2月最後の夜に書いた昨日の文章です。






2月の終わりのこの時間にかく
できれば最後までちゃんと読んでほしい。
そういう思いで真剣に書きます

2月も終わり。自分の中でまた違う角度から自分や他のものに対して考え方を変えようと試みたり、自分という1人の視点から物事を考えた月でもあった。

でも今までよりも色々な面で諦めや虚しさや色々な自分とこれからについてもう少し広い範囲で物事を考えた

これだけのブランクがあり、まだ情緒がむちゃくちゃな状態で社会復帰ができるか。今すぐにできるか?

わからない。

仕事もなかなかない状態
したい事も見つからなくて

大好きな事も誰からも必要とされていないのではと感じる
迷いがあるということは。怖いが、進みたいのか、このまま立ち止まるのかと迷う時点で答えは少し出ているのかもしれない。

私は。自分でありたい。自分らしさなんてないし世間でもネットでもそんなものはないのかもしれない

でも私は私でいたい。

私は私だ

男とか女とかの性別なんかに比べられたりしたくないのだ
異常だとかそれは反社会的.社会としてとか大人としてとかそんなくだらないクソみたいなものにくくられてジジイになるまで死ぬくらいなら今死んだほうがマシだ


なぜか

もう充分に傷ついたから
もう充分に心の深い傷も身体にも残ってみえる痣。
私の右腹にその証拠がある
私は年齢関係なく散々暴力と罵声を受け。
それを生き抜いた

だからもうそんなくだらないものに傷つきたくはないし
括られて馬鹿にされたりクソみたいなお説教を聞きたくない

もう充分聞いた
充分ボコボコに殴られて歪んで修正不可能な脳と心になった
こんな使い道の限られた形に醜くなった心と顔。

だからもう

私は私としてもう少しだけ

生きたい。

長生きなんてしたくない。絶対に。
本当を言えば明日死んでも私は特に何もないだろう
むしろもうこんなに悩んだり考えなくて済むと思い嬉しさに浸るだろうね

でも私はまだもう少しだけ何かしなければいけない気がしている。

だから。

もう少しだけ、私は私として生きなければいけない気がしている
自分に対してそう思う




以上でした。

本当にいつも思う事は見返すとなんと拙く、馬鹿で、痛くて、世間で言う厨二?的な文章なんでしょうね

俯瞰して思います

僕はその時の感情と衝動で書きたい!と思った時に文章を書く
だから後から読み返した時に本当に出来損ないが滲み出た文章だと思い知らされるんですよね。

でもこれが僕の本当の気持ちなんだと思うと嘘偽るよりは、どれだけ馬鹿にされて、格好悪くて痛々しくても

いいのではないかと


思うんです。


私の中の価値観で見ると、世間と外野、他人から言われる言葉は本当に理解できないものばかりで

必ず何かに括られているものばかりで

でも社会ではそれに括られていかなければ生きてはいけない

容姿、性別、環境、価値観、行動全て。

私は間違っているのでしょう。

でも間違っているのか
本当にこの気持ちは間違いなのか


そこでもまた考え悩みます。

リアルでもネットでも居場所の無いくだらない私の戯言かもしれないけど

考えて悩む癖はもう幼い頃から治らないのです

それだけ私には
私なりの難があり。私自身を生きにくくしている

でもその難は私の中では正義であり、曲げたく無いものでもある


他人が何を言おうと。



改めてブログでこう言う事を書くのは怖い

でもきっとこうしてきちんと形にする事も悪くないと思うのです。


それでは。