母の死去に伴い、
ブロガーの皆様からもコメントやメッセージを多数いただきました。
この場をお借りして、感謝申し上げます。
もう日常に戻った感はありますが、
昨日は「香典返し」の品物を購入しに行きました。
のし紙や表書きの種類など、知らないことだらけ。
ぼちぼち、勉強ですね。
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メール配信してもらってる、ルーテル教会の「聖書日課」。
これ、注解だけでなく、聖句へのリンクもあると、もっといいんだけどなぁ。
それは置いといて、本日の聖句のひとつ、マタイ20:1~16。
「ぶどう園の働き人」のたとえの部分ですね。
一日じゅう働いた人も
夕方から短時間だけ働いた人も
同じ賃金を与えられた。
牧師さんによる注解には
「神様は、あなたがどれだけ優れているか、
「イエス様は、どれだけ自分と他者が違うかではなく、どれだけ自分が神様に愛されているか、
という言葉が含まれていました。
ものみの塔の注解も、内容としては、ほぼ同様ですね。
「このたとえ話は、自分を他の人と比較するとどうなるかをよく示しています。
エホバ神との個人的な関係について黙想し、神がいかに自分を祝福してくださっているかに感謝するなら、満足感を抱くことができます。
自分の置かれている状況を他の人の状況と比較してはなりません。
エホバがだれかに何か特別なことを行なわれたように思える場合、その人たちと共に喜びましょう」
(塔2006年6月1日号)
誌面で見る限りは、いい記述なんですけど
実態は・・・
我が家では、開拓奉仕こそ就くべき最高の仕事である、と常に考えられていました。
それで1958年、わたしは学校を卒業すると、マニトバ州ウィニペグに移転して開拓奉仕を始めました。
(塔2010年10月15日号)
2001年には、エホバへの感謝の表明として、ニジェールの、真理を学んだ町で開拓奉仕を始めました。パスカルは宣教奉仕についてどう思っているでしょうか。こう述べています。
「これこそ最高の生き方です!」
(塔2014年1月15日号)
2006年に19歳でグアム島へ移動したエリカは、それらの熱心な奉仕者たちの気持ちを代弁して、こう語ります。
「真理に飢え渇く人たちがいる区域での開拓奉仕は、とても楽しいです。この奉仕を行なえるよう、エホバが助けてくださったことに感謝しています。最高の生き方です!」
(塔2014年7月15日号)
ふーん。
開拓奉仕こそ最高、か。
聖句を素直に解釈していれば、とてもじゃないが、こんな妄言は吐けません。
いや、経験を語った当人にとっての最高の生き方、ということです、決して神は強制されません、その人の可能な範囲での奉仕を喜ばれるのですよ。
などと組織を擁護する声も聞こえてきそうですが、
組織が、開拓奉仕こそ価値ありと、執拗に勧めてるのは事実。
開拓者か否か以外にも
「特権」により、上級中級下級の差別化を推進しているのも厳然たる事実。
一般の教会では、どうなんでしょうね。
組織構造について詳しくは知りませんが、何度か訪れた印象では、集まった人、みな同じ立場。
牧師さんのほかに役員とかはあるようですが、「優劣」を意識させるものは感じられませんでした。
「聖書的」という観点からすると、どちらが正常か異常かは明らかですなぁ。
こんなこと書いてるワタシも、神の愛なんて、よく分かっちゃいないんですが、
神のおかげで自分がいかに恵まれているか、という意識を持つのは、
できるだけ不平不満を抱かず、謙虚に生きるうえで大切なことだとは思います。
もう、宗教なんてまっぴら、という気持ちもありますけど、
ほんとうの神を探してみよう、という思いも、まだ少しはあるんですよね。
少しは、なんて半端ですけど、
神の愛をねじ曲げた組織とは、比較にならないくらいマシでしょ。