コメントゼロ記事復活№12 | maruseのひとりごと

maruseのひとりごと

2014.7.24 薬師池公園のカワセミ

防災の日に思い出した’95.1.17の朝

テーマ:保育士時代

(2006年9月1日の記事です)



今日は防災の日。

昨日の夕方に地震がありましたが、帰宅早々お風呂に入っていたので、


このままドエライことになったらどうしよう…裸やし… (((( ;°Д°))))


と、“一瞬”うろたえました。

そして、ふと、11年前の1月17日の朝を思い出しました。



京都の病院の、看護師さんのための保育室に勤務していて、その日はちょうど夜勤。

こどもを寝かしつけた後、誕生会の装飾品などを作って、しばしの仮眠をとっていた時でした。


何かの気配で目が覚めたんです…何もない…静か…


その瞬間、思いっきり“南北に”揺れました! 未だかつて経験したことがない揺れ!


床と布団が互い違いに揺れとるんです! 水に浮かんだ筏が強風であおられてるみたい! 

振り落とされない様に(落ちても何ともないのですが…)、必死で布団に摑まってました (@Д@;


すごく長い時間に感じた揺れがおさまると、こども達のところに飛んで行ったら、


寝とるやん!…ツワモノどもです (´Д`;)


保育室は病院の近くのマンションの1Fで、揺れがマシだったのかな、

目に見える被害は、襖がひとつはずれて、南北向きの引き出しが開いたくらい。

でも、病院は大変だったみたいで、こども達の親から安否を確認する電話が、すぐにかかって来ました。


その電話のベルで起き出して来たこども達と一緒に、テレビを見たんですけど、

まだ暗いうちは、神戸がドエライことになってるって、判ってなかったんですね。

「京都市内の自動車展示場のショーウインドウが割れた」とか、

そんな程度の報道しかやってませんでした。


数回の余震にも、どっちかってーと「キャッキャ」楽しみながら(不謹慎で申し訳ないm(_ _ )m)朝ごはん。

そして、順次登園してくるこどもを受け取りつつの保護者との話も、


「Yちゃん、泣きませんでしたか?」 - 「かーかー寝てました~(^o^;)」

「通り道の水道管が破裂して、噴水みたいでしたわ~ヽ(゚◇゚ )ノ」


と、平和なもん。いつもと変わらない、普通の朝の風景だったんです。


夜勤明けの帰り道、

マンションの階段にヒビが入ったりしてるの見付けたけど…電車が各駅停車しか走ってなかったけど…

事の重大さに全然気付いてなかったんで、


駅前の公衆電話から芝居のチケットを申し込んでたなぁ (;´▽`A``


でも、一応、心配して、保育室を出る前に、家に電話をしてみたんですよ。

当時、大阪に住んでいた姉からは、地震の直後に電話があったらしいけど、

滋賀に住んでいた妹には、何度かけても不通で、

「電話回線が混濁してつながらへんのや~」と、父親はそればかり繰り返してました。

何でそんなに大袈裟なのか不思議でしたが、


帰宅してテレビ見て吃驚! ヽ((◎д◎ ))ゝ


神戸の惨状を知ってたら、そら、心配するわな。

その後、妹とも連絡がつき、両親はホッと胸を撫で下ろしてました。



その時は何とも思わなかったんだけど…

約1ヶ月後に急に“ある疑問”がわいて来て、両親に聞いてみました。


「地震の日、(姉や妹と同じく)maruseも家にいなかったんだけど、


maruseのことは心配やなかったん?

電話してみよって思わんかったん?


「そんなん、思いもせんかったわ!」

と、あっさり言われてしまいました! maruseって… (ノ◇≦。)