【誕生日お礼】


大変遅ればせながら、
先日の上地幸子誕生日に
たくさんのメッセージをありがとうございました。


リアルでお会いできる方が限られてしまう子育て時代、
朝からたくさんの方よりお祝いのお言葉をいただき
一通一通嬉しく拝見しました。


およそ10年前に生まれ育った東京から
宮古島に初めて来ました。運転免許を取るため。
26歳の誕生日直後でした。


10年前、26歳の誕生日
当時は独身で身軽でしたので、池袋、新宿など1日で数件はしごして
親友、愛する人、気の合う人々に濃厚かつ盛大にお祝いしていただき
バーニーズニューヨークで買ったプレゼントとか(笑)
指輪とかマニアックな趣味の本とか
大きな花束とかをいただき、凝ったケーキのロウソクも
何度も何本も消し、
明け方まではしゃいでおりました。


でも、こころには、ぽっかり穴が開いていた。


誕生日。嬉しいけど、わたしはこんなことに
はしゃいだり、浮かれたりしたいんじゃない。
結婚して子どもが欲しいと
こころの奥の奥では願っていました。


なぜかこどもが生まれてから、
本当の自分になるんだという
なんだか不思議な感覚がずっとありました。


(そういう女性は多いでしょう)


そして宮古島で出会った夫。

出会ったばかりのわたしをものすごく大事にしてくれました。
(宮古島の男性は女性をすごく大切にします)



でも全然ピンとこない。
見た目も話し方も性格も。



そして、なぜだか出会って1週間で結婚することになった。



そのあと数年、馴染みのない場所での生活、
ほぼ知らない人で異文化だった夫との暮らし、
初めての子育ては全然楽しくなく、
いろんな意味で泣く日が多かったです。



息子1が話ができるようになり。
お父さんとお母さんから生まれてきたかったから、
すぐに結婚してもらったといわれました。


(なんじゃそら)


のちのち、息子が話す生まれる前の話や
紹介してくる本などから、
その意味が分かってきます。

夫とわたしの育った環境の違いを
一挙に息子は体感したかったこと、
前世のこと、DNAのこと。


息子が話すスピリチュアルすぎる内容に
毎度振り回されていましたが、


33歳のとき、こういうことを仕事にして!と
息子が苦しみながら(ユタの啓示のように)
わたしに伝えてきて、言葉に従い、一夜で探して、
フラワーエッセンスに出会います。


学んでわかったのはフラワーエッセンスを
広めることがわたしの天職でした。


収入源の少ないといわれる離島で、
子どもを家で育てながら、花療法士という
専門職に着くことができました。

息子よ、ありがとう。


花療法士になると同時に、
当然ながら宮古島のお花からできた
フラワーエッセンスの研究も始まりました。

始めました、ではなく、始まったという感じです。


お花はそこに住む人々に大いなる愛をくれています。
そこに住む人々の人格形成にも
関わっているように感じます。


あまりにも偉大すぎて、抽象的すぎて、書くのを躊躇するほど。

本当に花は素晴らしいです。


天職も研究も子育てもすべていっぺんに楽しんでできる。
こんなに素晴らしい場所に住むことを選ばせてくれた夫、
そして生まれていなかった息子、

最終的にはきちんと自分で決めたわたしに感謝。


10年で人は大きく変わる。


子どものころから漠然と35歳までに
人生を共に過ごす人と暮らす家を建てたいと
勝手に決めていたのだけど、無事に叶いました。
(実際家はまだできていないけど・・・)


まさか自分でコンクリートを練ってくれる人と
結婚するとは。


3人も子どもを産むとは。

出産で肉体も精神もリセットされて
本当に本当の自分になった気がします。


いままでいろんなことがあったように感じるけれど、
振り返ってみると、いつもわたしは
いろんな人に愛されて、気にかけてもらい、
手をかけてもらい、素晴らしく、
しあわせな35年を過ごしてきたのだと、
感謝しかありません。


お父さん、お母さん、
からだと幸子という名前をありがとう。


今後とも、みなさまどうぞよろしくお願いします。