワーを浴びると、頭がすっきりしてきた。


ふぅー──…。


深呼吸を何度か繰り返す。


梶さんと訳も分からず朝を迎えてしまった。

そこまでの経緯に疑問はたくさんあったけど、今となってはもうやることやったし─
…気にしても無駄だ、と本気で割り切ることにした。


お酒を含んだ大人の付き合い。


今まで、そういう付き合いをしたことがないから、本当のとこうまく割り切れるか自
信はない。

だけど、のめり込むには私も年を重ね過ぎている。
梶さんだって──。

本人には確認していないけれど、バツイチだと聞いている。子供がいるかも知れな
い。
女性の扱いには慣れていて、乏しい経験しかない私にとって昨夜与えられた快感は夢
の様なものだった。
恋愛対象としては危険な男、だとしても。


大人同士、あまり深く考えずにいよう。
少なくともバツイチなら、今結婚している訳じゃないから不倫にはならない。


なんだかスッキリして、気分が良くなってきた。


鼻歌を歌いながらドライヤーで髪の毛を乾かす。

それから、いったんバスローブを身に付ける。


バスルームを出ると、梶さんはまだベッドの上だった。


自分では置いた覚えがないのだが、ソファーにバッグが置いてあったので携帯を取り
出した。


「あれっ─…」


時間を見て首を傾げた。


午前8時前。
昨夜、何時に寝入ったかを覚えていないが、明け方近くだったはず。
そのわりに、やけに目が冴えているのはこんな状況だからだろうか。


そういえば、携帯にはまだ誰からも連絡がない。

一体、沙綾と愛美は何をしているのかしら?


「あ、連絡しといたよ。」

私が携帯を持ったままボケッとしていたのを見て、ベッドから梶さんが声を掛けた。

「えっ─…?」


梶さんの言葉が理解できなくて、ポカンとする。


「俺から、西村と岩崎に連絡したから伝わってるよ。」

あぁ、そう言うことか、と頷いてみて──。


「えっ!?」


何て言ったんだろう。

一緒にホテルにいる、とか?
いや、それはやめて欲しい。

「言っとかな、心配するからな。」

さらっと言ってのける梶さんの神経を疑う。


西村さんや岩崎さんから、愛美達には何て伝わっているか──想像すると恐ろしいん
ですけど。


梶さんは、当たり前だけど私の考えていることなんて無視して、能天気に手招きなん
かしている。


「なんですか?」


ベッドとソファーは向かい合っているから、わざわざ近寄らなくても話すことはでき
る。

私が返すと、梶さんは「冷たいなぁ。」と悲しそうな顔をした。


その表情がなぜか切実そうに見えたが、気のせいだと思い直す。


今まで、付き合っている人以外の男性と一夜を過ごす──なんてことがなかった私
に、今のこの状況が居心地が悪くて仕方がない。

早く帰りたいな──と思うのに、梶さんはまだベッドにいて動く気はなさそうだ。


「来ないの?」


寂しそうにポツン、と呟かれるとなんだか行かなきゃいけない気にもなってくるが、
何のために近寄らないといけないかも分からないので、私も動かない。


あぁ、気まずい。


「私、そろそろ帰ります。」


この空気から逃れたくて、私は立ち上がった。


やっぱり、私は大人の割り切った関係なんて苦手だ。
一緒に迎える朝が、こんなに気まずいなんて。


「ホテル代、置いときますっ」


私はテーブルに1万円札を置いた。


ホテルの宿泊料が1万円以内に納まることは確認済。
テーブルに置いているホテルのファイルに書いてあった。


「ちょっ─…!?」


梶さんの慌てた様な声を背中に聞きながら、私は何か言われる前に急いで部屋を出
た。


何だかすごく悪いことをしている気がしたが、思いきってエレベーターまで走る。


誰もいない廊下は狭くて、エレベーターはすぐに見つかった。


下まで降りて、誰もいないロビーを通り抜けた私は、ホテルの外に出た瞬間、ふーっ
と大きなため息をついた。

外は肌寒いけれど、春らしく綺麗に晴れていた。


ラブホテルばかりが集まっている場所に、朝のこの時間人通りはなかった。

私は振り返って、今しがた出てきた建物を見上げた。

安っぽくてけばけばしい装飾を施したその建物は、朝日を浴びるには不向きだ。
私はやけに背徳感を感じていた─。