ハットする時 小説を読んでいて、ハットする時があります。 私の場合、私の心の大切な部分が、 見えて来るような場合とかですね。 私は、そんな小説を読みたい。 それは、恐いモノ見たさの部分も、 あるかな。 いえいえ、御大切様を意識するきっかけに なれば、良いな。
偽善 自分には、どうしても自分のやっている コトが、偽善にしか思えない。 でも、こんな偽善が、いつかは紛れもない 善になる様に祈っていれば、やがて、 御大切様に届き、その心苦しさを きっとくみ取って下さるコトでしょう。
本物の親友 さて、あなたには本物の親友がいますか? 世俗的な利害関係を抜きにして、 その人がいない人生なんか考えられない。 ・・・と言うくらいの親友って、 いますか? まぁ、気が付いていないだけカモ 知れませんね。
熱狂はやがて・・・ 御尊者様は、ご存じでした。 ご自分を熱狂を持って支持している 群衆の期待に、ご自身が応えられない 存在であると。 そして、やがて、群衆にうち捨てられる コトもすべてご存じでした。 すべてを受け入れ、すべてをお赦しに なった方こそ、御尊者様なのでしょう。
光と影 光も影もそれぞれ単独では、 存在しませんよね。 光があれば、影も生じます。 影によって光は、引き立ち、 また、光によって影は、深遠さを 増すでしょう。 お互いが反してるようで、 引き立てているコトにお気づき でしょうか。
大切心と情熱 大切心って、しつこい割りに情熱じゃない らしいです。 でね、情熱に浸るコトは、誰にでも できると思うけど、大切心を押し通す なんてコトは、そんな簡単なコトでは ないと思います。 情熱ってね、陶酔に浸っている状態だと 思います。 だけど、大切心を押し通すってコトは、 努力と忍耐を伴い作り上げて行くモノ らしいです。
帰る場所 人間には、帰るべき場所が、必用な ようです。 物理的な空間だけでなく、精神的に 寛げる環境って、大切らしいです。 帰るべき場所があるからこそ、自分が 自分であると、主張できるのかも 知れませんね。 だからこそ、その帰るべき場所の喪失は、 計り知れない喪失感が、あるらしいです。