JW2世のおっさんだけど、青春はこれからだ -128ページ目

JW2世のおっさんだけど、青春はこれからだ

エホバ? あぁ、出来損ないの偶像ですね。

先日の日曜、久々に教会に行きました。

 

自宅から車で15分ほどのところにあるルーテル教会です。

 

会衆の区域を少しだけ出た場所ですが、だれかに見られたらどうしよ(・・;)

なんてことは、少しも思わなくなりました。

 

この日は系列の高校の女子生徒が2人、わたしの前の席に座りました。

親と一緒かと思ったら子どもたちだけで来ていたので、あとで話しかけようと思ったけど(純粋な動機ですよw)、礼拝が終わったらすぐ帰ってしまいました。

 

 

それはともかく、単にエホバの証人の集会に行かないだけでなく、

「大いなるバビロン」と交わるなんて

ス・テ・キ♪

 

いや、まじめな話、1時間ちょっとの時間を教会で過ごすと、毎度、心が安らぎます。

聖書を深く学ぶわけではないし、礼拝は形式的ですけど、

普段着で、自然体で臨めるところがいいのでしょう。

JWのラブシャワーのような、腹黒い歓迎を浴びないのも清潔です。

 

 

今回の聖書の朗読に、マタイ13:44-52も含まれていました。

そのなかの49-50節。

 

引き網に関するたとえのあと、

 

「世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをよりわけ、燃え盛る炉の中に投げ込むのである」

 

 

正しい人々の中から、悪い者どもをよりわける。

 

もし、救われる人間がわずかだとすると

 

「悪い者どもの中にいる正しい人々をよりわける」

 

というふうな表現になるはずなので、この聖句からすると、救われるほうが多くて、滅びるほうが少ないように思えますね。

 

この部分、これまで何となく読み飛ばしていたな、と思いました。

 

 

でも、狭い門を通って入りなさい、などという言葉もある。

 

結局、救われるとか滅びるとか

どの解釈が正しいんかいな

 

と考えてしまうと、ワケが分からなくなります。

 

 

だから、そんなこと考えなくていいんですよね。

 

だいたい、救いとか滅びとか、そんな視点で生活することが愚かです。

利己的になったり、他の人を裁いたりする原因の一つになります。

JWもそうであるように。

 

 

人様に迷惑をかけず、かつ、できるだけ親切にし、生きていることに感謝し、まじめに働き、楽しむときには楽しむ。

 

これが当たり前の人生訓なのでしょう。

 

そのうえで、神仏やキリストを信じたい人は信じればいい。

 

 

JWも「救いか滅びか」なんて妙なフィルターを教義から除去すると、もう少しマシになりそうですけどね。

 

今さら手遅れですが。