初めまして。
僕はFリーグ(日本フットサルリーグ)division 1のボアルース長野というチームに所属しているフットサル選手です。

この度ブログを始めてみることにしました。
始めるにあたり、まずは自己紹介がてらここまでの人生をさらっと振り返りたいと思います。

1998年5月28日、長野冬季オリンピックが開催された年に、長野市で生まれました。

3歳年上の兄の影響で、僕が6歳の時に、地元のクラブでサッカーを始めました。
始めたばかりの頃はコーチのことが怖くて、練習に行くのが嫌だったことを覚えています。笑
当時とても流行っていたムシキングというカードゲームを一回100円でやらせてもらう約束を親として、ムシキングがやりたいが為に練習に行っていました。

そんな感じの本当にやりたいのかよくわからなかったサッカーが気が付けば好きになっていました。
小学校時代、チーム練習は土日しかありませんでしたが、平日も学校が終われば毎日真っ暗になるまでボールを蹴っていました。
いつの間にか夢は、「プロサッカー選手」になっていました。
ムシキングの為にやっていたサッカーが気がつくと将来の夢になっている。不思議ですね。

小学校時代、チームとしてはあまり大きな成績を残すことは出来なかったですが、個人としては県のトレセンに選ばれたり、試合で毎試合のようにゴールを決めており、自分が最強だと思っている様な王様プレーヤーだったので長野市近辺では色んな意味でそこそこ名が知れた存在でした。笑

中学では、AC長野パルセイロジュニアユース(トップチームは現在J3)のジュニアユースでプレーしました。

パルセイロは、長野の北信地域から選ばれた選手が集まっていたので、レベルが高く、とても充実した日々を過ごせました。

中でも思い出深いのは、菅平合宿で宿舎から焼きカレーが名物のレストランまでひたすら走って、また宿舎に戻ってくる「焼きカレー」と呼ばれる走りメニューです。ノーマルで宿舎からレストランまでを2往復(14キロ)、多い時には3往復(21キロ)の時もありました。
しかも走り終わった後にサッカーの試合もするという地獄さ。全身筋肉痛で、試合になりませんでした笑 良い思い出です。

中学では、人生で初めてサイドバックというポジションをやりました。
それ以降は2度とサイドバックをやることはありませんでしたが、初めて経験する視野と感覚は今でも自分の財産になっています。
サイドバックでもオーバーラップをして点を取ったり、得点に絡んだりするのが気持ちよかったです。
その為自分が攻めに上がった後の守りが手薄になることもあり、その中でも守ってくれていた当時4バックを組んでいた他のメンバーには感謝してもしきれません笑

小学生の頃とは異なり、チームとしては全国大会にクラブ史上初出場するなど輝かしい成績を収めましたが、個人としては、伸び悩んだ3年間でもありました。

その結果、高校進学にあたってどこからも誘いはありませんでした。しかし中学時代にお世話になった指導者の方のおかげで松本山雅FC U-18(トップチームは現在J3)に入団させていただきました。
パルセイロと山雅と言えば、スペインリーグで例えると、レアルマドリードとバルセロナのようなライバルクラブで、直接対決は「信州ダービー」と呼ばれ、お互いの意地とプライドが激しくぶつかり合う試合となっています。

そのような関係のクラブを渡り歩いた自分に対して冷ややかな目を向ける人もいました。
そんなの自分は何とも思ってませんでしたけど。

そんな松本山雅ユースでの3年間と言えば、「走って、走って、走って」とにかく走りました。
練習からボール無しで走り、ボールを使って走り…、まあたくさん走りました笑
走るのは自分自身苦手だったこともあり、「何でこんなに走らないといけないんだろう」と思うこともありました。
ただ全国の強豪ユースと試合をする時に、サッカーの技術では相手の方がひと回りもふた回りも上なわけであって、普通に戦ってたら絶対に勝てない。じゃあチーム全員がハードワークをして、泥臭く戦うことで技術不足をカバーしなければいけません。

走る、切り替えで負けない、球際で負けない、コーチングで圧倒する、泥臭く、全員が生命体の様に戦う。
それを追求したのが、まさに「山雅スタイル」でした。
その結果、全国でも同等の戦いをすることができ、Jユースカップという大会では、全国3位という結果を収めることができました。

しかし、高校3年間は人生で初めて試合になかなか出場できない期間を過ごしたり、メンタル的にも弱気になったりして初めて挫折という挫折を経験しました。
サッカーが楽しくない、いっそのこと辞めてしまおう。そう思ったこともありましたが、結局自分はサッカーが好きで、サッカーでプロになるという夢があったので辞めることは出来ませんでした。
今であれば、その状況下でのもがき方や、這い上がり方が少し分かる気がします。
しかし、当時はそれが分からなかった為に無駄にしてしまった時間も少なくなかったと後悔がありますが当時の自分としてはやり切った3年間です。

しかし、「山雅スタイル」の重要性に気付けたことや、今でも年に数回集まる仲間に出会えたことで山雅ユースを選んだ良かったと心から思えます。

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