「さえ」の法則ってご存知ですか?

「○○さえあれば、俺は幸せなんだ」という言葉。けっこう言ったりします。

 

けど、「さえ」はとんでもない魔力をもっているって知ってました?

 

○○さえ・・・ は「それが無ければ、自分はダメなんだ」という暗示を含んでいます。

 

言葉には、その言葉を発した背景である心理がくっついていて、言葉の背景にある心理を現実化してしまう、おそろしい魔力があるのです。

 

○○さえ手に入れれば・・・   ○○さえあれば・・・・

 

「○○を手に入れてしまい、その後○○を失ったら、自分が駄目になってしまう。だから○○は手に入れない方がいい。」

 

心の中は、このようなセルフトークを発しています。

 

私もカルトから脱して、何を考えたかというと、「親にさんざん迷惑をかけて来たから、親子孝行しよう」と思ったのです。だから私にとっての○○さえあればの○○は、「親孝行している自分」だったのです。

 

これが、一般の家庭であれば、親孝行は親との家庭内の心理的葛藤が課題になったでしょう。しかし私は地方では名の知れた会社の社長を父にもっていました。ですから私の親孝行は会社の跡取りになることでした。6年間、カルトで異常な生活をしてきた私にとっては今にして思えばものすごいハードルだったのです。

 

カルトで一般社会とはかけ離れた生活をしてきたので、テレビで何をやっていたか、どういう歌が流行っていたか、20代の若者がだれでも知っている6年の記録が頭の中に無いわけです。そのハンディを背負って、会社勤めをしました。同僚と信頼関係を築くためにたわいない話をしますが、映画やテレビ、娯楽のことが抜け落ちています。話を合わせられない私は、浮いてしまいますので、会社内では「あいつは社長の息子だから、感覚が違うよな」となりますし、地域の異業種交流の会の仲間からも「あいつの会社はでかいから感覚が違うよな」となってしまいました。

 

私にとっての、脱洗脳は洗脳がとけただけで終わらず、カルト終了後も、私を縛る呪縛から逃れられないことが続きました。カルトからの洗脳はわかりやすいのですが、自分が無意識で縛られているものも、自分で自分を縛っている洗脳と言えるでしょう。

 

自分の無意識の中に鳴り響いている「セルフトーク」の中には、自分が願ってもいない方向にいざなう「ノイズ」もたくさんあるのです。その一つが「さえ」の法則でした。

 

結局、私は跡取りにはならないで(なれないで)弟が会社を継ぎました。彼は素晴らしいマネージメントをして会社を伸ばしていますので、それはそれで良いのですが、私は自分が作った「親孝行をする」という「さえ」に洗脳され続けるという道を行く事になります。