JW2世のおっさんだけど、青春はこれからだ -117ページ目

JW2世のおっさんだけど、青春はこれからだ

エホバ? あぁ、出来損ないの偶像ですね。

母の死去に伴い、

ブロガーの皆様からもコメントやメッセージを多数いただきました。

この場をお借りして、感謝申し上げます。

 

もう日常に戻った感はありますが、

昨日は「香典返し」の品物を購入しに行きました。

 

のし紙や表書きの種類など、知らないことだらけ。

ぼちぼち、勉強ですね。

 

 

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 

 

メール配信してもらってる、ルーテル教会の「聖書日課」。

 

これ、注解だけでなく、聖句へのリンクもあると、もっといいんだけどなぁ。

 

 

それは置いといて、本日の聖句のひとつ、マタイ20:1~16。

 

「ぶどう園の働き人」のたとえの部分ですね。

 

一日じゅう働いた人も

夕方から短時間だけ働いた人も

同じ賃金を与えられた。

 

 

牧師さんによる注解には

 

「神様は、あなたがどれだけ優れているか、あるいはどれだけ結果を出したかという基準で、ご自分の愛を、人によってたくさん注いだり、ちょっとだけ注いだりというようにはしません」

 

「イエス様は、どれだけ自分と他者が違うかではなく、どれだけ自分が神様に愛されているか、どれだけ自分が神様に喜ばれているか、そこに目を向けなさいと人々に訴えられたのでした」

 

という言葉が含まれていました。

 

 

ものみの塔の注解も、内容としては、ほぼ同様ですね。

 

「このたとえ話は、自分を他の人と比較するとどうなるかをよく示しています。

エホバ神との個人的な関係について黙想し、神がいかに自分を祝福してくださっているかに感謝するなら、満足感を抱くことができます。

自分の置かれている状況を他の人の状況と比較してはなりません。

エホバがだれかに何か特別なことを行なわれたように思える場合、その人たちと共に喜びましょう」

(塔2006年6月1日号)

 

 

誌面で見る限りは、いい記述なんですけど

実態は・・・

 

 

我が家では、開拓奉仕こそ就くべき最高の仕事である、と常に考えられていました。

それで1958年、わたしは学校を卒業すると、マニトバ州ウィニペグに移転して開拓奉仕を始めました。

(塔2010年10月15日号)

 

2001年には、エホバへの感謝の表明として、ニジェールの、真理を学んだ町で開拓奉仕を始めました。パスカルは宣教奉仕についてどう思っているでしょうか。こう述べています。

「これこそ最高の生き方です!」

(塔2014年1月15日号)

 

2006年に19歳でグアム島へ移動したエリカは、それらの熱心な奉仕者たちの気持ちを代弁して、こう語ります。

「真理に飢え渇く人たちがいる区域での開拓奉仕は、とても楽しいです。この奉仕を行なえるよう、エホバが助けてくださったことに感謝しています。最高の生き方です!」

(塔2014年7月15日号)

 

 

ふーん。

 

開拓奉仕こそ最高、か。

 

聖句を素直に解釈していれば、とてもじゃないが、こんな妄言は吐けません。

 

 

いや、経験を語った当人にとっての最高の生き方、ということです、決して神は強制されません、その人の可能な範囲での奉仕を喜ばれるのですよ。

 

などと組織を擁護する声も聞こえてきそうですが、

 

組織が、開拓奉仕こそ価値ありと、執拗に勧めてるのは事実。

 

開拓者か否か以外にも

「特権」により、上級中級下級の差別化を推進しているのも厳然たる事実。

 

 

一般の教会では、どうなんでしょうね。

組織構造について詳しくは知りませんが、何度か訪れた印象では、集まった人、みな同じ立場。

 

牧師さんのほかに役員とかはあるようですが、「優劣」を意識させるものは感じられませんでした。

 

 

「聖書的」という観点からすると、どちらが正常か異常かは明らかですなぁ。

 

 

こんなこと書いてるワタシも、神の愛なんて、よく分かっちゃいないんですが、

神のおかげで自分がいかに恵まれているか、という意識を持つのは、

できるだけ不平不満を抱かず、謙虚に生きるうえで大切なことだとは思います。

 

もう、宗教なんてまっぴら、という気持ちもありますけど、

ほんとうの神を探してみよう、という思いも、まだ少しはあるんですよね。

 

少しは、なんて半端ですけど、

神の愛をねじ曲げた組織とは、比較にならないくらいマシでしょ。