ずっと、
一緒にいることが
緊張したり胸がぎゅってなったりする
相手がいました。

その気持ちだけを解放しようとしていた時は

自分を大切にしてくれない

と感じていて

私は私を大切にできていないんだな 

と思いました。


そこから

大切にすること

愛すること

そちらの方向へ
 
意識を向け出すと

私は相手の自由さが羨ましかったんだと気付いて

そしてその気持ちを認めたくなくて

(今の自分は、全然出来ていないから、自由じゃないんだ。という気持ち)

なんだか変に反発して

三次元の頭での考え方で

三次元的な対処に

走ろうとしていました。

少しでも

自由に見える

自分よりも出来ているように見える

その相手よりも優っているところはないかと

心のうちでは

必死に競争していたように思えます。

そんなエゴさんに、

本当に疲れて

もう、やめたい。

そう素直に思って

自分のエゴからくるようなものを

やめる、

と意識して

相手の前で、

いっぱい失敗して、駄目な自分もいっぱい見せてしまえ

そんな気持ちになったら、

相手と過ごす時間も、

以前よりは、

胸が痛くならなくなっていました。

笑顔とか
明るい声とか。

具体的な行動も、その時できる精一杯で
やってみました。


そんなある日、

コミュケーションについて、

話すことがあり、

私は、人に気持ちを伝えるのが苦手なことを

話したら、

相手の方は

自分は思ったことを言いすぎてしまうから

努力して、何でもかんでも言わないようにしている。

それが正しいことであったとしても

正しいことをそのまま言うことが良いことではないこともあるから。

そしてその方は、私に向かって

「私の態度大丈夫ですか?きつかったり冷たかったりします?」

と尋ねました。

きついように感じるのは、
私自身のカルマさんが見て感じたことだしな。
と思うし、
「時々そう感じるかも」と相手に言えないくらい、
私は目の前の相手のことを、傷つけたくないと
感じていました。


その出来事で

いかに自分が

2元の意識

私からの視点

私のエゴからの視点でしか

見れていなかったことに気付いて、

凄く恥ずかしかった。

何でも思ったことを
言える人には言える人なりの気持ちがあって、

言いたいけど、相手のことを傷つけたくないから
、言えない。
というのは、

私と全く同じ状況だし、

言ってしまいそうなことを、あえて言わないように努力する、ということもまた、
ものすごく頑張りが必要で、
相手の方なりに、周りへの思いやりや配慮をしているのだと、初めて知りました。


恥ずかしいなあー私。
自分のことしか考えていなかった私。

だけど、

相手との関係を

苦手という気持ちだけで、

そこで終わらせないで

怖くても痛くても

そこに向き合い続けたら

こんな風に

相手のことを知れて

自分の恥ずかしさ至らなさも知って

すごく良かったなぁ、と思いました。

この経験を

思いやりに変えて、

成長してしたい。

そう思います。


気づきにも
次元があるのかな。

いちばん最初の気づきは、

まだまだカルマさんからの気づきのような気がして

そこから、次の気づき、

次の気づき、というように。

一瞬で解放して、気づく方が断然嬉しいけど、

向き合い続けて、

時間をかけて

最後に愛に帰着できる時もある。


自分が愛に戻ることを
諦めないでいること。


大切✨