[米談義]
4月 森のくまさん
風が吹いている。キャンパス内には植物が多く、揺れる新緑と鳥虫の律呂が心地よい。大学生活にもすっかり慣れ、体内時計も大学用に新調できた。
午前中の授業を終え友達と学食へ。新学期初週は行列を忌避し学内を回るキッチンカーで昼食を購入していたが、費用が馬鹿にならないと半ば逃げ込む形で学食ユーザーに転身した。
並んでみれば意外とすぐに食にありつけ、飽きないようにと目新しいキッチンカーを常に探し回っていた時間が可笑しく思えた。
今日の発見は噂には聞いていた学食サラダバー。好きな小皿をトレイに載せて進むよくあるスタイルのレーンの先にそれはあった。いつもは皿を取り終えレジに向かう分岐点のさらに奥地。少しの好奇心と友人の存在が冒険的一歩へ向かわせた。
底の深い小皿にトングで好きな具材を入れていき、重さで値段が決まる従量課金制。色とりどりの生野菜が並び、中にはわかめやサラダチキン、さらにはヨーグルトも堂々たる様子で佇んでいる。
この4月からの朝ドラ「らんまん」主人公で、日本植物学の父牧野富太郎曰く「雑草という名の草はない」。この学食サラダバーでもまさに、それ自体として比類ないパワーを持った、サラダと一括りにしがたい群雄が割拠していた。
初めての経験で舞い上がりその全てを溢れるほど盛り付けた。レジにはサラダ用の計量器が用意されていて、レジ員の確認後会計に進む。節約のために食堂ユーザーへ転身を遂げたはずが、サラダの追加料金が追い風となりキッチンカーでの平均使用額を優に超えていった。
おこんから毎月支給される米のせい、いやおかげと言うべきか、明らかに食欲が増している。胃が大きくなり、一口も大きくなっていた。
満腹も満腹で午後の授業も受けたが、脳に鞭打ちカロリーを消費し、帰る頃にはまた腹が減っていた。
今日も米を炊こう。
それも土鍋で。
程よい腹の減り具合であったので、帰宅後おもむろに荷物を置き悠々と炊飯の支度をする。近頃は浸水時間を楽しむ術を身につけてきた。気温も上がってきたので浸水時間は30分ほど。
待つ間にいつものように米のアテを用意する。今日は鶏肉と胡瓜のユッケ。食感を米に合わせるため鶏肉にフォークで穴を開け酒茹でするが、それも30分。
いつもより手持ち無沙汰な時間が多いが、それもいい。ユッケに鶏肉の皮は不要なので剥いておき、それを切り分け串に刺す。塩胡椒にクミンを加え、フライパンでカラっと焼き上げ鶏皮串を2本ほど拵えた。こちらは酒のアテ。何をするわけでもなく、ただ米焼酎の水割りと串を伴侶に針が進むのを眺める。物理的時間を心理的時間に変えるこの試みは、フランスの哲学者ベルクソンにあやかっている。
彼の著書『時間と自由』では時間を2つに区分する。時計に従って進む時間と、自らの感情によってその「密度」が変わる、例えば楽しいと早く、面白くないと長く感じるような時間。
この時間のありようこそが人生にとって大切なのだと彼は言う。
浸水を待つ30分の心理的時間への昇華。米を炊く。その繰り返される日常にも彩りを。
浸水が終わり、例によってタイマーを12分にセットし火にかける。その間に火の通った鶏肉を取り出し、手で小さく割いて、コチュジャン、醤油ごま油で作った合わせ調味料に混ぜ合わせる。胡瓜を塩もみした後ピーラーで木簡のように薄くスライスして、さらに縦に一回横に一回半分に切る。この2つを皿に盛り合わせ最後に卵黄と白胡麻を乗せて完成。
蒸らしの12分も終えタイマーを止め蓋を開け、茶碗によそう。炊き上がりはこれまでで最もふっくらとしていた。
原色ばかりの彩り豊かな食卓に満足し、いただきますと呟く。ゆったりとした動作で米を口に入れる。流れる時間のなだらかさに応じて甘みもゆるりと広がる。少しの風味を残しあっさりと喉を流れていく、そんな米である。粘り気や弾力はしっかり感じつつ、飲むように食べる。
鶏肉と胡瓜のユッケを合わせてみると、その様相に拍車がかかった。上に載せた卵がよく絡んだきゅうりの食感で程よく歯を動かし、若干の辛さを持った鶏肉が旨味とともに粘り強く居座ったかと思うと、それらが米に運ばれ喉奥へと流れていく。
喉越しを楽しめる米。それがこの米に抱いた印象であった。
そんな森のくまさんは、父親に「コシヒカリ」、母親に「ヒノヒカリ」と人気の高い品種を両親に持つ、杜の都熊本産の米。ヒナゲシの別名「虞美人草」でデビューをとげ、植物にも深い造詣を持った明治の文豪夏目漱石が、“杜の都”と表現した熊本。彼を唸らせるほどの豊かな自然が熊本にはあった。森のくまさんとは、そんな”杜”の都、”熊”本で生”産”されたことを表す由緒正しき銘。
この米の粒はスリムな姿をしていて、粘り・弾力がありもちもちし、甘みがあるのが特徴で、熊本県農業研究センターで平成元年から開発に取り組み、約8年の歳月をかけて作り上げた良食味米だそう。育ったのは県南地域に位置する人吉球磨。夏は爽涼感を与え、冬にはその頂に純白な雪化粧をする山脈が連なり、またその中心部に広がる盆地には日本三大急流の一つである球磨川が貫流している。球磨地域の東側に位置する霊峰市房山の麓には、球磨川の源流が息づいており、そこから大地を潤す水が球磨盆地へと流れ“おいしい米”の源となっている。
どの米も同じに見えた自分がおこんでエッセイを書くうちに、米の産地や生産者を調べていくうちにそれぞれの米の個性を目ざとく発見し、表現し、米の世界をさらに細かく切り分けることができた。細かくなった世界は、それそのままに心理的時間へと通じている。世界の見え方、感じ方、生き方が変わる。”森”の”くま””さん”がさらりと喉を過ぎる時、漱石が過ごした杜の都が瞼の裏を掠めていった。